むさしのだより「井戸端の戸」 外からの視点


「何事にも時があり,天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」(コヘレトの言葉3:1)
「時は今天(あめ)が下知(したし)る皐月かな。」(明智光秀、本能寺の変直前の句会)

両者、字句だけからはよく似た意味とも思えるが、実際に書いた人の意図とか背景はまるで異なる。必要な事柄などがなんでも書いてあるものを世間でバイブルと呼ぶように聖書の中には多種多様のメッセージが書かれている。その中の特定のものだけを捉えて自己流の解釈を加えればどのような持論・自己主張も正当化できるかもしれない。あるテーマに対して正論は常に複数あり、どれを採るかはその人次第となってしまうであろうか。ひたすらに終末論を述べながらしばしば勧誘に訪れるさるグループのことなど思うにつけ、常に多くの人と交わり、出来るだけ広く見て聴くこと、今流に言えば広く情報を収集して外(時には国の外) からも見ることの大切さを思うが、これがナントモ難しい。

(は)
 (たより2008年 3月号)