「やぶ睨みペトロ考」 平林 司

イエスの生涯の最後のところで、ペトロが三度イエスを否認したという話があります。このことについて、私は以前から「もし私がその立場にいたら…」という思いを消せずにいます。

ペトロが、捕われたイエスの一部始終を見ようと、人々の中に紛れこんでいたとき、大祭司の女中から「あなたもあのナザレのイエスと一緒にいた」と言われて、即座にそれを打ち消した。そのとき鶏が鳴いた。女中が再びこの人はあの人たちの仲間だと言い、ペトロはもう一度否定した。続いて別の人たちに「お前はあの連中の仲間だ」と言われ、三度「そんな人は知らない」と言ったとき、鶏が再び鳴いた。ペトロは「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」とイエスが言われたことを思い出して、いきなり泣き出した(マルコ14:66-72)。ルカは更に、そのとき「主は振り向いてペトロを見つめられた」と付け加えています(ルカ22:61)。こうしたペトロの“否認”は、ペトロの弱さ、裏切りとして解釈されているようです。しかし私の心の片隅には次の様な考えもひそんでいます。

ゲッセマネのあと、他の十人の弟子たちは「イエスを見捨てて逃げてしまった」(マルコ14:50)。しかしペトロはイエスの其の後をしっかり見きわめようとして、人々の中に入りこんだ。捕われた後のイエスがどの様に処遇されるか、その仔細を自分の眼で見届けて、仲間たちにも伝え、今後のことを考えるよすがともしたい、その義務がリーダー格の自分にはある、その様にペトロは強く感じていた。そして一人イエスの周辺に身を置いた。そこで周りの人たちから見とがめられた。ペトロとしては「いや知らない」とシラを切るほかなかったのではないでしょうか。「そうです」と言ったら引っ捕えられるだけですから。

聖書には、イエスを“否認”した後のペトロについては何も書かれていません。マタイ28:16には「十一人の弟子たちはガリラヤに行き」とあります。ペトロもその一人です。またマルコ16:14には「その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ」とあります。その他、使徒言行録1:3以下によると、エルサレムを離れずにいた使徒たちにイエスが現れ、教訓と励ましを与えています。そしてペトロが主導者として弟子たちをまとめていったことが分ります。

鶏の鳴き声を聞いていきなり泣き出したあと、ペトロはどうしたのでしょうか。私はペトロは居場所を変えて、こっそりと暗やみの中から、更には人込みにかくれて、イエスの最期の一部始終を、息をつめて見守っていたのではないかと思います。そしてその一切を、エルサレムに残っていた、あるいはガリラヤに散っていた、仲間たちに伝えて、あらためて主イエスの十字架の死の意義と重みを考えたのではないかと思います。イエスの死を最後まで、実際に、見守った者のもつ強いインパクトが、ペトロ自身のみならず、弟子たちの其の後の伝道活動に大きな力となり、導きとなったのではあるまいか。その様に考えてみるのですが…。

現実にイエスと共にいたときでもふらふらする弟子たちも居た。その人たちに「十二使徒」としての使命感と連帯感を与え、力をつけたのは、ペトロの「主の最期」の目撃(他人から聞いたのではない)の衝動の大きさに他ならないのではないか。ペトロはローマで殉教のとき、主イエスと同じ姿態では畏れ多いとて、逆さ十字架刑を望んだと言われていますが、それほど主イエスの十字架の重さ、自分の眼で見きわめたその非常さが、ペトロの心を大きく支配して、ペトロの其の後の行動と思念の基盤となった、その様に考えたいのです。するとペトロがイエスを三度否認したということは、ペトロの汚点などではなく、やむを得ない、首肯出来る成行きであった、というのが、やぶ睨みのペトロ考の結論です。

(イエスが振り向いてペトロを見たのも、あとを頼むよ、というメッセージだった、とまで考えるのはこれは行き過ぎでしょうね)。

(むさしのだより2005年 3月号より。平林司兄は戦前、日本ルーテル専門学校に学ばれた。)