「読書会ノート」 加藤 廣 『信長の棺』

 加藤 廣  『信長の棺』

西山和子

 

昨秋、十月末の読書会も近く、ぶ厚いS・ハンチントンの『文明の衝突』の読み上げに追われていた時であった。ふと、テレビのスイッチを入れると、どの局も刺客のニュースで盛り上がっていた。話が小泉さんの事に及ぶと、あるコメンテーターが「彼は『信長の棺』を何回も読み返し座右の書としている《と話していた。小泉さんは良くも悪くも我等が宰相。その人がそこ迄打ち込む本とはどんな本なのかな、と興味をそそられた。読書会の折、そんな話をした事で、一月に取り上げる事になった次第である。

けれども、そんな動機とは別に、読み進むほどに、情緒豊かな中にも躍動感溢れるその文章にいざなわれ、いつの間にか、安土の時代へと引き込まれてゆく。どこ迄史実でどこ迄が創作か分からなくなって了う。

狂言回しに「信長公記《の作者、太田牛一を使い、彼に信長の思い出等を語らせ、彼の暮しのうつろいと共に話は進んで行く。

作者は、幼き日より小説家を夢みたが、家庭の事情で東大の法学部に進み、金融畑を歩いた。還暦を前に、初心忘れ難く、「こんな事はしておれぬ。やはり、書くのだ《と一日の大半を物書きに専念する。膨大な資料をもとに、推敲を重ねる日々が続く。

信長については、既に、多くの作家が書いているが、彼は、別の視点からその時代を眺め、いくつかの疑問を抱く。そも、桶狭間の奇襲はあったのか。光秀は、中国攻めを命ぜられながら何を躊躇したのか。秀吉は、なぜ、あんな速やかな大返しが出来たのか。本能寺に何故、信長の遺骸がみつからなかったのか。彼はこれらの数々の疑問を織りなして、一遍の歴史ミステリーを仕立ててゆく、その腕前や、見事である。

読書会の終わりに、異口同音に出た言葉は、「ああ、面白かった《であった。当年七十六才の老新人作家に、心からの喝采を送りたい。

(2006年5月号)