【説教・音声版】2021年4月11日(日) 10:30 説教 「 鍵がかけられていたのに 」 浅野 直樹 牧師 」

復活節第二主日礼拝説教



聖書箇所:ヨハネによる福音書20章19~31節

先週は…、昨年は新型コロナの影響で残念ながら皆で集うことはできませんでしたが、復活祭を共々に祝えたことは、大変嬉しいことでした。また、クリスマス礼拝以来久しぶりに聖餐式も行うことができました。本当に感謝でした。

また、新規陽性者数が増え始め、変異株のこともあり、東京も『まん延防止等重点処置』が明日から適用されることになりましたので、今後どうなるかは分からなくなってしまいましたが、「当たり前」だと思っていたことが当たり前ではなかったということを、私たちは改めて噛み締めているのかもしれません。

レンブラント・ファン・レイン: マグダラのマリアに現れる復活したキリスト The Risen Christ Appearing to Mary Magdalene 1638年、Royal Collection of the United Kingdom



本日、復活節第二主日に与えられました福音書の日課には、あの有名な「疑り深いトマス」の物語りが出てまいりました。しかし、今日は、あまりこのトマスに触れるつもりはありません。そうではなく、主に前半の物語にポイントを置いて見ていきたいと思っています。

今日の箇所の出だしに、「その日」とあります。もちろん、これはイエスさまが復活された日です。先週の復活祭では、その日の早朝に起こったマグダラのマリアの物語を中心に見ていきました。彼女は、まだ日が上る前にイエスさまの墓を訪ねたのでした。それは、先週も話しましたように、自分なりにイエスさまの死を整理するために、あるいは、現実の死と受け止めながら今生の別れをするために、だったのかもしれません。そのマリアは復活のイエスさまとお会いすることになります。そして、今体験した出来事を伝えに弟子たちのところに向かいました。「わたしは主を見ました」と。

その同じ「その日」です。イエスさまが復活された「その日」の夕方に弟子たちは何をしていたか。「自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた」。鍵をかけ、家の中に閉じこもっていた。先程のマリアと何と違っていることでしょうか。彼ら弟子たちは、イエスさまの墓を尋ねようともせず、その亡骸と相対そうともせず、ちゃんとした別れもしなかった。同じように、イエスさまの言葉の真意を、復活を信じられなかったかもしれない。

誤った動機だったかもしれない。しかし、それでも、やはり自分なりのイエスさまへの愛が勝ったマリアは復活のイエスさまと出会うことができた。しかし、弟子たちは、家の中に閉じこもることによって、それらのチャンスを自ら締め出してしまっていたのかもしれないのです。では、なぜ彼らは家の中に閉じこもっていたのか。「ユダヤ人を恐れて」と記されています。

確かに、イエスさまを排除することができたユダヤ人当局者たちが次にターゲットにするならば、弟子たちでしょう。弟子たちも当初は、甘く見ていたのかもしれません。たとえ捕まえられたとしても、死刑までとは考えてはいなかったのかもしれません。あれだけ民衆に支持されていた自分たちの先生が、まさか死刑にされることはないだろう、と。しかし、あれよあれよとイエスさまは十字架に磔にされて殺されてしまわれた。今度は、自分たちの番かもしれない。想像上のことでしかなかったことが、まさに現実のこととなったことの恐ろしさを私たちも知っているはずです。あの大災害のように…。だから、鍵をかけ締め切った。しかし、それだけを、つまり歴史的な現実だけを恐れてのことだったのか、と言えば、そうでもないように思うのです。つまり、心も閉ざして何人たりとも入れないようにしていたことも意味するのではないか、ということです。

私たちも心を閉ざしてしまうことがあります。誰の声も入ってこれないほどに、閉じこもってしまうことが。愛する者を、大切な人を亡くした時、私たちは慰めの言葉も受け付けなくなってしまうことがある。とてつもない不幸に襲われた時、誰も私の気持ちなど分かるまい、と善意を締め出し心を閉ざす。失敗をした時、大きな過ちをしてしまった時、自分を責めることに夢中になり、弁護の言葉さえも締め出してしまうことがある。そして、自分の惨めさを知った時。いかに自分が小っぽけな存在で意味のない人間なのか、と知らされた時、こんな自分であることを悟られることが恐ろしくなって心を閉ざす。弟子たちもそうだったのではないだろうか。愛する師、イエスさまが死んでしまった喪失感、絶望感。イエスさまに託していた夢、人生そのものが潰えてしまった失望感。イエスさまを見捨てたという罪悪感。たとえ囚われることになっても、命を落とすことになっても、決してあなたを知らないなどとは言わない、と大見えを切った自分の惨めさ。それらの心の殻は、イエスさまご自身をも締め出すものでもあったのでしょう。

ルカによる福音書では、復活のイエスさまを亡霊・幽霊だと錯覚したとの記事が載せられていますが、そういった思いがなかったとは言えないのかもしれない。たとえイエスさまの亡霊、幽霊であっても、来てもらっては困る、と。どうせ、恨みを晴らすために、怒りをぶつけるために来られるに違いないから、と。そして、彼らは孤独だったのかもしれない。弟子たちの何人がここに集まっていたのかは分かりません。しかし、恐らく誰も口を開かなかったのではないか。なぜなら、口を開けば、他の者を責める言葉、自分が責められる言葉しか出てこなかったでしょうから。最初に逃げ出したのは誰か、と。誰に責任があるのか、と。心のうちを打ち明けられない。自分の弱さを曝け出すことができない。それは、たとえ集団の中にいたとしても孤独なものです。そんなふうに、彼らは家の入り口に鍵をかけ、閉じこもっていた。後から来たあのトマスも同様です。彼もまた、鍵をかけ閉じこもっていた。

復活などとても信じられない、と。他の弟子たちには現れてくださったのに、なぜ自分の前には現れてくださらなかったのか、と、心を固く閉ざしていた。
その只中に、復活のイエスさまは現れました。鍵をかけ、家の中に、心の中に固く閉じこもっていたその中に、その只中に復活のイエスさまは来られた。「あなたがたに平和があるように」と。彼らが心底心配し、それゆえに固く閉ざしていたのに、イエスさまはそんなことには何一つ触れることなく、ただ「平和があるように」と祈り、祝福してくださった。これは、まさに赦し以外のなにものでもないでしょう。彼ら弟子たちの存在そのものが救われたのです。

みなさんは、「心の雪解け」を経験されたでしょうか。私の場合は、母との確執でした。母は大変厳しい人でした。他の兄弟たちには見られない厳しさを、私は受けてきました。それゆえ、幼い頃から母を求めつつも、恐れ、遠ざけてきた。そんな母が私に厳しくあたった理由を語り、謝ってくれた。私が18、9の時です。本当に雪解けとは良く言ったものです。私の冷たい、頑なになっていたものが、どんどんと溶けていくように感じました。全身の硬さがほぐれ、血が通う暖かなものになっていくのを感じた。もちろん、同じではありませんが、弟子たちにも、そんな頑なさが崩れていく、溶けていく、溶かされていく経験をしたのではないか、と想像するのです。冬の雪が溶けて、暖かな日差しの中で土が柔らかになり、草花が芽吹く春の大地のように。

もう、閉じこもらなくても良い。締め付けなくても良い。手をキツく握りしめ、頑なにならなくても良い。そんなふうに、何とかして自分自身を守り抜いて、保たせようとしなくとも良い。もう、全てを、洗いざらいを明け渡して良い。弱さも、醜さも、罪深さも、至らなさも、何もかも。なぜなら、もう責められることがないから。全てを赦し、こんな私を暖かく包み込んでくださる「復活の主」がいて下さるから。それが、それこそが、共に歩んできた私たちの主イエスさまの真の姿。それが、神の子の姿。だからこそ、そんな神の子の真の姿を味わった彼らだからこそ、罪の赦しの権限を授けられたのではないか。そう思うのです。

この物語は、誰もイエスさまを、復活のイエスさまを探しにいきません。誰一人として、です。むしろ、彼らはそんなことも出来ずに、ただ閉じこもるしかなかった。そこに、イエスさまが来てくださった。私たちには、この二つの物語り、マグダラのマリアの物語りと弟子たちの物語りが与えられていることに感謝したいと思う。そして、どちらの物語りにしても、結局はイエスさまの方から訪ねて来てくださっていることに心を向けたいと思うのです。私たちもまた、同じだからです。イエスさまが来てくださった。私たちの内に。不思議な力で。奇跡としか思えない方法で。だから、今の私たちがある。赦しと新しい命に踏み出していくことができる。そうではないでしょうか。

 

祈り

神さま。今、大阪をはじめとした関西方面が大変なことになっています。変異株による急激な感染者数の増加によって、医療現場、特に重症病床が逼迫していると言われています。また、この変異株は、従来型よりも感染力が強いばかりでなく、比較的感染しにくいと言われていた子どもたちも感染しやすいようで、また比較的若い30代、40代の人々でも重症化しやすいとも言われています。どうぞ、憐んでください。自粛疲れとはいえ、あまりに多くの人々が動き始めました。感染対策をしているとはいえ、やはり人の動きが感染を広げる原因になります。もう一度、意識を新たにして、うつらない、うつさないとの感染対策を市民一人一人がしっかりと意識づけていくことができますようにお導きください。

東京でも徐々に感染者数が増えており、しかも、変異株の割合が増えているとも言われています。明日から「まん延防止等重点措置」が適用されますが、感染が抑えられていきますようにお導きください。せっかく入学式も終え、これからという時に、また新型コロナの感染が拡大してしまいました。またどのような学校生活になるか、分かりませんが、新入生ばかりでなく、学生・学童・園児たちをお守りくださり、それぞれの歩みを豊かに送ることができますようにお助けください。

4月からこのコロナ禍に対応した教会学校の様々な取り組みがはじまっていますが、どうぞ子どもたちがイエスさまと出会っていくことができますようにお導きください。そのために奉仕して下さるお一人お一人の上にも、主の顧みがありますように。

主イエス・キリストの御名によって祈ります。

アーメン