「読書会ノート」 松尾芭蕉 『奥の細道』

 松尾芭蕉著  『奥の細道』

谷口 雅代

 

前回、ドナルド・キーンの「百代の過客」を読み、外国人であるキーン氏が膨大な日本人の日記を読んでいることに感動し、私達も少しでも古人に触れたいと、冒頭の

「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」

で始まる「奥の細道」を取りあげた。

 

この作品をキーン氏は日本の紀行文学に具わる諸資質の偉大な集約であると絶賛した。芭蕉が

「いづれの年よりか、片雲の風にさそわれて、漂白のおもひやらず」

と元禄2年(1689)3月から主に東北地方(松島、平泉、立石寺、最上川等)を9月まで旅した紀行文である。

 

キーン氏が散文と韻分のこれほど完璧な結合の最高傑作は世界文学でもまれと言った様に、格調高い地の文と俳諧のかね合いがよく、読後感は、思ったより短く。学校で学んだ俳句も多く、極めて馴染み深く、易しかったという感想である。

 

芭蕉はなぜに

 ″野ざらしを心に風のしむ身哉〃

と白骨を野にさらす死という困難も覚悟で、旅に挑戦したのか。特に西行の足跡を訪ね、名所旧跡、歌枕を訪ね、自分で感じ触れ、新しい俳諧の世界を確立したかったのである。

 

この紀行文は旅の後5年を費やし推敲されたが、フィクションの部分があるという事は同行した弟子の曽良日記とかなり違う所であり、現実性よりも、技術性を高めようとした芭蕉の意図であった。

 

″夏草や兵どもが夢の跡〃

と訪れた所は昔を偲ぶよすがとなる物はなく、又歌枕に読まれた所も想像したよりも変貌している。しかし、多賀城の壷の碑が毅然として残っている事に涙を流して感動する。

 

 「むかしより、よみ置る歌枕、多くかたり伝ふといへども、山崩れ、川流れ、道あらたまり、石はて土にかくれ、…… 時移り、代変じて、其跡たしかならぬ事のみを、至りて、うたがいなき千歳の記念、今眼前に、古人の心を閲ス。 行脚の一徳、存命の悦、覇旅の労をわすれて、沮も落つるばかり也。」

 

奥の細道を終えた冬頃から、芭蕉は不易流行説をうちたてる。旅の実践から、自然、歴史の変化に触れ、絶えず移り変わっていく事が天地の恒常の姿と悟り、古人の肉体は滅びても、その俳諧 (風雅の誠)が天地と等しい永遠性を持って追ってくると体感した。

 

キーン氏 「何百霜隔てたその昔に書かれた日記が、今ここにある、文学という芸術へのこれ以上に壮麗な捧げ物が他になにかあるだろうか?」

(2000年 6月号)