宣教75周年記念説教集

あとがき 大柴譲治

宣教75周年記念説教集『祝宴への招き』

むさしの教会は2000年10月8日に宣教75周年を祝いました。それを記念して出版された歴代牧師7人による教会暦に沿った説教集です。


1925(大正14)年10月 4日、私たちは鷺宮のルーテル神学校の中に最初の礼拝を守りました。「日本福音ルーテル神学校教会」の誕生です。それから75年。1941(昭和16)年には阿佐谷教会と合同。1958(昭和33)年には現会堂が完成。その際に名称も「日本福音ルーテル武蔵野教会」となりました。1998年よりは通称名「日本福音ルーテルむさしの教会」をも用いています。この75年間、時が良くても悪くても、私たちは一貫して、福音の説教と聖礼典の執行とによって養われ、ここまで導かれてきました。75年というと単純計算で27,393日(閏年を18回数えています)となり、この間に3,913回の主日礼拝が守られたことになります。今私たちは、宣教75周年を記念して、これまでの歩みを神さまに感謝すると共に、これからの歩みをもすべて主のみ手に委ねつつ、一つのマイルストーンとしてここにこの説教集を公にしたいと思います。

ここにまとめられた説教にはどれもその基調音として「喜び」が響いています。キリストのセレブレーション(祝宴)に共に与る喜び。『祝宴への招き』というタイトルはそこから取られました。

この説教集には歴代牧師の中から、青山四郎(在任1941-57)、石居正己(1959 69)、ルーサー・キスラー(1966-86)、賀来周一(1969-90)、石居基夫(1990 96)、徳善義和(1996-97)、大柴譲治(1997-)という 7名の牧師によってなされた14編の説教が教会暦に沿ってまとめられています。当教会に関わった歴代牧師・宣教師としては他に、エドワード・ホーン (1925-35)、三浦豕(1925-41)、益田啓作(1957-59)の各牧師、ドイツからのヨハンナ・ヘンシェル(1964-66)、フィンランドからのヨハンナ・ハリュラ (2000-)という二人の信徒宣教師がおられます。また戦争中(1941-45)には、名尾耕作、青山彦太郎、北森嘉蔵の各牧師もお手伝いくださいました。その他にも、お名前を挙げることはいたしませんが、これまでに私たちの教会には多くの神学生や牧師、宣教師が関わってくださいました。当教会から献身された牧師もおられます。そのご家族をも含め、多くの方々のご奉仕の上に今のむさしの教会は存在しています。そのことをもここに記して感謝したいと思います。

この冊子をまとめるための実務はすべて、教会員の橋本直大兄が取ってくださいました。その労に感謝したいと思います。また、このようなかたちでこれをまとめることができた背景には、現在343号を数える『むさしの教会だより』の存在があります。これまで『たより』の発行に関わってくださった編集委員をはじめ、歴代の編集長に心から感謝してその労をねぎらいたいと思います。

そのような理由から、この説教集は75年にわたる協働作業(コラボレーション)の成果であるとも言えましょう。「大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です」(1コリント3章7節)とパウロが語るように、何よりも私たちはそこに働いておられる神さまの恵みのみ業に目を向けたいのです。それを踏まえた上で、今この小説教集をむさしの教会につながるすべての人のために捧げたいと思います。

神さまの祝福がお一人おひとりの上に豊かにありますように。

2000年10月8日  3914回目の祝宴の日に   s.d.g.

日本福音ルーテルむさしの教会  牧師  大柴 譲治

説教 「見えない世界と信仰」 青山四郎

宣教75周年記念説教集『祝宴への招き』

むさしの教会は2000年10月8日に宣教75周年を祝いました。それを記念して出版された歴代牧師7人による教会暦に沿った説教集です。


降誕日、クリスマス

 私たちは見える世界に生きている。自分を取りまいている家庭の親子兄弟、社会、仕事、生活から始まってあらゆる科学、文化、宗教に到るまで、ほとんど果てしがない。しかしよく考えてみると、見える世界の裏には、見えない世界が意外にひろがっている筈なのだ。それは神の世界、信仰の世界である。

 聖書を何度も読みかえしていると、見えない世界が少しずつわかってくるような気がする。その一つはクリスマスであろう。

 この頃町に出て驚くのは、クリスマスの飾りである。アドベントにもならない十一月のなかば頃から、東京の町はクリスマスツリーで飾られクリスマスキャロルが歌われ、クリスマスの特売がデパートをにぎわしている。いよいよクリスマスイブになると、銀座の店にはクリスマスケーキが山とつまれ、沢山の人々がそれを買って家に急いでいる。家庭の人々は、楽しいクリスマスパーティーのひと時を楽しむのだろう。ところが日本人の不思議な処は、クリスマスがすむと、さっと飾りを取りはらい、神棚や仏壇をきれいにしてお正月を迎える準備を始めることだ。日本人にとって、クリスマスは一体なんだろうと考え込む。

 聖書を広げてみると、まずイエスのお誕生だろう。イエスの母マリヤは、名もない田舎娘であった。このマリヤに天使が現れてイエスをみごもることを伝える光景は、沢山の画家が名画を描いていて、今では有名だが、実はマリヤ一人の秘密であり、感激であった。エリサベツ訪問のことも、二人だけの喜びにすぎなかった。ベツレヘムの降誕(クリスマス)も、誰も知らない馬小屋で、人間的にはいちばんみじめな場所で、こっそりマリヤはイエスを生んでいる。

 その時、無学だっただろうけれど、純真な数名の羊飼いだけは、天使のうた声を聞き、馬小屋を尋ねて喜んだ。また三人の博士たちは、はるばるイエスを尋ねて、宝物をささげた。いま聖書を読んでみると、この二つの事件は、大変大きなことのように考えられるし、また確かにそうであった。しかし、これは今の私たちには深い意味があるが、当時としては一般の世界の人々とは無関係なことであり、馬小屋にいたマリヤとヨセフの二人だけの喜びであったに違いない。

 イエスの母マリヤも、マリヤの愛につつまれて貧しい家庭に成長されたイエスも、どちらもこの世の見える世界に生きながら、恐らく隠された見えない神の世界につつまれて、そこに一番大きな喜びを実感しておられたに違いない。

 ルターと親しかった画家、クラナッハの面白い木版画がある。これを見ると、二十六枚の版画で、『受難のキリストと反キリスト』という題名がつけられ、イエスの生涯とローマ社会の支配者であるローマ教皇の生活ぶりが、皮肉たっぷりに描かれている。最初の「受難のキリスト」は、多くの人に尊敬されて王様になって下さいと言われているのをふり切って逃れておられるイエスの姿があるが、「反キリスト」の教皇は、地上の権力を持ち、まわりに大砲まで描かれている。五図ではイエスは弟子達の足を洗っているが、六図の反キリストの教皇は、まわりの人々に自分の足を接吻させている。十一図では、イエスは苦しい十字架の道を歩かれるが、十二図の反キリストは、美しく飾られた乗り物に乗って、多くの人々にかつがれて行く。二十一図のイエスは、この世のもののために来たのではない、という姿が描かれているが、二十二図では、教会は地上のすべてのものを持っている。最後の二十五図ではイエスはこの世から天に上げられるが、二十六図では、教皇は地獄に落ちていく姿が描かれている。

 当時は宗教改革で教会が大いにゆれ動いていた時代である。クラナッハが示しているように当時の教皇は教会だけでなく、一般の世界にも大きな権力を持っており、国王が教皇に会うために教皇庁の門前にひざまづいた事実が残されている。これでは教会は地上の見える世界に大きな力を発揮していたことが第一で、一般の信徒は、ただ司祭に言われるだけのことをして、見えない信仰の世界のことには無関心であった。宗教改革の時の免罪符の販売のことは、最もよくそのことをあらわしている。つまり免罪符を買えば、天国に入ることが出来ると宣伝され、ああ、そうかと、たくさんの人々が群がって購入して安心しきっていた。こんなことがルターの宗教改革の大きな原因になっている。

 こんなことを考えていると、人間というものは、どうしてこう直ぐに見えるものに頼るのであろうかということがわかってくるような気がする。ベツレヘムの馬小屋の中でのイエスの降誕は、ただこれを喜ぶのではなく、そこに隠されている見えない世界に入り込むのが大切のように思われる。それは一体どんなものであろうか。

 まず大切な点は、見えない創造主が、罪に苦しんでいる人間に愛の手をひろげて、これを救うためにみ子イエスを地上に送られたことである。これは見えない世界に私たちの目が開かれることによって、はじめてどうしてイエスが馬小屋でお生まれになったかが少しずつわかってくる。見える世界の問題としては、実際はまことにみじめな出来事である。とてもクリスマスツリーを飾って、ご馳走を食べるような楽しいことではあるまい。そして信仰の目が開かれてくると、私たちのために十字架の苦しみをうけられたイエスの生涯の第一歩は始まることが明らかになってくるに違いない。

 次に大事なことはマリヤの喜びであろう。田舎の生活になれていたマリヤにとっては馬小屋にイエスを寝かせることは、それ程いやな思いではなくて、むしろ喜びであったに違いない。窓から星の光が射し込んでくる。貧しい羊飼いが喜んで訪ねてくれる。それで充分であったであろう。それは、マリヤがイエスを身ごもったとき、エリサベツを訪ねて共に喜び、有名なマグニフィカトを残したことでよくわかる。マリヤには、この世界よりも目に見えない神様の世界の方がよくわかっていたようだ。

 マグニフィカトを読むと、マリヤは自分のような卑しい女を心にかけて下さったことを見えない父なる神に感謝しているし、その神は高慢な者を追い散らし、権力ある者を王座から引き下ろし富んでいるものを空腹にし、卑しい者、飢えた者に愛を注いで下さる、としるされている。なんという素晴らしいマリヤの信仰、見えない世界への心の広がりであろうか。こういう女性であったからこそ、父なる神はマリヤをイエスの母として選ばれたのであろう。私たちも、まずマリヤのような信仰の世界に心を広げていくことが、今こそ一番大切であろう。

 クラナッハの受難のキリストと反キリストの木版画は、教皇に対するなかなか厳しい問題を投げ掛けて、ルターの宗教改革の運動を助けている。ルターの著書を色々広げてみると、人間は信仰によって生きるのだから、目に見える教皇の権力や免罪符などに心を奪われるのではなく、罪を懺悔して神の見えない世界に目が開かれ、救いのめぐみにあずかることがどんなに大切なことかが、いろいろしるされている。

 クリスマスを迎えて一番大切だと思うことは、ただメリークリスマスと言って喜びあうだけでなく、そこには思い掛けないような見えない世界がひろがっており、それは十字架の受難の苦しみに通じるきびしい神の愛の世界であることをよく見極め、そこに飛び込むことであろう。

 こんなことを考えていると、クリスマスとは単なる喜びではなく、キリストの誕生によって、私たちの信仰の目が広く深く広げられるし、人生の苦しい本当の歩き方を教えられるのではあるまいかと思わされる。目に見える世界と見えない世界が、思いがけずクリスマスによって示されているのは意味深いことである。

(1987年)

説教 「人からの問い、神からの答え」 賀来周一

宣教75周年記念説教集『祝宴への招き』

むさしの教会は2000年10月8日に宣教75周年を祝いました。それを記念して出版された歴代牧師7人による教会暦に沿った説教集です。


待降節

マラキ書 3章 1~ 4節

 

アドベント(待降節)の季節を教会が迎えるようになると、毎日曜日、朗読されるペリコーペ(聖書日課)の旧約聖書も、キリスト来臨の預言を伝える個所が読まれるようになる。

今日は待降節第2主日、主の降誕を迎える日も近い。旧約聖書の個所は、マラキ書。旧約の最後にある預言書だ。旧約の諸文書の中では、年代的に一番新しい。学者達の調査によると紀元前500年頃ということだ。キリスト誕生よりもずっと前ということになる。預言者マラキは、旧約の一番しんがりに立って、アブラハム以来の自らの歴史をふりかえっている。静かに目をつむる。そうだ。いろいろのことがあったっけ。‥‥‥出エジプトのこと‥‥、シナイ山のこと‥‥、カナンの地‥‥、ダビデ‥‥、ソロモン‥‥、そしてバビロン捕囚‥‥、そして、解放‥‥、かぎりなく、旧約の歴史が絵巻物のように繰り広げられる。いま、その歴史の一番端に立ってマラキが見たもの、それは自分たちの歴史の歩みを素直に受け止めることが出来ない神の民イスラエルの姿だった。

当時の歴史的背景をちょっとばかり振り返ってみよう。538年、もちろん紀元前のことだが、イスラエルはバビロン捕囚から故国へ帰還する。やがて、エズラやネヘミヤによってエルサレムの神殿の再興がはかられる。けれども、ペルシャの支配は続き、信仰的にはさまざまの宗教的習俗が巷に流行し、この世的には良いことは少しもなく、悪いことばかりが続くようで、こころ定まる日はなかった。

マラキはこうした民たちの思いを、神に対する問いとして受け止めた。神から愛された民だというのに、神の愛は一体どうなったのか。そんな神に対して彼らは問う。「あなたはどんなふうに、われわれを愛されたか」と。せっかくの神への礼拝の捧げ物が喜んで受け入れられないのを嘆いて、「なぜ神は受け入れないのか」と言い、あるいはまた、悪いことをしているのに、あたかも主の前に善人のように見えるのを腹立たしく思い、「裁きを行う神はどこにあるか」と問う。

民たちは、問いつつも、その問いに対する答えを自分なりに作り上げてしまう。きっと神に問い掛けたところで何の役に立つかと思ったに違いない。問いだけあって、答えがないと思われるときには、問うた本人が、答えを出さねばならぬ。イスラエルもそうであった。

「神に仕えることはつまらない。われわれがその命令を守り、かつ万軍の主の前に、悲しんで歩いたからといって、なんの益があるか」(マラキ3:14)

神への問いが、むなしく帰ってくると思われるときには、「神に仕えることはつまらない」と答えるのが、一番手っ取り早くて、納得のいく答えにちがいなかった。

長い長い歴史の振り返りの最後に、希望に至る答えではなく、諦めの答え、しかも不信仰こそが、今納得のいく答えであることを発見するのは、マラキにとって、堪え難いことだった。

彼は、自らの名にふさわしく「わが使者」がやがて来るとの信仰を民たちの諦めにぶっつける(註 マラキという言葉はわが使者という意味である)。ある学者によると、マラキとは預言者名ではなくて、本の題名であるともいわれる。

そう‥‥、使者がやってくる。ずっと向こう側から、かなたから、使者がやってくるとマラキは言うのだ。それは、自分たちの側で用意した諦めの答えとは、ちがう。その使者がやってくるとすべてが一転する。

「見よ、あなたがたの喜ぶ契約の使者が来ると万軍の主が言われる。その来る日にはだれが耐え得よう。そのあらわれる時には、だれが立ち得よう。彼は金をふきわける者の火のようであり、布さらしの灰汁のようである」(マラキ3:1-2)

自らの歴史の振り返りが、神への問いで終わり、その答えが諦めの中で受け止められようとするとき、一切は逆転する。

真実が明らかにされ、諦めが希望に変る。「あなたがたの喜ぶ契約の使者が来る」からである。マラキは、この使者を指さす。ちょうど、バプテスマのヨハネが、キリストを指さしたと同じように、来るべきお方を指さす。

クリスマスの主は、こうして、民たちの「神に仕えることはつまらない」との答えに対して「喜び」の答えとして来たりたもうのである。しかも、あのつまらない飼い葉桶の中にである。

(1982年12月)

説教 「天の都に住む人々」 大柴譲治

宣教75周年記念説教集『祝宴への招き』

むさしの教会は2000年10月8日に宣教75周年を祝いました。それを記念して出版された歴代牧師7人による教会暦に沿った説教集です。


召天者記念主日

ヨハネの黙示録21章22~27節、 マタイによる福音書 5章 2~12節

『悲しみをみつめて』

『ナルニア国物語』で有名な英国人作家C・S・ルイスが、最愛の妻に先立たれたときに悲しみの中で書いた覚え書き”Grief Observed” が『悲しみをみつめて』という題で邦訳されています。そこには、悲しみのプロセスの中でルイスの心の動きが克明に、そして正直に記されていて心を打たれます。その最初に彼はこう書いている。

「だれひとり、悲しみがこんなにも怖れに似たものだとは語ってくれなかった。わたしは怖れているわけではない。だが、その感じは怖れににている。あの同じ肺腑のおののき、あの同じ安らぎのなさ、あのあくび。わたしはそれをかみころしつづける。また、別のときには、悲しみはほろ酔いか、あるいは震盪のような感じだ。一種目に見えぬ毛布が、世界とわたしを隔てている。わたしはだれの言うことも耳にはいりにくい。あるいはたぶん、耳に入れようと思いにくいのだろう。だれの言うこともまるで興ざめだ。それなのに、わたしはほかの人たちがまわりにいてほしい。わたしは家がからになった瞬間がこわいのだ。もし彼らがお互いに話しあって、わたしには話しかけずにいてくれるだけだといい。」(『悲しみをみつめて』新教出版社、5頁)

ルイスはしかし、やがて次のように考えるようになってゆくのです。

「わたしは死者もまた別離のいたみを味わうとしか思えぬのだが、もしそうなら(そしてこれは死者にとって煉獄の苦しみの一つだろう)、愛する二人にとって、また例外なく、すべての愛する二人にとって、離別は愛の体験のすべてに欠くことのできぬ一部なのだ。求愛の後には結婚が、夏の後には秋があるように、結婚の後にはそれがあるのだ。中途の切断ではなくて一つの段階、舞踏の中断ではなくて次の舞いの型なのだ。わたしたちは、愛する者の生きているあいだは、その者によって『自己の外につれ出され』る。それからその舞いは悲劇的な型にかわって、相手の肉体は姿を消しても、あいかわらず自己の外につれ出されるようにならねばならず、ふたりの過去を、ふたりの悲しみを、悲しみからの救いを、ふたりだけの愛を、愛することに舞い戻るのではなくて、彼女その人を愛するようにならねばならない」(同71~72頁)

召天者記念主日

本日は召天者記念主日の聖餐礼拝を守っています。お手持ちの週報に召天会員の名簿を挟ませていただきました。ここには 147名の方々のお名前がございます。この一年だけでも7名の方のご葬儀を私は執り行ってまいりましたし、先日は北森嘉蔵先生のご葬儀に川上さんたちとご一緒に参列してまいりました。愛する者を亡くされたご家族のお悲しみの深さを思うとき、私たちはただただ言葉を失います。この中にも、ルイスの書いた文章を人ごとには思えない方が少なからずおられることと存じます。

現在も一人の若い女性がガンのため最愛のご主人と病室で最後の時を過ごしておられます(注・福田千栄子姉は 11月4日に亡くなり、当教会でご葬儀が行われた)。今日明日が最後となると伺っています。あるいはまた、他にも何人もご入院中の方々がおられます。岡田神学生のお父様もガンとの闘病の中で、現在、ターミナルな段階を迎えておられる。ご看病に当たっておられるご家族の方々の上に神さまの支えをお祈りしたいと思います。

個人的なことをお話しすることをお許しいただきたいと思います。福山時代に親しくさせていただいた友人の奥さま香川逸子姉が一年余りにわたるガンとの闘病の末に10月22日に天に召されたというファックスを受け取り、私自身もこの一週間深い落ち込みを経験しています。そのカップルは一九九一年にご長女・知春ちゃんを四歳で小児ガンで失くされるという悲しい体験をされました。お二人とも福山YMCAの職員でしたが、その後奥さまは看護婦となるべく猛勉強を始められたのです。ようやく夢適って福山の国立病院付属看護学校を卒業した年の夏、去年の夏でしたが、ガンの発病を知ります。なんというタイミングか。電話で話したときの友人の「地上は寂しくなりましたが、天国は今頃さぞかしにぎやかでしょう」という言葉に私は心をえぐられる思いがしました。後に残された友・香川博司さんともう一人のお嬢さん・たりほちゃんの上に神さまのお守りを祈ります。

この中にも不治のご病気を抱えておられる方々、また、ご病人の看病に当たっておられる方々がおられます。最愛の人に先立たれた方も少なくありません。周りを見渡すと至るところでガンや様々な病気との闘いがなされている。そのことを思うとき、私たちは出口のない悲しみの中で嘆きたくなる気持ちになります。そのような状況の中で、私たちが死をどう捉えるか、復活をどう理解するかということが重要な問題となってきます。

残る「悔い」

この地上の生涯を閉じられた愛するご家族のことを思うとき、皆さまの中には様々な思いが去来することでしょう。先週も礼拝後に、「実は、亡くなった家内との結婚記念日で、礼拝の最初から最後まで涙が出てしょうがなかった」と私に語ってくださった方がおられました。またある方は、ご主人が亡くなられた時に病院から「どうしても遺体を解剖させてください」と依頼され断りきれなかったことを悔やんで、もう十年になる今でも、毎月命日にはお墓参りをしてご主人の墓前に「ごめんなさい」と謝っておられるというお話をお聞かせくださいました。

ああすればよかったこうすればよかった、また、ああしなければよかったこうしなければよかったという深い悔いが、故人を思うときに私たちの心には去来するもののようです。私たちの持つ「すまなかった、赦してほしい」という気持ちに対して、おそらく天の都に住む人たちは、「ありがとう、最後までよくやってくれた」という感謝の気持ちを持っておられるのではないか、そう思うのです。私たちはその時はよかれと思って、迷いつつも精一杯のことをします。しかしそれでも、後から思うと(結果が分かっていますから)いろいろ悔やまれることがでてくるのです。

“let it go”

「悔いのない人生を送る」という言い方はどうも私にはきれいごとに思えます。本当に悔いのない人生など送ることが人間にできるのか。自分を振り返ると、私の人生には悔いばかり残っている。あれもできなかったしこれもできなかった。ああすればよかったしこうすればよかった。牧師としても悔いが残ることばかりです。「悔いのない人生など送れない!」と思う。しかし、「悔いは残ったとしても、諦めのつく人生」ならなんとか送れるのだろうと思います。

英語では Let it go という表現があります。本来は「それ自身に行かせる、去らせる」という意味でしょうが、辞書を引きますとそこから「手放す、放り投げる」「解放する、自由にする」「構わないでおく、うっちゃっておく」そして「忘れる」という意味までを含んでいます。安易に “Let it go.”と言うと無責任になってしまいますが、これ以上悲しめないほど悲しんだり苦しんだりしているギリギリの場面で使われるとすればそれはたいへん慰めの深い言葉にもなります。そこには「諦める」とか「お終いにする」という意味が、さらには「お委ねする」「お任せする」というニュアンスが出てくるように思うのです。

「悔いは残っても諦めのつく人生」と言いましたが、それは「お任せする人生」「let it goの人生」でもあります。最終的には神さまに向かってすべてを委ねてゆく、神さまを信頼して生きる、そのような人生を私たちは信仰者として歩むよう召されているのだと思うのです。

神へと委ねる

悲しみや苦しみを神へと let it go する。それらを手放し、それ自体で去るに任せてゆく。私たちはすべてを神さまの御手に委ねてゆくことの中でそうすることができる。本日の第二日課であるヨハネ黙示録の「天の都」についてのみ言葉を聞くとき、私は特にそう思います。

ヨハネは都の中には神殿は見えない、必要ないと言う。なぜなら、「全能者である神、主と小羊とが都の神殿」だからです。そしてこの都には、それを照らす太陽も月も必要ない。「神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かり」だからです。諸国の民は都の光の中を歩き、地上の王たちは自分たちの栄光を携えて都に来る。「都の門は一日中決して閉ざされない。そこには夜がないから」だと語られている。信仰をもって召された者たちは、そのような「神の光の都」に住む人々とされてゆく。だからこそ私たちは、私たちの中に根深く残っている悔いやこだわり、悲しみなどをすべて神さまへと委ねてゆくことができるのです。

主の山上の説教の冒頭部分も同じです。「おめでとう、心の貧しい人々。おめでとう、悲しんでいる人々。天の国はその人たちのものである。その人たちは慰められるのだ」という言葉は、私たちの思いを遙かに越えて、神さまがすべてをよしとしてくださる世界が待っていることを告げています。神さまに委ねて行くことができる。

怖れに似た深い悲しみの中でこうルイスは書きました。離別は最初から愛の体験の一部であり、春夏秋冬の自然の移り変わりと同じように、結婚の後に必ず起こる出来事である。しかしその悲しみを越えて、愛は中断するのではなく、愛はいつまでも、どこまでも続いてゆくのだと言うのです。「愛は決して滅びない」(1コリント13:8)。ここには死を越えた真実の愛の姿が示されているように思います。愛は死によっても終わらない。完成へと向かって歩んでゆくのだと言うのです。このことが「わたしはよみがえりであり、生命である」と語りつつ、ラザロを復活させ、またご自身も死の壁を越えて私たちに神の究極的な生命を示してくださった私たちの主イエス・キリストが私たちに身をもって与えてくださった事柄なのだと信じます。

お一人おひとりの上に神さまの信仰と愛と希望とが豊かに注がれますように。 アーメン。

(1998年11月1日)

説教 「我ここに立つ」 石居基夫

宣教75周年記念説教集『祝宴への招き』

むさしの教会は2000年10月8日に宣教75周年を祝いました。それを記念して出版された歴代牧師7人による教会暦に沿った説教集です。


宗教改革主日

 ヨハネによる福音書 2章13~22節

 「我ここに立つ」。ルターが帝国議会に於いて、自説の撤回を求められたとき、これを決然と拒否して、最後におそらくそのように言ったとされている言葉であります。宗教改革者マルティン・ルターは、1521年に行われたウォルムス帝国議会に於いて、自らの信仰的立場をよりはっきりと告白しなければなりませんでした。

 すでに、彼は1517年10月31日にヴィッテンベルクの城教会に95箇条の提題を掲げ、当時の教会のあり方に対していわば討論の呼びかけをし、そこで彼自身の信仰を表明していたわけでありました。ご承知のように、これは当時広く行われていた贖宥券いわゆる免罪符の効力に対して、それを疑問視するものでありました。人間がその罪の赦しをキリストの恵みに於て受け取るにしても、それぞれに犯してきた罪の大きさ、度合いに応じて償いをしなければならないと考えられ、その償いはいわば天国とこの世の中間に位置する煉獄に於いて過ごすことによってなされると考えられていたわけであります。人はそれぞれにこの煉獄にある期間が罪の度合いとまたその人がどれだけ良いことをしてきたかという事が秤に掛けられて決定されるとすると言うわけであります。教会は聖人と呼ばれる人々のすばらしい功績をあずかっているので、それを人々に分けることによって、多くの人々の煉獄の期間を短くすることが出来ると教えたのでありました。その具体的手だて、方法として行われたのが、贖宥券の、免償符の販売でありました。人々はこれを買うことによって、煉獄にいる先祖の魂を天国に送ることが出来ると教えられ、いわばこれを買うことによって慰めを得たと言えますし、また教会はこれによって財を得ることが出来たのであります。ルターは、この極めて合理的でわかりやすい考え方に対して反対の立場に立つことを表明したわけであります。つまり、本来人は自分自身の良き業、功績を積むことに於いては救われないのであって、ただキリストの恵みに於いてのみ救われ、慰められるのであるという福音的立場に立ったのであります。

 教会が永い伝統のもとに築き上げ、人々もそれを当然のこととしていた一つの救いの道に対して、キリストのみによる救いが示される。それはまさに今日の聖書の箇所に記されているとおりであります。イエス様は、人々が46年もの時を費やしてやっと建てた神殿を倒したなら、三日でそれを建てると言われたのでありました。それは、この人の手によって造られた神殿に変えて、ご自身の死と復活の出来事が救いの拠り所であるといわれたのであります。

 先日、こういうご相談を受けたのです。自分は取り返しのつかない失敗をして、人を傷つけてしまった。自分も大変苦しい立場に置かれているのですけれどもそれは仕方のないこと。けれど、自分は赦されるのか。

 聖書から知らされているとおり、この福音こそは私たちの拠り所であるわけですが、当時のローマ・カトリック教会に於いては、このルターの言うところは全く教会の教えに背くものといわれたのであります。そして、ルターに対してこの自説を取り消すように求めたわけでありました。そして、これに応じないルターが破門され、のちにルターにつくものたちは、ローマ・カトリック教会に抗議・反対するものとしてプロテスタント教会が生まれることになるわけです。ここに歴史的な大きな出来事が刻まれることになるわけです。

 しかし、もとよりルター自身にとって、この展開は初め予想だにしなかったことだと言わなければなりません。ルターは、むしろ彼自身の内面的な葛藤を通して福音を見いだし、これを明らかにしただけのことであったわけです。彼は、当時の修道院としては最も規律正しい敬虔なアウグスチヌス派の修道会にあって、熱心に修道の生活に努めていたのでありました。しかし、彼はそこで魂の平安を得ることは出来なかったのであります。そして、聖書を読み、教会の教えるところではなくて御言葉そのものが語りかけてくるところに聞き従い、そのキリストによる恵みを見いだしたのでありました。

 私たちは、宗教改革という言葉にともすると引きずられ、何か教会を変えることとか、新しくしていくというイメージに魅力を感じたり、実際それを求めたりいたします。確かに、宗教改革は、教会の諸々の姿を変えていったのですし、そうした運動の広がりが人々の心を捉え、動かしていったのです。礼拝のあり方や教会の活動ばかりではなく、教育を初めとする市民生活の様々なことがらにまで新しい取り組みがなされていきました。ルターはその指導的役割を持って、かかわりました。けれども、一番肝心なことは、この時に、キリストの恵みのみが生きることの拠り所であるという真実が、もう一度語り出されたという事であります。そして、またその恵みを受け取るのは、何か良い業をすることであったり、教会に献金を多くすることであったり、免償符を買うというようなことではなくて、生涯にわたる深い悔い改めによるということが告げられたという事なのです。

 私たちは、この時にもう一度この信仰の深みを心に留めたいのです。

「我ここに立つ」。

 ルターは、まさにここが、自分の立つところとして、当時の教会の強い圧力にも耐え、その自分の信仰告白を取り消すことをしなかったのです。それによって、彼は破門され、帝国追放の刑を受け、実際にいつその命を奪われるか分からない危険を身に引き受けることになったわけです。彼はたった一人でも、この信仰を表明し、恐れることなくその歩みを続ける覚悟を表したのです。それは、彼自身の強い確信というよりも彼を捕らえたキリストの力によるというべきであると思うのです。ルター自身の内面的な葛藤から始まった宗教改革の流れは、このキリストに捉えられたればこそ、彼一人の中に信仰が働いて恵みに生きることを得させたのみならず、むしろ、本当に多くの人々に伝えられたのですし、またそれによって大きなうねりともなっていったのであります。

  私の内面的出来事、私ひとりの問題ではない。
  他者への愛と奉仕。キリストの愛によって。
  それがキリストに捉えられた信仰に生きること。
  我ここに立つ。
     神に対する信仰の表明であると共に、私を人に示していくこと。

(1995年10月29日)

説教 「隣人とはだれのことか」 石居正己

宣教75周年記念説教集『祝宴への招き』

むさしの教会は2000年10月8日に宣教75周年を祝いました。それを記念して出版された歴代牧師7人による教会暦に沿った説教集です。


聖霊降臨後第14主日

 ルカによる福音書10章23~37節

 主イエスとの問答の記録は、よく注意してみてゆく必要があります。人々がイエス様に聞いているのに、いつの間にか人々の方が主から問われている。問われているだけでなく押し出されてゆく。そうした問答の一つが今日の日課であり、そうした問答の中に「良きサマリヤ人」の譬があるのです。

 ある律法学者が「先生、どうしたら永遠の生命を受けられましょうか」と主に聞いてきました。イエス様は逆に「聖書の中には何と書いてあるのか」と聞き返されました。そして彼の答えに対し、「よろしい、その通り行いなさい。そうすればいのちが与えられる」とおっしゃいました。

 「その通り行いなさい。そうすればいのちが与えられる」と主は言われました。しかし実はそれが問題だから律法学者は聞いているのです。その通り行うということが、何を聖書が言っているかは判っていても、難しいから聞いているのです。律法学者がどれほど意識していたかは別として、「わかっているけど、できないでいる」という現実が彼の問いの背後にあることが、暴露されているのです。

 ところが律法学者はそのことから目を背けています。よく知っている課題があり、それが出来ないでいる現実がある。しかし、何かほかの近道か、容易な道はないものか。「何をしたらよいのでしょう」という問いには、そういう思いが隠されています。そしてイエス様の真正面からの答えに、彼はもう一度自分を弁護しようとしました。「私の隣人とは、いったい誰のことですか」。それに対してイエス様は、全く違った問いを、改めて律法学者に対してなさったのです。

 もともとイスラエルの人たちは、隣り人といえば自分たちの仲間であるイスラエルの人たちを考えていました。せいぜい自分たちの中に共に住んでいる寄留の他国人をも含めていたくらいのことで、それ以上には積極的に隣り人の範囲を広げて考えるようなことはありませんでした。ところがイエス様はいわゆる「良きサマリヤ人」の譬で、もう一度律法学者に問い返されたのです。

 エルサレムからエリコに下る途中、強盗に遭い着物をはぎ取られ、半殺しの目にあった人がいました。ひとりの祭司が通りかかったけれども、倒れている人の向こう側を通って行ってしまった。レビ人も同じく見て見ぬふりをして行き過ぎました。ところが、ひとりのサマリヤ人が通りかかり、日頃はユダヤ人とは付き合いもせず敵意をもっている仲であったのに、彼を見て気の毒に思い、近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒で手当てをし宿の世話までしてやった。この三人のうち、誰が強盗に襲われた人の隣り人になったのか。そうイエス様は問われました。

 私どももいつも全く同じように、自分を中心にものを考えてゆこうとします。神様のみわざについても、ほかの人々の行為についても、社会の問題についても、私を動かない基準として考えようとします。聖書は隣り人を愛しなさいというけれど、私にとって隣り人というのは誰のことだろう。そのように問いを発しようとします。ところが、イエス様は全く違った形で私たちに問い返されます。ここにいるこの人、この人の隣り人に誰がなろうとするのか。相手の方が中心で、動かなくてはならないのは私の方なのです。

 良きサマリヤ人の譬の中の誰として私は登場してくるのか。私たちはいつも心して考えなくてはなりません。しかしその時にもなお注意してみる必要があります。ここに強盗に襲われた人がいます。強盗どもはいち早く逃げて消え去りました。そしてその後、積極的な意味で登場してくることはありません。レビ人や祭司は、同じ道をたどってきました。「あのような愛の心のない者たちになってはならないぞ」と私たちは思います。しかし、この人たちは強盗に襲われた彼に対して加害者ではないのです。単に通りがかりの者にすぎません。旧約の法によれば、死体に触れることはけがれを受けることでありました。彼らは倒れている人を、死者として見たのかもしれません。自分にも同じ危険が迫っているかもしれないと恐れたとも思えます。この譬の中で、加害者である強盗はさっと消えてしまいます。あとには被害者と、被害者同様おびやかされた者たちだけが出てきます。そして、この被害者とおびやかされている者とが、どう関わらなくてはならないのかが問題なのです。私も危ないのだということで何もしないことを弁護はできないのです。

 事実多くの場合、だれが加害者でだれが被害者か明瞭でないことがあります。教育ママで、その子を一生懸命叱咤しているお母さんと、その叱咤されている子供と、いったいどちらが加害者で、どちらが被害者なのか。お母さんにしてみれば、この子がちっとも勉強してくれないから、心配で私はこんなに痩せてしまってと、子供を加害者にしたてようとします。子供の方は「ママゴン」などといっておびえているかもしれません。おそらくどちらも被害者意識を持っていて、実は自分がほかの人に迷惑をかけ、思わぬ影響を与えていることに気づかない。そのような状態が私たちの実情ではないでしょうか。

 サマリヤ人は、いわばそういう状況の中に入ってきたのです。彼はそのような被害者意識を持っていません。サマリヤ人はユダヤ人から害を被っていたし、敵意をもっている間柄が両者の間にありました。けれども、彼は恐れず、軽蔑せず「いい気味だ」とも思いません。強盗はいつまた出てきてこのユダヤ人の被害者のように、彼を散々な目にあわせるかもしれません。けれども彼は自分も危ない、同じ目にあうかもしれないと逃げてゆきません。この倒れているユダヤ人が、自分の心を重くする。関わりあいになりたくないが、見捨てるのも気の毒だ。いったいどうしよう。こんな心に負担を与える存在を憎んでしまう。そのようなこともありません。彼は極めて素直に倒れている人に近づいてきます。何も自分の責任ではない。しかし、彼はここにある事態に自ら関わってゆこうとしたのです。

 私たちは慎重に身構えて、何か助けを与えることの出来るような、かわいそうな人がいるかな、と周囲を見回します。誰を私の隣人としたらよいだろうと探します。自分は安全に保てることを前提に気の毒な人に何かの助けを与えて、それで十分満足してしまいます。自分もまた同様の危険にさらされている状況、心の備えのない突然の出来事には、極めて弱いのです。しかし、このサマリヤ人は違います。そして私たちもこのような事態の中でも、進んで関わってゆく、いつでも隣人となってゆく愛を、強く持ってゆかなくてはならないと思うわけです。

 けれども同時に、一番初めの事を考えなければなりません。律法学者は、聖書の言葉を知っていて実はそれを行うことが出来なかったのです。それだから、自分で確信が持てないから、イエス様のところへやって来たのです。しかし、彼はそこで自分を弁護しようとしました。その事が問題だったのです。実際知っていても、そのように行うことが出来ないというのは、お互いさまです。私どもも全く変りはありません。

 「だれがこの人の隣り人となったのか」。イエス様の問いかけの中に、二つの面を感じさせられます。私たちは、「あなたも行って、そのようにしなさい」というお言葉に対し、その通りしっかりともう一度受け止めてゆかなければならない。私たちの行為で応えてゆかなくてはならないと思います。しかし、私たちは、そこまで深く出来るのでしょうか。本当に私は隣人となれるのか、という心配が消すことの出来ない本音としてあります。イエス様は、私たちが出来ない者であることを、表面的にならとにかく本当に深い意味でできない人間であることを、知っていられるお方です。「あなたの答えは正しい。行ってそのとおり行いなさい」と言われたお方は、この律法学者が行うことは出来ない、否すべての人ができないということを、ちゃんとと知っていられるお方です。だからこそ、十字架のゆるしへと、私たちへの神の赦しの愛を示すように進んでこられたお方なのです。

 自分を弁護するのではなくて、自分が出来ないでいる者であることを告白しなくてはなりません。座して考えているのでなくて、行うように立ち上がってゆかなくてはならないのですが、行ってゆく時に、実は私自身が行うことができず、誤解され、打ち叩かれて、半死半生の道端に倒れている者であることをを知らされるのです。そして、誰が隣り人であるのか。私にとって、良きサマリヤ人である主イエスを、この譬の中で見てゆかなくてはならないと思うのです。それがこの譬のもう一つの面です。

 路傍の他人でしかない私に、何の関係もない様に見えた私に、ユダヤ人にとってサマリヤ人がそうであったように私にとって異邦人であられる、異なる人、天からの人、イエス様が隣り人となってくださるのです。愛をもって関わり、責任を負ってくださるのです。

 そして同時に私たちは、この主を私の隣り人として得たからには、自分の被害者意識をさっぱりと捨てなくてはなりません。私がどんなにみじめで、無力で、傷つき、半死半生の態であっても、その私が「良きサマリヤ人」となるように、主は求められます。主が私の隣人となってくださったからです。

 しばしば引用される個所ですが、マタイによる福音書の25章には、「私の兄弟である最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち私にしたのだ」というイエス様のみ言葉があります。それは主が人の仮面を通して私たちに近づいてこられることを示しているといってよいでしょう。私の隣人であり良きサマリヤ人であってくださるイエス様は、具体的なだれかれの人間を用いて私の手を引き、助け起こしてくださいます。そして、同じ主が、私もまた良きサマリヤ人であることを求めて、半死半生の人の背後にいられます。私の友人、私の先輩、知人である人を通してイエス様は私の隣り人です。私の助けを求め、私が手を貸すようにと求めている人たちに、私が隣り人となることによって、私はイエス様の隣人となります。私と私の隣人であられる主イエスとの間に、いっさいの人々がいます。私の隣り人として、私が隣り人となってゆかなくてはならない人々としています。私たちは、そのような関係の中に生かされているのです。

 主によって許されながら、またその主のみ言葉に従って、出来なくてもなお、そのとおり行いなさいと呼び掛けられています。私たちは今朝も、そのように呼び掛けられ、みむねに従って歩みだすようにと呼び集められています。そうすれば、いのちが与えられるという御約束のもとに。

(1969年8月31日)

説教 「愛、平和、喜び」 徳善義和

宣教75周年記念説教集『祝宴への招き』

むさしの教会は2000年10月8日に宣教75周年を祝いました。それを記念して出版された歴代牧師7人による教会暦に沿った説教集です。


平和主日

ミカ書 4章 1~ 5節

 旧東ドイツ、共産党の支配のつづいていた時代のことである。1980年代の初め、ヨーロッパは東西両陣営の、核弾頭中距離ミサイルの配備で緊張がつづいていた。配備されるのはそれぞれ東ドイツと西ドイツ、射程距離から言っても照準が互いに自分たちに向けられることになるのは明らかだった。

 その頃の東ドイツの教会は、1945年共産党政府ができてからの、陰に陽にの嫌がらせや弾圧のせいで、かつてほぼ100パーセントのプロテスタントだった状態から、人口の50パーセントを割る状態にまでなっていた。その教会が、ミカ4章3節の「剣を鋤に」を標語にして、平和を訴えつづけていた。シールやワッペンもあった。シールを車のバックウィンドーに張っていた人は、交通法規をたてまえに、警察によってはがされた。自分のジャンパーの背中にそれを大きく書いて歩いていた、キリスト者の青年は、別件で逮捕、拘留された。

 同じく東ドイツのライプツィヒ。バッハで有名なトマス教会から200メートル、市中心部のニコライ教会ではずっと長いこと、さほどの人が集まらなくても、毎週月曜夕に「平和の祈り」の礼拝が持たれていた。これが1989年秋、そこに人が集まり始めた。遂には聖壇の上にまで人が座るほどになったのである。人々はそこで平和のために祈り、平和について語りあった。政府も警察も軍もこれに目をつけて、監視し始めたが、この平和の祈りはうねりのように、ベルリン、ドレスデンなど大小の町にも広がっていった。機動隊が外で監視する中で守られた礼拝はあくまでも平和の祈りに徹することを強調するために、あるときは灯したロウソクを手に、あるときはバラの花を手に散会したとも言う。

 高まりは10月から11月にかけて最高頂。警察や軍の対応も厳しさを増した。10月後半からは一触即発、弾圧寸前の状態にまで至った。後で分かったことだが、第一線には発砲の許可まで出ていたという。ニコライ教会から、ゲンバントハウスオーケストラとオペラ劇場の間の広場に出て、平和の行進をしようとする信徒たち、市民たちにあわや実力による介入という事態にまで及んだ。その時、軍や警察と市民との間に割ってはいったのが、オーケストラの指揮者マズール(その夫人の父は日本聖公会司祭)や知識人たち。これで流血の惨事を免れただけでなく、やがてベルリンの壁崩壊(11月9日夜)という、歴史の大きな転換、変革をもたらしたのだった。文字通り、平和のないところに「平和を作る」運動と戦いだった。「平和の祈り」の果たした役割は無視できないのである。

 平和主日のための福音書の日課には、「平和」の文字はない。しかし、平和がどこに根拠をもつかがはっきり示されている。

 愛は働き、動くのだから、愛には方向がある。父なる神の愛からキリストの愛、そこから私たち互いの愛である。この愛のあるところ、この愛が働きつづけるところ、喜びが満たされる。この愛と喜びとの間に見えてくるものこそ、平和である。

 この根拠を得て、平和の祈りも可能になる。さらに平和の祈りは平和の努力ともなろう。神の愛、キリストの愛に心動かされ、心開かれて、隣人に心を開き、赦しを求め、また赦しあうことができるようにもなる。平和は抽象ではない。平和は私たちの祈りにおいてまず具体化し、ひとりひとり、また、心を合わせての、一歩一歩の平和の努力において具体化する。平和のために祈らなければならない。

(1996年8月4日 平和主日)

説教 「アメリカから里がえり」 L・キスラー

宣教75周年記念説教集『祝宴への招き』

むさしの教会は2000年10月8日に宣教75周年を祝いました。それを記念して出版された歴代牧師7人による教会暦に沿った説教集です。


聖霊降臨後第3主日

 日本に来ることは全然考えていませんでした。突然、日本に来ることになりました。

 皆さまもご存知の様に、私がここに立つ時賀来先生はたいてい、隣で説教を書いていました。私が日本語で説教を作ります時ほとんど私の日本語は完璧でありまして、わざわざ賀来先生がそこに日本語を加えまして説教をここでしておりました。

 逆に賀来先生がフロリダにいらしたら、同じ様なことを言われるでしょう。

 とにかく、色々なことを申し上げていますが、私にとっては喜びであります。

 最初、私の家内と家内の母が一緒に来るはずでしたが、一週間程前に役員会が開かれまして、あなたも是非日本に行くべきだと言って下さいまして、こうやってやって参りました。片道の切符を買ってくれまして、「もう帰ってこなくてもいい」とも言ってくれました。

 イザヤ書の11章の6節「小さい童に導かれ」という聖書の言葉があります。そして、生まれてきた私の孫の名前はアンジェラ・マリーといいます。この喜びに加えまして、今日ここで私が礼拝出来ますことは本当に感謝であります。フロリダにおります時も、喜んで日本に行くと申した次第です。

 フロリダにおります時は、武蔵野教会のことを話しておりました。まあ、おそらくは、武蔵野教会なしでは下井草はありえない、ということも話しておりました。

 私たちが想像する以上に、この教会の存在が証しをしている、と私は思っております。フロリダにおります教会の信徒達が聞きますことは、「日本のクリスチャンは、どういう風にしてクリスチャンになったのか」ということであります。「何故、クリスチャンになったのか」「キリスト者としての生活は一体、どういうものであるのか」「九十九%がキリスト教以外の仏教徒の生活の中でキリスト者として生きることは一体どういうことなのか」まあ、そのことに関して、私はずっと皆様方のことを話してきました。

 今日はここで皆様方もご存知ないかも知れない、武蔵野教会のことをお話ししたいと思います。

 この教会のご婦人のことですが、エプロンのお話です。彼女は大変キリスト者になりたがっていましたが、それが出来ませんでした。ご主人が反対されていたことや、教会に来る様になると仏壇の世話が出来なくなることが、その理由でした。日曜日に教会にいらっしゃる時には、エプロンをして、家族の方達には、「買い物に行ってくる」と言って、礼拝に出掛けていらっしゃいました。そして、教会に入って来られるすぐ前でエプロンを脱いで、入っていらっしゃいました。そして、教会を出られるとまたエプロンをして、家族には「買い物に行ってきた」と言うのでした。家族は何もそのことを知りませんでした。これは大変な物語であります。

 次に、クリスマスキャロルの話があります。クリスマスのイヴ礼拝は、池宮先生のご助力もありまして、キャンドルサービスをして、賑やかに過ごして参りました。白鷺ハイムに参りまして、大きな杉の木の下でキャロルを歌い、鈴木さんのお宅に伺ってカルピスを飲むことが常でありました。私たちがローソクを持ってキャロルを歌いながら歩いていると、近くの人たちは私たちが何をしているか、ということは分からないかも知れません。 初谷さんのお家にも参りました。初谷さんは、私たちが行く前に、箱いっぱいのミカンと焚火を用意して家の前に立って、私たちを待っていました。涙が初谷さんの目から流れてきました。初谷さんは若い時に、友だちに誘われてこの教会にいらっしゃいました。小学校の頃、『主われを愛す』を歌いながら教会学校に来ていました。中学校に入った後、誰も教会に、そして初谷さんも教会に来なくなりました。結婚されましたが、その後、大変な事故に遭われました。「一体、これ以上生きていてもしょうがない」ということで西武線の沿線をずっと歩いていって、飛び込もうとしたのです。飛び込もうとした瞬間、神学校の塔の上からチャイムが聞こえてきました。そのチャイムの音は『主われを愛す』でした。それを聞いたとたん、飛び込むことが出来なくなりました。また、何度か飛び込もうとしたのですが、また、チャイムの音が流れてきました。

 そして武蔵野教会の方へいらっしゃって青山先生に話をしました。青山先生が言われたことは、「あなたの事故ということは、そんなに大したことではなく、一番大切なことは、イエス様の愛があなたの心の中に輝いたことだ。そして、その愛が輝いていること、それが一番大切なことなんだ」ということでした。その事が契機になりまして、初谷さんは、洗礼を受けてクリスチャンになられました。教会学校の時代の『主われを愛す』のメロディーが初谷さんの命を救い、また信仰へと導いたわけです。クリスマスイヴの度ごとに、初谷さんの家の前で 焚火にあたりまがら、ミカンを食べていると、私はその初谷さんの物語を思い出すのでありました。

 その後、たいてい私たちは和田さんのお宅へ伺いました。お宅では、白菜のお新香を頂ながら、大変素晴らしい時を過ごして参りました。部屋の中ではテーブルを囲んで丸くなって座り、和田さんとご一緒に讃美歌を歌ったのであります。家の中には色々な物があって、私にとっては珍しい物ばかりでしたが、その中に一つのメダルがありました。和田さんは、日本の海軍の軍人さんでいらっしゃって、航空母艦から初めて飛行機を発進させた方です。

 また、大林さんのことを思い出します。何人の方が、大林さんの物語をご存知でしょうか。大林さんは大変有能な海軍の長官であられ、また指揮官であられました。終戦後、ラジオを通して天皇陛下の声を聞き天皇陛下は神ではない、ということを聞かれた訳です。そのことは、大林さんの人生の基礎というべきものが失われるということでありました。

 そこで、大林さんは今も日本におられる宣教師のネルソン先生に出会われた訳です。その時、聖書研究を共にされまして、旧約聖書の創世記一章をそこで学ばれました。『初めに神は天と地を創造された』。それを読まれた時に、世界を造られたのはまさしく神、その方に違いないことを知った訳です。そして、大林さんも偉大なクリスチャンとなられました。

 フロリダで婦人会の連盟大会がありまして、600人位の方々が集まった前で私はこうした武蔵野教会の事を色々お話しました。おそらく、武蔵野教会はフロリダ州で、有名な教会だと思っております。

 どうか、使徒行伝の11章から13章を見て頂きたいと思います。この個所には初代教会のことが書かれています。ここには、初代教会の素晴らしい証し人たちの働きが書かれているわけですが、それはまさしく皆様方と同じようなことが書かれていると思います。賀来先生がよく言われている「歴史上のキリストではなくて、歴史の中のキリスト」であります。賀来先生がそう言って下さったので、大変深い印象に残っています。

 使徒行伝13章1~3節に挙げられている名前が、大変印象的であります。武蔵野教会の中にも、川上さん、市吉さん、豊田さんと色々な名前があります。そういった名前は、まさしく初代教会の中のこういった人々と同じ一つの有様を示していると思います。例えば、バルナバのことを考えてみますと、背が高くてハンサムで、優れた説教者でありました。彼は全ての物を売り払い、全ての物を犠牲にしてイエス・キリストのことを宣べ伝えた偉大な人物でありました。全く賀来先生と同じようなご様子でないかと思われます。例えば、賀来先生は牧師でなければ、何か会社の社長であったり、大学の偉い先生であったと思いますので、そうでなくて賀来先生は教会の牧師、何よりも教会の牧会をしていきたいとしか思っていらっしゃらなかった、そうですよね、賀来先生?……という訳です。それは、日本のキリスト教の歴史の中で賀来先生の名前はバルナバと同じ様に、ここに書かれていると思うのです。

 次の人の名前はシメオンです。シメオンは、おそらく十字架を背負った人、それはすなわち皆様方の多くが、イエス様の十字架を背負っていらっしゃるに違いない。おそらく日本の教会にいらっしゃる皆様方はここに書かれているシメオンと同じようなお名前を持っていらっしゃるのだと、思います。

 ルキオはおそらくギリシャ人だったと思います。音楽家であったでしょう。池宮先生であったでしょう。池宮先生のお名前は、日本のキリスト教会の中に本当に大きな貢献をなさったということを表しています。

 マナエンは、お金持ちの人でありました。この中に、お金持ちがいらっしゃるかどうか分かりませんが、彼が持っております全財産を自分のためでなくて、キリストのために使うことを目的としておりました。

 パウロについては、岸先生のことを思い出します。パウロは偉大な学者でありました。岸先生は91歳になられたそうですが、今日は長野で特別伝道集会に出席されているそうです。

 皆様方はきっと、日本の初代教会の中の人たちと申し上げても良いと思います。3節を読みますと、「皆の者は断食と祈りをして」と書いてあります。ここにいらっしゃる皆様方は全てが、この地域に対して宣教師として派遣を受けていらっしゃると思われます。皆様方ご自身はお気づきにならなくても、皆様方はこの地域に大きな働きをなされているということです。皆様方の影響はこの地域社会に大変大きいのであります。

 次に、フィージー島に土地を買いましたひとりの水夫の話をしたいと思います。彼は、フィージー島に土地を買おうと思って、島の中を巡り歩いていました。フィージー島で何かいいことがないかと、歩いて見ていますと、人々が聖書をもって歩いているのが目に入りました。彼らはみんな、教会に行ってきたわけです。彼はそれを見て大変落胆致しました。彼は人々に「どうして教会に行くのですか?それで何かいいことがあるのですか?」と尋ねました。すると「いや、それはすでにあなたの為にいいことがなされているのだ」と返事が返ってきました。「一体、私のためにいいことがなされている、とはどういうことなのですか」と聞き返すと、「私たちがクリスチャンになる前に、もしあなたがフィージー島に来ていたなあらば、この島であなたは棍棒で叩かれテ、シチューに入れられてあなたは食べられてしまっていたに違いない。だから私たちがクリスチャンであるということは、あなたにとって、大変幸いなことなんです」と言ったということです。

 こうしたことは、私たちは分からないかも知れませんが、クリスチャンになるということが、影響力を持っているということをここで表していると思います。

 どうか、武蔵野教会が賀来先生に導かれて、地域社会に対して良き証しをされて、日本の初代教会となっていかれることを願っております。

 私がアメリカで、このような話をしますと、誰も眠る人がいません。

 本当にここで賀来先生とご一緒に説教できましたことを、心から感謝しております。

(1989年6月4日 初孫アンジェラ・マリー・スヌークちゃんの誕生を祝って来日されたL.D.キスラー牧師の説教。通訳は賀来牧師)

説教 「失せたものの発見」 石居正己

宣教75周年記念説教集『祝宴への招き』

むさしの教会は2000年10月8日に宣教75周年を祝いました。それを記念して出版された歴代牧師7人による教会暦に沿った説教集です。


聖霊降臨後第3主日

 ルカによる福音書15章 1~10節

 取税人や罪人たちが、皆イエスの話を聞こうとして近寄ってきました。ユダヤの古い律法の定めによれば、取税人、強盗、殺人、いかがわしい物売り、そういったものが罪人として記されています。しかし、そういう人たちだけでなく、広い意味で当時の人々が、あれはしてはいけないと考えていたようなことをやっている人たち全てを、罪人として考えていたと思われます。

 こういう様子を見ながら、パリサイ人や律法学者たちは、「罪人達と食事を共にしている」と、イエス様について批評をしました。人々の中に受け入れてはいけないような、爪弾きされる様な人たちを好んで自分のところに呼んで食事をするとは何ということだと言ったのです。

 この人たちの心には、イエス様に対する期待と自分たちについての自信があります。イエス様がこんな人々の仲間となられるべきではない。もっと立派な、恐らくは自分たちのような宗教的な人間を招いてくださるべきだと、彼らは心の中に考えたのだと思うのです。イエス様の中に、神様による権威を認めながら、自分たちの標準に合わないその行動に、ねたみ半分の批評をしたのです。

 その時、イエス様は有名な、また大切な譬を語られました。迷った羊の譬であります。羊飼いはいなくなった一匹の羊を追って、残りの九十九匹をそこに全部残して、捜しに出掛けてゆきました。おそらくはもう、いなくなった羊のことで頭が一杯になっていたのでしょう。野越え山越え、谷を渡り、林をわけて、その羊を捜しに行ったわけです。そうしてとうとう見つけた時、いとおしくてたまらず、自分の肩に乗せて家に帰り、それだけでなく黙っていられず、近所の人にも「一緒に喜んでください」と言って触れ回っているのです。

 ヨーロッパの有名な神学者ヘルムート・ゴルヴィッツァーという人が、ルカによる福音書の講解を書いています。そして、この羊の話の所につけた表題を、そのまま書物の表題としています。「神の喜び」という題です。それがこの話の、そして福音書全体の主題とされているのです。たしかに、私たちはここに、神がどういうことを喜ばれるのか、どのように喜ばれるかを学びます。神様のもとから見失われていたものが今見いだされる。それを喜ぶ喜びは、ひとり包んでおくことが出来ず、友人や隣人を呼び集め、「私と一緒に喜んでください」と、あふれ出る喜びなのだということが、私たちに告げられています。

 イエス様の譬は、その主題をしっかりつかまえてゆくことが必要なのですが、この譬を見るとき、それだけではないいくつかのことを考えても良いような気がします。この譬は、大変印象深い話ですけれど、話としてはいろいろな穴があるような気がするのです。

 羊飼いは、九十九匹を野原に残しておいて、迷った一匹を見つかるまで捜しに行くといわれています。昔から今に至るまで、この九十九匹について、あれこれ想像がめぐらされます。羊飼いは九十九匹をちゃんと檻に入れておいたのだとか、ほかの人が番をしていたのだとか、九十九匹自身がおとなしく待っていたのだとか、考えられています。私たちもこの九十九匹の意味することを、少し考えてもよいのではないかと思います。

 私たちが自分の状況を見てみると、ある意味ではイエス様の譬は譬として良い例が生かされているのだろうかと思わざるを得ない面があります。イエス様のみもとに確かに従っている羊は、むしろ一匹くらいのもので、他の九十九匹はどこかへ行ってしまったというのが実態ではないでしょうか。

 イエス様はイエス様は、この九十九匹を、皮肉な意味でパリサイ人や律法学者にたとえられたのかもしれません。主のもとに確かにいるのではなくて、羊飼いなる主のもとにいると自分で思っている人たちは、実は羊飼いを欠いている。自分たちは一番行儀の良い、敬虔な羊たちで、決して迷ったりはしませんと考えているパリサイ人や律法学者たちは、なるほどある程度の人数がおり、おとなしく神様のもとに集まっているように見えます。しかし実は、肝心な羊飼いは別のところで別の羊を捜している。実は羊飼いに本当に従っているわけではない。私たちはちゃんとイエス様のみ旨に従ってここに集まっております。間違ったことはいたしません。そうそう迷いもしません。そのように私たちが考えながら、羊飼いが散々苦労して迷った一匹を捜しているのを知らず、あるいはその苦労をただ迷った羊のせいにして、自分たちは知らぬ顔で、自分たちの交わりの中でじっと心を暖めあっている。それでは、本当の意味で羊飼いに従っている羊たちとはいわれないのです。

 羊たちはよい羊飼いの声に聞き従ってゆくのだとイエス様は言われました(ヨハネ10・3~5)その羊飼いが迷った羊をたずね求めて出掛けてゆくのなら、私たちもそれに従ってゆかなくてはならない面があります。人口の一パーセントに満たない位しかクリスチャンのいない我が国では、数的にいえば九十九匹の方が失われた羊であるかもしれません。当時のユダヤの場合は多少違っていたかも知れませんが、それでも迷っている者の多いのが、いつの時代、どの場所でも事実だったと思うのです。それだけ捜し求める主のみわざに従う必要があります。

 それと共に、一匹が迷っていると主がいわれたことの中には、数的な問題でない確かな意味があります。迷っているのは、何よりも先ず私自身です。ひとりの私です。羊飼いである主が、私一人に問い掛け、近づいて来てくださるのを見てゆかなければなりません。沢山の中で、どうでもよい一匹としてしか考えられていないのではなくて、私たち一人ひとりに、主は全力を注いで尋ね求められます。獅子が一匹のウサギを捕えるのにも全力を尽くすと言われるように、この羊飼いは私という一匹に向かってこられます。

 もし人が全世界を得ても、自分の魂を失ったらどうなるだろうと、イエス様は言われました。他の人と比べてそんなに価値のあるとも思えない、よい仕事をするとも保証できない私に、しかし何者にもかえがたい肝心な一匹であるように対してくださいます。私の魂が失われないようにと向かっておいでになります。失われた一匹の羊は、まさしく迷いだすような勝手な心しか持っていません。黄金の羊毛を生やしていたわけでもありません。数からしても、その性質からしても、それがうみ出すものを考えても、どうでもよい、取るに足らない一匹に、イエス様は全力を注がれました。み子自身が与えられました。十字架がその一匹でしかない私に向かって立てられたのです。

 神の大きな喜びの前には、大きな悲しみが先行しています。それは愛の悲しみです。一匹の羊自身の持つ価値によってではなく、迷った一匹に関わってゆく愛の悲しみであったのです。羊にかけられた神様の愛が、これをかけがえのない一匹としたのです。そしてこれを見いだして喜ぶのも、神の愛の喜びであります。

 けれども、私たちはまた、迷った羊を捜し求める神の追求がここに示されているのですが、むしろ逆の面もありはしないかと思います。私たちは何とか正しい、よい羊飼いを求めています。確かに信頼できる神様を見つけようと、私たちが探しているという面があるのではないでしょうか。あちらこちらと、まことの神を尋ね求めていた私たちが、ついに神に出会った。そういう譬もっ聖書にあってもよいのではないか。その方が私たちの実感にあっているのではないでしょうか。

 創世記第三章には、罪を犯したアダムとエバがかみさまのみ顔を避けて茂みの中に姿を隠したと記されています。神様はおいでになって、「あなたはどこにいるのか」と尋ねられました。しかし、神様は聞かないとどこにいるのかお分かりにならない、薮の中に隠れた人間を見分けることの出来ないお方ではない筈です。一匹の羊がどこに倒れているのか、分からないような方ではない筈です。ようやく見いだしたのは、羊飼いがあちこち捜した揚げ句だというよりも、実は問題であるのは、羊の方がようやく捜し求めていた羊飼いを見いだしたということではないでしょうか。

 神様のもとから迷いだしているのは、いわゆる罪人や取税人だけのことではありません。すべての者が、私たちみんなが、神様のもとから逃走しようとしているのです。そして、捜し求めてくる羊飼いである主をあくまでこばもうとしています。私たちが迷い疲れ、悪あがきをやめて、もう逃げおおせないと観念するとき、私たちは意外に身近に、私を捜し求め、恵みのみ手をのべてくださる主を見いだすのです。私たちが見いだしてゆくのでなく、私がだれによって見いだされ見守られているかを知らされるのであります。それはパウロが「今では神を知っているのに、否、むしろ神に知られているのに」(ガラテヤ4・9)と言う通りです。イエス様も「あなたがたが私を選んだのではない。私があなた方を選んだ」(ヨハネ15・16)といわれました。私たちの実感の裏に、神のみわざの側面を見てゆかなくてはなりません。私たちが自分でする、自分で出来ると考えて進んで行こうとする時、いつも不安につきまとわれます。

 自分で出来る、私はこれだけ人から期待されているのだから、クリスチャンなのだから、と思ってやってゆこうとすると、どれほどのことが出来るのか、限りがないじゃないか、もともと自分に力があるのか、と不安にされてしまいます。そうではなくて、羊がとうとうくたばってもう動けないという状態になってしまったように、ジタバタしても駄目だと観念する時にそんな私をも、この羊飼いは見つけて、背負って帰ってくださる。私たちの罪を、私たちが出来ないでいることを、主は拾い上げて背負ってくださる。そういう風に見いだされることを見いだしてゆきたいのです。

 羊飼いは喜んで羊を肩に乗せ、家に帰ったと主は語られます。しかしこの言葉にも考えさせられます。背に負われたというのは、どういうことによってであったのでしょう。羊がもうのびてしまっていたので、かついでゆかざるを得なかったのか、頑固でまだ逃げようとするので、無理やりに背中にのせたのか。

 イザヤ書の9章には、預言者がメシヤについて述べている個所があります。「ひとりのみどり子がわれわれのために生まれた。まつりごとはその肩にある」。まつりごとはその肩にあるというのは、もともと王様が支配の権威を示すしるしを、ストールのように肩からかけていたことによったのでしょう。ルターはこの個所の説教で、まつりごと(政事)、支配、神の国は、キリストの肩に負われている。キリストの力と恵みに背負われていることによってこそ、神の国である。といいます。私たちも主に負われなくてはならない者たちです。背負っていただかないと動けませんという者かもわかりません。頑固で、無理にもかついで行っていただかないと仕方がないという者であるかもしれません。多かれ少なかれ、この二つの面を兼ね備えているのが私たちの実態であるかも知れません。

 いずれにしても、主は本当に喜んで背負ってくださるのです。私たちも自らを背負われている者として見いだしてゆくべきです。一匹を失ったことに大きな悲しみを覚えられる主が、一匹を回復した大きな喜びを告げられます。

 神の喜びに与るように、神の喜びのもととなるように、私たちは呼び掛けられています。悔い改めへと招かれています。動けなくて泣いている者も、とうとう主に捕まったと半ば悔しく、半ばは本当の安心を得ている者も、神の大きな喜びの中に合わされるよう、「一緒に喜びなさい」といざなわれています。主は私たちを見つけていてくださる羊飼いです。その方の喜びの問い掛けに、私たちも応えなくてはなりません。本当にこの主に喜ばれる一匹に自らなってゆきたいと思います。

(1969年6月22日)

説教 「聖霊に満たされる喜び」 青山四郎

宣教75周年記念説教集『祝宴への招き』

むさしの教会は2000年10月8日に宣教75周年を祝いました。それを記念して出版された歴代牧師7人による教会暦に沿った説教集です。


聖霊降臨日

ヨハネによる福音書 7章37~39節

 

今日は聖霊降臨日である。これは私達イエス・キリストを信じこれに仕えるものにとっては、大変に重大な意味を持つ日である。

教会暦を見るとよく分かるが、一年間の教会暦は、クリスマスの前の四週間が降臨節(アドベント)で、毎年の十二月始め頃の日曜日降臨節第一主日から始まる。そして十二月二十五日にクリスマスの祝日があり、そして顕現主日、受難節がつづき、イエスが十字架につけられ、私達のために生命を捨て、復活し、六週間地上にあって時々弟子達に会い、やがて天に昇られた。前の日曜日がそれ。そして今日は、地上にある私たちのために聖霊を降臨させて下さった。大変意味の深い記念日である。

念のために言えば、イエスのお生まれになったクリスマスは毎年十二月二十五日で変りはないが、復活日は毎年違う。古い記録によると、丁度春分の日(三月二十一日)のあとの満月後の最初の日曜日にイエスは復活されたので、そのことから春分の日から、いつ満月が出るかによって、毎年復活日は違っている。それによって、今年は三月三十一日(日)が復活日であった。

こうした一年間の教会暦の移り変わりは私たちの信仰生活にとっても、すばらしい体験である。

使徒パウロが、コリントに住む人々に送った手紙の結びに「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように」、という祝祷をしるしている。この言葉は、それ以来二千年の間、全世界のキリスト信者にそそがれている祝祷で、今日のペンテコステの聖霊と共に、父なる神と、み子イエス・キリストの三位一体の信仰が、大変明らかになっている。

「父なる神」

父なる神は、私たちには見えない存在であるが、この宇宙の世界の創造者である。この大きな宇宙を見、この小さな地球を見ると創世記にある次の宇宙と地球の創造と、地球の土地と海、植物と動物、人間の創造の記事が本当にすばらしいものであることが分かる。近く行われる西恵三先生のお話が楽しみ。神は大きな愛の手をのばして、私たちに生命を与えて、守っていて下さるのだ。

「主イエス・キリスト」

神はみ子イエス・キリストを地上に生まれさせ、地上に住む人々のため、罪人と共に住み、神の愛を教え、やがて自分のすべてを捧げて人々の罪を贖うため十字架につけられ、苦しめられたのち復活されたのが最大の出来事。これはキリスト教会が、シンボルとして十字架を掲げていることがそのしるしでもある。

ここでイエスの弟子ペテロのことを述べておきたい。ペテロはイエスのお弟子としては、最上の人物であったことは、御存知の通りである。ところが師匠のイエスがピラトのもとに捕えられ、きびしい取り調べをうけている時、心配したペテロは近くのところにこっそり来て様子を眺めていた。ところがそばにいた人物が、ペテロを見て、「お前はあの男の弟子の一人ではないか」と言った。あっと思ったペテロは、それを打ち消して「あなたが何を言っているかわからない」と横を向いた。記録によると、三回これを繰り返したところ、ペテロは「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度私を知らないと言うだろう」と言うイエスのお言葉を思い出して、泣き出したと、マルコによる福音書に記されている。

またイエスは復活後、いろいろの人々の前に姿を現しておられる。

ヨハネ21:1-14を読むと、漁をしていたペテロは、不漁であった時、一人の人物が現れて「舟の右側に網をうて」と言われ、網をうったら、沢山の魚が取れた。すると一人の男が「あれはイエス様だよ」と言うと、ペテロは、裸のまま水に飛び込んだ、と記されている。

ペテロのような偉大なお弟子が、こんなことをしていたというのは、はるかに愚かな私たちにとっても、大きな問題である。

「聖霊」

こんなことがあって、イエス・キリストを天に送り、今日は聖霊降臨(ペンテコステ)を迎える喜びの日である。聖霊が私たちの一人ひとりに下って来て、すばらしい世界が開けてくるのだ。恐らくペテロは、この日を迎えて偉大な教会の指導者としての活動を始めたのであろう。聖霊が一人ひとりにやどって、新しい生ける力を与えて下さったのである。

今日の福音書の日課、ヨハネ7:37-39は、イエスが、やがて十字架で死に、復活して昇天してから後のことを、言われているようだ。

「渇いている人は、だれでも私のところに来て、飲みなさい。私を信じる者は、聖書に書いてある通り、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」。この中の「聖書に書いてある通り」と言うのはイザヤ44:3かも知れない。これによると「私は渇いた地に水を注ぎ、わが恵みをあなたの子孫に与えるからである」とある。これはイザヤがヤコブに言われた言葉であるがこのような聖句を引用して、イエスはそんなことを言われたのであろう。

ヨハネはこのあとで、「イエスは御自身を信じている人が受けようとしている霊(みたま)について言われたのだ」(ヨハネ7:39)と書いている。まだ地上生活をしておられたイエスは、自分が十字架で死に、復活し、昇天してから、聖霊が皆の者に下ってくることをちゃんと心の中で御存知であったことをヨハネは信じていたのであろう。

私のような平凡な人間どもはいつも失敗を繰り返して罪を犯し、ペテロ等には及びもつかぬ者たちである。

讃美歌249番には、こんな歌詞がある。

一、われ罪人の   かしらなれども
主はわが為に  いのちを捨てて
つきぬ命を   与え給えり

四、思えばかかる  罪人われを
捜し求めて   救いたまいし
主のみ恵みは  限りなきかな

私たち人間は、神様の前では確かに罪人のかしらである。しかhし私たちのために十字架にかかり、復活された主イエスを信じて聖霊にかこまれるなら、内から生きた水が川となって、流れ出るようになるのだ。

使徒行伝2:1-4の聖句も、今日の日の大きな恵みの姿である。

五旬節ーペンテコステが来たので、イエスを天に送った者たちが一つになって集まっていると、天から大きな音がひびきわたり、炎のようなものが一人ひとりの上にとどまった。そして一同は聖霊に満たされたと記されている。

聖霊に満たされるというのは、実質的には一人一人の信仰の問題であって、罪の多い人間が、自分のわざによるのでなく、神によって支えられ、導かれ、永遠の生命に進む姿を示すものではないか。

「むすび」

今まで述べてきたように、父なる神とみ子イエス・キリストと聖霊の三位一体の姿は、教会暦で示されているように、毎年毎年私たちが迎える大切な行事であるが、その中の聖霊降臨の今日の日は、わりに見過ごされたり、軽く取り扱われたりするのではあるまいか。

この日を迎えることは、クリスマスや復活日の賑やかさにくらべて、割に全体的に静かである。しかし大事なことは、実は今日だけではなく、今地上生活をしている罪人である私たちの生涯の全てが実は聖霊によって守られ、聖霊のまじわりの中にあると言うことである。

やがて神の国が喜びに満たされた私たちを迎えて下さるに違いない。

(1991年5月19日 聖霊降臨日)

説教 「ほんとうの権威からの祝福」 徳善義和

宣教75周年記念説教集『祝宴への招き』

むさしの教会は2000年10月8日に宣教75周年を祝いました。それを記念して出版された歴代牧師7人による教会暦に沿った説教集です。


昇天主日

 ルカによる福音書24章44~53節

 イエスの時代、人々がまだそれだけを「聖書」と呼んでいたものは、まだ、我々の呼ぶ旧約聖書にまで至っていなかった。「モーセの律法と預言者の書と詩編」(44節)とイエスのお言葉にあるとおりである。旧約聖書が諸書の部分で確定して今のような構成になるのは、イエスの時代ののち、一世紀の終わりごろである。ただ、律法と預言書は、前期預言書としての歴史書を含めて、詩編と共に今のような形だった。イエスはこの中に、ご自身において実現、成就する、神の救いの働き、救いの歴史があることを見て取っておられたのである。それも当時のユダヤ教の正統的の立場からすれば、注目するに値しない二点においてである。すなわち、メシアの苦難と復活という二点である。イザヤ書53章とホセア書6章への注目である。

 イエスがこのように、ご自身についての預言とその成就を語られたとおりに、ことは成った。そのことを復活の主からあらためて聞いた、その延長線上に、弟子たちの宣教があった。宣教はこのこと、イエスの苦難と復活とを宣べ伝える事であって、ほかの何を伝えることでもない。さらに宣教とは、信仰や教会に関わるすべてのことと同様に、主なる神がことを起こされ、働かれるものである。だから、弟子たちへのイエスの言葉はこのことを、「あなたがたは宣べ伝える」と言われずに、「宣べ伝えられる」と受け身の動詞形で告げている。弟子たちはこのことの証人であるに過ぎない。彼らの宣教はこのような証人としての働きにほかならないのである。

 証人として托された働きに導かれる前に、弟子たちはなお暫くの時待たねばならない。都に留まらねばならないのである。神の霊による整えが、これこそ神の恵みの働きとして実現するまでのことである。それが実現する とき、「弟子たち」は「使徒たち」になる。イエスについて書かれた書(ルカ福音書)は、第二巻の「使徒言行録」として展開されることになるのである。

 この待ちの時間を、主イエスは祝福で満たされる。この待ちの時間に主は弟子たちに課題や宿題をお与えにならない。欠乏に陥らないため、糧食で満たすのでもない。祝福を与えて待ちの時間を過ごす弟子たちをこれで満たしてくださる。己に属する者に、本当に必要なものを与えることができるということ、実はこれが「ほんとうの権威」ではないのか。この権威を、祝福においてとらええた使徒たちと教会とは、やがて四世紀、権威ある主の祝福をこのように表現することができたのである。

 主があなたの前におられるように、あなたに正しい道を示すために。

 主があなたの傍らにおられるように、あなたを胸に抱き、守るために。

 主があなたの後ろにおられるように、あなたを悪人のたくらみから守るために。

 主があなたの下におられるように、あなたが倒れるとき助け、わなから救うために。

 主があなたの中におられるように、あなたが悲しむとき、慰めるために。

 主があなたを囲んでおられるように、他の人々があなたを襲うとき、防ぐために。

 主があなたの上におられるように、あなたを祝福するために。

 いつくしみの神がこのようにあなたを祝福なさるように。

(1996年5月19日)

説教 「燃える心」 L・キスラー

宣教75周年記念説教集『祝宴への招き』

むさしの教会は2000年10月8日に宣教75周年を祝いました。それを記念して出版された歴代牧師7人による教会暦に沿った説教集です。


復活後第2主日

 ルカによる福音書24章13~35節

 神様の愛、イエス・キリストの恵み、聖霊の交わりがあなた方と共にあるように。アーメン。

 先ず最初に少しだけ日本語で話をさせて頂いて、その後は賀来先生に皆さんがはっきり分かるように通訳していただきたいと思います。私が英語で言います時に。私の言うことだけじゃなくて、良い言葉に直して下さい。(笑)

 この説教台、この教会は本当に懐かしくて何よりも皆さんに感謝したいと思います。もう一度お会いできて何よりも、長い間こちらでご奉仕をさせて頂きまして、今日色々なところから、武蔵野教会とか、バイブルクラスのメンバーとか、日大二高とかからいらして頂きまして本当に感謝いたします。私は今日自分で約束したのですが涙を出さないよう決心しましたけれども、そのかわりみんなニコニコして下さい。その方がよさそうだろうと思います。家内はどうなるかなあと思います。懐かしい方たちがいっぱいですので。礼拝後こちらで集まりがありますのでその時に何年かぶりですのでいろんな事がありましたのでその間の事をお話しして下さい、私たちもその間の生活の事を話させて頂きたいと思います。

 それでは賀来先生は「かく」でしょう。私は「キスラー」だから「かき」先生に説教させていただきたいと思います。

 最初に少し聖書の話をしたいとおもいます。

 イエス様の二人の弟子がエマオという村に行く途中の話であります。ここ数日の間にエルサレムで起こりましたいろんな事を互いに話し合っておりました。ところが突然もう一人の人が一緒に歩き始めました。

 その人と話し合っておりますと、何か心の中が内に燃えるような思いがいたしました。さらに歩きながらいろんな話をしておりました。それで、そこに一晩泊まることにいたしまして一緒に食事を共にすることにいたしました。一緒に歩いていた、もう一人の人は食事の時にパンをとって裂きこれを祝福して皆に与えました。パンを裂くということからこれは復活なさったイエスだということが良く分かりました。復活なさったイエス・キリストがいらっしゃることを知って、心がまことに内に燃える思いがいたしました。

 まことに復活の主が共にいまし給うということでありました。彼らの信仰は堅くされまして、主の弟子として宣教の任に遣わされていく事を確かにしました。

 このことは実は私どもにも起こることでもあります。今日は特に私たちはこの場で聖餐式を共にいたします。聖餐を共にいたします時、私たちの心は燃えて、ここに主がいまし給う事を知るのであります。そして私たちはここに同じような体験を共にいたします。

 私どもがそうであります。ここで私は自分のことを申し上げたいと思います。それは十八歳の時のことであります。私は東京で軍隊におりました。私の父は神学校におりました時に一人の友人を持っておりまして、その人の名前は「あさじのぼる(浅地昇)」という方でありました。父は「息子が東京にいるようだから教会に連れていってくれ」と手紙を出したようでありました。ある日曜日の朝、私のところに参りましてドアをノックいたしました。その人は「これから小岩の教会に行こうじゃないか」とおっしゃいました。東京駅から電車に乗りまして、それは大変混んでおりまして足の踏み場もないほどでした。それは初めてアメリカ人とその仲間から離れて、たった一人で日本人の中に入る体験でありました。大変びっくりし恐れました。いったいどうしたら良いか分かりませんでした。

 小岩に着きまして町に出て教会の玄関に参りました。それは牧師の家でありました。それは戦災で焼けて教会がなかったからでありました。十五人くらいの人の集まりでした。椅子に座るようになっていて、第一に讃美歌を歌いました。それは私も知っている讃美歌でした。さっき歌った「麗しき我が救い主」でした。それはずっと小さいときから歌った讃美歌でした。皆は日本語で、私は英語で歌いました。牧師は立って小さいノートを見ながら説教しておりました。これはどこでも同じことだなぁと言うことです。そして主の祈りを祈り始めました。最初の言葉は「天にまします、われらの…」それは「私たちの」という意味であります。そこにいるのは日本人、違った人たちであります。しかし「私たちの」と申しました。「私たちの父」と。これは本当の事だろうか、ここにいる人たちは私たちの敵ではなかったか、でも、一緒に座っていて「私たちの父」と言っている。私は見回して敵がいるのに家族がいるような気がいたしました。ここにいるのは自分の本当の兄弟であり姉妹であるのではないだろうか。これこそ私の最初の信仰的体験でありました。

 その時私の心は内側で燃えました。それは丁度このエマオ途上での弟子達と全く同じ体験でした。このようにイエスが心を内に燃やして下さいましたから、いつかまた日本に戻って来ようと思いました。おそらく皆様方もこう言った同じような体験をしていらっしゃる事と思います。

 私はペンシルヴェニアのアーレンタウンに戻りましてミューレンバーグ大学に入学いたしました。私はチャペルのチャプレン助手としてそこで働くことになりました。

 仕事のためチャプレンのオフィスに参りましてチャプレンと話をしました。そのチャプレンは実はホーン博士でありました。ホーン先生は直ぐそこにありました神学校の教授であり校長でもありました。彼は私の肩に手を置きまして「私は日本に戻ることは出来ないけれども、お前さんは行くんだ」とおっしゃいました。これは私の第二の体験でありました。これもまたイエス・キリストが私の内を燃やして下さったのであります。その時はこれが私にとり、どんなに重要な言葉であるか分かりませんでした。

 神学校を終わりましてフロリダ州のオーランドに参りました。その時のオルガニストがここにいらっしゃるドロシー・スティーブンバック(旧姓)さんでありました。丁度ここのようにピアノが下にあり、私は上におりました。いつも私の眼はどこに注がれていたかは皆さんご承知の通りです。

 次の教区の会議でこんな事が起こりました。世界宣教局の主事がやって参りまして「どうだろうか、宣教師としてお前日本に行かないか」と言うことでした。これがまた次に私の心が内に燃えた体験でした。私のエマオへの道がもう一度私の中に起こったということであります。その時私は小岩のルーテル教会の状況を思い出しておりました。一緒に座って「天にまします我らの父よ」と祈ったときの事です。神様が私に大きな事を起こして下さいまして共にそこにいる事ができ、そして「私たちの父」と言わせて下さる、そういった事がありました。イエスがあのエマオ途上の弟子達と一緒に歩いて下さったように、私たちとも一緒に歩いて下さるということです。

 私は武蔵野教会で十八年間過ごさせていただきました。そして共に心が内に燃える体験をいたしました。皆様方のお顔を拝見しておりますと、ご一緒に話したことや、お家に招かれて話をした中で、イエスが共にいて下さって私たちの心を燃やして下さった、そんな多くの物語を思い起こしております。

 もう一つの話をしましょう。一人の青年がおり、ルーテルアワーを聴いておりました。一年間ほどその放送を聴き、通信教育を受けました。ルーテルアワーは近くのルーテル教会に行くように勧めたわけであります。当時の「神学校前」というバス停を降りてこちらに歩いていらっしゃいました。私は教会の前に立っておりました。彼は私の白い顔を見て向こうを向いて帰ろうとしました。私はびっくりして彼を追いかけ日本語で話しかけました(自分では日本語だろうと思いました)。しばらくそこでおしゃべりして「この教会は外国人のための教会ではないかと思った」「いや、私と家内と子供たちだけが外国人です、どうそお入り下さい」それでやって参りました。それで祈祷会や聖書研究会に出席いたしまして、ルーテルアワーの同窓会にも出ていらっしゃいました。その会合に若い婦人がやって参りました。その方は私の肩をたたいて「彼女は私のお嫁さんになるのだ」と言いました。「どうしてあなたは彼女がお嫁さんになると分かるのですか」「ご心配なく、彼女は私の妻になるでしょう」それで、「どうぞまたやって来て下さい。とても良いニュースがありますよ」と彼女に伝えました。それから二人が聖書研究会と祈祷会にやって来るようになりました。そして結婚したいと言うわけでした。ここにおられますし、また素晴らしいお子さんたちもいます。素晴らしい家族であります。

 そういう形、いろんな形で神様は心を燃やして下さるのであります。このことが教会とは何かという意味であります。皆さま一人ひとりをエマオへの道の体験へと連れていって下さいます。キリストは私たちの心を燃やして下さいます。まことに主は世界の救い主でいまし給います。ご一緒に「私たちの天の父よ」と祈りましょう。まことに主は一つでいまし給い、私たちを神の子として下さいます。

 何が起ころうとも、箸であろうとナイフとフォークであろうと、布団だろうとベッド打老と、梅干しであろうと、そんなことは問題ではなく、一緒にして下さいます。

 「私たちの父」

 神の祝福がありますように。

(1993年4月25日)

説教 「復活」 大柴譲治

宣教75周年記念説教集『祝宴への招き』

むさしの教会は2000年10月8日に宣教75周年を祝いました。それを記念して出版された歴代牧師7人による教会暦に沿った説教集です。


復活日

ルカによる福音書24章 1~12節

イースターおめでとうございます!この日は主イエス・キリストが墓からよみがえられたことを記念するお祭りです。 死が克服された日なのです。私たちの最後の敵として死が滅ぼされた。「死は終わりではない。生命の始まりである」ということがキリストにおいて示された。そのことを共に喜び祝いたいと思います。主は神によって創造された新しい生命を私たちに示してくださった。それは単なる蘇生とは違う。ただ死が先送りされたということではないのです。それまでとはまったく違った新しい生命が開始されたということです。「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである」とヨハネ黙示録は終わりの日の出来事を告げていますが、復活の生命とはその終わりの日の先取りです。そしてこれは信じるほかにはない事柄でもあります。

私が神学校を卒業して9年間牧師を務めた広島県の福山では、イースターの朝は毎年、キリスト教共同墓苑にある聖徒廟という納骨堂の前で合同早天祈祷会を行いました。それは市内の諸教会が持ち回りで礼拝を担当するというエキュメニカル(教会一致的)な交わりでした。地方では教会がキリスト教のお墓を有するかどうかが重要なポイントとなります。19日には小平にある東教区の共同墓苑で墓前礼拝がもたれますが、これもとても大切なことです。

墓とは私たちが死すべき存在であることを最も明確に表す場所であり、また私たちの最も深い悲しみを表す場所でもある。「メメントモリ」(死を覚えよ)という言葉が中世には合い言葉にされていたようですが、墓とは私たちが最も深く「メメントモリ」という事柄を味わう場所でもあります。

マルチン・ルターは言いました。「私たちはみな死に定められており、だれも他人にかわって死ぬことはない。各自が自分で死と戦わねばならない。なるほど耳に向かって叫ぶことはできよう。しかし、死の時には、各自が自分できちんとしていなければならない。そのとき私はあなたと一緒にはいないし、あなたも私と一緒にはいない。そこでは、各人が、キリスト者であれば求められる信仰の主要条項を十分に知って、準備ができていなくてはならない」(受難節第一主日遺稿の八つの説教の第一より)。

死すべき私たちの前に、復活日の出来事は空っぽの墓を告げています。「見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった」。主の墓は空っぽだったのです。主はここにいまさず!死は確かに「ターミナル」かも知れません。しかし死も墓も終着駅ではないのです。「ターミナル」には終点という意味もありますが、そこで電車を乗り換えて違う目的地に向かってゆくという分岐点という意味があります。末期医療では死にゆく人々へのケアを「ターミナルケア」とも呼びますが、そこには「新しい目的地に向かって方向転換してゆけるようなケア」という意味も含まれています。「ターミナル」とはなかなか味わいのある言葉だと思います。

受苦日礼拝でも申し上げましたが、4月3日に天に召された松之木よし子姉のご葬儀がこの月曜日(四日前の4月6日)にありました。昨年の6月に黄疸が出たために膵臓ガンが発見され、すぐに黄疸の手術をされたのですが、あと半年のいのちと宣告され、10ヶ月を輝いて生き、死の直前まで礼拝に出席され、ハレルヤコーラスの練習に加わっておられたという姉妹です。2月1日のお誕生日で75 歳になられていました。火葬の際に斎場で待っていたときのことです。ご主人はよし子姉がガンを告知された瞬間にも全く動じることがなかったのに本当に驚いたとおっしゃっておられました。「本当にあれは腹が座った女だった。『私、死んでもいいわ』と即座に言い放ったのだから」。松之木さんの実の弟さんもご一緒のテーブルでしたがこういう話をしてくださいました。「姉とは小さい頃から話があってよくいろんな話をしました。哲学や音楽、絵画などの深い話も私たちは意見が一致しました。ただ一つだけ自分と違う点があった。それは姉がいつも『み心のままに』と言っていた点でした。私は信仰を持たないのでそこはよく分からなかったのですが、それでもやはり姉はすごい人だと思いました」と。するとやはり同じテーブルにいたご次男が私に聞きました。「み心のままにとはどういう意味ですか」。「天の父なる神さまの思うとおりにこの身になりますように」という意味ですと私は答えました。

私はその話をお聞きしながら、あらためて松之木よし子さんの信仰の深さに感銘を受けました。「み心のままに」とはイエスご自身が、逮捕される直前に、ゲッセマネの園(オリーブ山)で祈られた言葉でもあります。「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください」(ルカ22・42 )。主はどこまでもみ心の実現を祈り求めたのです。そのことはまた受胎告知の場面でみ使いに対してマリアが語った言葉を想起させます。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカ1・38)。福音書記者ルカは「天の父のみ心に対する信頼とその実現」というものに強調点を置いているようにも思えます。

主のご復活はその信頼に対する神の答えでもあります。キリストの十字架とご復活において罪と死が終わりを迎えた。死は究極的な事柄ではなく、復活こそが究極的な事柄なのです。むさしのだよりの巻頭言に「これが最後です。しかしこれが始まりなのです」というボンヘッファーの最後の言葉を記させていただきましたが、死は終わりではなく、新しい生命の始まりなのです。「主はここにいまさず!」 墓は空っぽなのです。私たちは墓の前で悲しまなくてよい。それは終点ではなく、いわば復活の生命に至る門なのです。

「たとい死の陰の谷を歩むとも禍いを恐れません。あなたが私と共におられるからです」と詩篇23 編は語っていますが、キリストは私たちの初穂となってくださった。私たちが死の門をくぐるときにも私たちと一緒に主が歩んでくださる。そして主は私たちの死すべき身体を朽ちることのない栄光の身体へと変えてくださるのです。松之木よし子姉はこのことを信じたからこそ、「み心のままに」と最後まで主のあわれみに信頼し続けることができたのだと思います。死は終わりではない。生命の始まりなのです。

本日はこの喜びの日に、三人の赤ちゃんたちの洗礼式が行われます。青木幸也くん、緒方裕くん、そして八幡和人くんの三人です。ご両親をはじめご家族の喜びはいかに深いことでしょうか。洗礼を通してイエスさまの子ども、光の子供にしていただくのです。三つのご家族の上に神さまの豊かな祝福がありますよう、この三人のお子さんたちが神さまの豊かな祝福のもとに、神と人とに愛される子供として健やかに成長してゆくことができますようにお祈りいたしたいと思います。

本日はまたご一緒に聖餐式に与ります。主は死せる者と生ける者の双方の主であります。この主の食卓をはさんで、目に見えるこちら側には私たち生ける者たちが集いますが、見えない向こう側には、既にこの世の生を終えてゆかれた者たちがこの聖餐式に集っています。松之木さんが加わった天上の聖歌隊も共ににぎやかに、主のご復活を祝いつつ、ハレルヤコーラスを歌っているのだと思います。私たちも天の聖徒の群と共に喜び祝いたいと思います。「主はよみがえられた!」と。

お一人お一人の上に復活の主イエス・キリストの豊かな恵み、神の愛、聖霊の交わりがありますように。 アーメン。

(1998年4月12日)

説教 「試みに会う」 石居 基夫

宣教75周年記念説教集『祝宴への招き』

むさしの教会は2000年10月8日に宣教75周年を祝いました。それを記念して出版された歴代牧師7人による教会暦に沿った説教集です。


四旬節(レント)第1主日

マルコによる福音書 1章12~15節

ちょうど先週の水曜日が灰の水曜日と呼ばれ、その日から四旬節が始まりました。イエス様の受難、十字架の道行きに心を向けていくときであります。十字架の道行きというとき、もちろん、イエス様の生涯すべてがそこに向かっているといってよいのですが、単に、イエス様が十字架にお掛かりになるべきエルサレムにむけて確かな歩みを進めていかれたという旅の道行きをたどるということではありません。私たちは、イエス様が何を目指し、いや何のために十字架に向かわれたのかということを考えていかなくてはならないと思うのです。そして、そのときに私たち自身が、主の十字架への歩みに深く関わっていることを見出すのであります。イエス様は私たちのために、十字架に向かって歩まれたのです。それゆえに私たちはこの季節を悔い改めのときとします。それは神様との関係をもう一度自分の中に回復していくべきときという意味です。私たち自身が、十字架にお掛かり下さったイエス様によって神様との正しい関係の中に取り戻されるということを知り、また私たち自身がイエス様を通して神様のもとに立ち返っていくためのときを過ごしたいのです。

その受難節の最初の主日であります今日、聖書の個所は、イエス様が荒れ野で誘惑に、試みに会われたところです。イエス様が40日間荒れ野で過ごされ、そこでサタンから試みを受ける。ここでイエス様は神様の思いに敵対する者、野獣どもと闘われたのです。

この荒れ野で誘惑に会われた後、イエス様はガリラヤでの力強い宣教を始められたことが記されています。ですから、イエス様は、この荒れ野で試みるサタンを退けられ、神様の力を示されたといってよいでしょう。私たちはサタンをも退けられる力を表わし、イエス様がその宣教に向かわれたことを知るのです。

しかし、イエス様が試みに会われているというその姿は、実は私たち自身の姿を映しだしているのです。本来「試みな会う」のは、人間である私たちです。神様のひとり子であられるイエス様が、サタンの誘惑に会うとは一体どういうことなのでしょうか。それはイエス様がこの荒れ野でサタンの誘惑を受けられたのは、主が全く私たちと同じところに立て下さるお方であることを示しています。イエス様は、私たちと同じ苦しみ、同じ悩みを知って下さるお方として、私たちの本当の友となって下さったのであります。それで私たちは、試みに会われたイエス様の姿に私たち自身の姿を見出すのです。そしてまた、私たちは誘惑、試みについても学ぶのです。

誘惑や試みは、私たちを神様から引き離そうとするものです。神様とは関係なく生きることが出来るかのようにいざなうもの、私たちは多分、幾度となく、この試みに出会っているのです。いや、たった今だって生きるということは、とどのつまり自分の問題であって神様など役には立たないとささやく声を聞いているかも知れません。私たちは、どれほど信仰に篤くあるようでいても、このささやく声を自分の内に外に聞かないで過ごすことは出来ません。「神様など、結局関係ないのだ」。ささやく声を私たちは聞いているのです。

その誘惑はどこからやって来るのか。イエス様は荒れ野で試みに会われました。荒れ野。そこは孤独に包まれるところです。見渡すかぎり何もなく、命の息吹が感じられないところ。照り付ける太陽に灼かれ、身を守るものが何もない、厳しさだけがある場所です。死が隣り合わせているのです。このことから、私たちは、試みの持つ恐るべき性格を知るのです。神様から引き離されたとき、私たちはただ孤独と死が襲い掛かってくることを知らなければなりません。また逆に私たちが孤独や、寂しさや、空しさや、死を身近に感じているのであれば、それがサタンの誘惑のときだと知らなければならないのです。

イエス様は、40日間にわたって、そこにとどまられたのです。40日は、モーセが山に過ごし神様の戒めを与えられたときや、エリヤが山で神様に出会うまでに試練を受けたときと同じです。それは決して短い時間ではないことを意味しています。イスラエルの人々が奴隷とされていたエジプトを出て神様の約束の地カナンにたどり着くまでは40年と言われます。やはり、相当長い時間を表わしています。

私たちが試みに会うのは、決して短い時間でそこを切り抜けられるというものではないのです。いや、むしろ、私たちには本当に長い時間であるということが実は試みの姿であるといってよいのかもしれません。試みのときが決して短くはなく、長いということが、実は、私たちにとっての苦しみなのです。

例えば、私たちが病気になったとします。私たちは重い病気にかかるならば、なぜ神様は自分から健康を奪われるのかと思う。あるいは、私たちは、神様が守って下さるはずなのに、こんなはずではないと思うかも知れません。既に誘惑は始まっています。私たちに神様など本当はいないのだと思わせようとする試みがあるのです。

けれども、その時間が短いのであれば、きっと私たちは病気を与えられたことの意味を自分なりに見出すに違いありません。この苦しみを通して神様は私に何かを教えようとされたのだとか、自分には必要な病気であったとか、自分の傲慢を思い直すようにされたのだとか。私たちは試練からなにものかを学ぶのです。この苦しみのときに意味を見出そうとするのです。神様から与えられた意味を捜し出すのです。

しかし、もしもその時間が長いならば、どうでしょうか。私たちはたちまちにして誘惑のとりこになってしまいます。試練の時が決して短いものでないとき、私たちはそれを耐えるための意味を見出すことが出来なくなるのです。耐えるための力を失うのです。何のためにこの試みがあるのか。何のための試練であるのか。そして、結局は、「神様などいない」という結論だけがまるで当然のように私の前に口を開けて待っているのを見出すのです。

旧約聖書の詩編の中には、この長く続く試みに耐えかねたように祈られる祈りがあります。「主よ、いつまでですか」。「主よ、いつまでですか」。

深い悩みのうちに、私たちは神様に叫びます。「神様、もう十分です。私は分かりました。自分の罪、自分の悪かったことを改めます。だから、どうぞこの重荷を取り除いてください。私にはこれ以上耐えることができません」。それが私たちの叫びなのです。

しかし、それでも試練がなくならないとするならば、私たちはこのことに何の意味があるのか、何のために与えられるのかと思うのです。せっかく自分が悔い改め、神様に心から信頼していくことができる時がきているのに、それでも試練が去らないならば、私たちは再び、神様を見失ってしまうのです。そして、本当のところ、神様などいないのではないかと、改めて私たちは思わずにいられないのです。

そのときこそ、試練がもっとも厳しく私たちを試みている時です。そして、私たちは神様と自分との関係について思いを向けていかなければなりません。

「神様などいない」その通りなのです。私の思う、私に都合のいい神様などいないのです。私がこのように思い私がこう考えたから、それにぴったり合うような神様を私たちが求めているのであるならば、私たちは神様を自分の頭の中に納めてしまっていることになるのです。私たちは、私の思いをはるかに超えた、確かな神様を知らなければならない。そして、その神様と私との関係を、今一度私たちは求めていきたいと思うのです。

けれども、私たちは一体どのようにして、この私の思いを超えた神様と再び結び付いていくことが出来るのでしょうか。恐らく私たちはもはや自分の為すべきところを知らないのです。そして、もし私たちが、諦めや絶望のうちにと留まるなら、試みは見事に私たちから神様を奪い去ったことになります。

しかし、私たちはその時にこそ、イエス様が私たちのために試みに会われ、私たちにその試練に打ち勝ちたもうたことを知りたいのです。イエス様はこの試練の只中で、私とともにいてくださるのです。

試練は長く続きます。しかし、終わりがないのではありません。40日をもって終わる。それは、イエス様の勝利によって終わるものなのです。次には新しい一歩が始まるのです。私たちは、イエス様を信じイエス様とともにあることによって、この勝利に与る者となる。そこに、私たちは本当に大きな希望を持って良いのだと、約束されているのです。

イエス様は、私たちのために私たちの受ける試みに会われ、真実の友となり、私たちのためにそれに勝利されました。この主に心から信頼をして、試練の中にあって、なお希望を持ち、私たちに与えられた時を生き抜く者となりたいと思うのです。

(1994年2月21日)

説教 「東方の博士たちの捧げ物と一冊の式文」 賀来周一

宣教75周年記念説教集『祝宴への招き』

むさしの教会は2000年10月8日に宣教75周年を祝いました。それを記念して出版された歴代牧師7人による教会暦に沿った説教集です。


顕現主日

マタイによる福音書 2章 1節

日本福音ルーテル教会の初期の伝道の歴史を記したものにピーリーの『日本伝道開始の記録』というのがある。訳者は青山四郎先生である。同書によると、ピーリーとほとんど同時期に来日したシェラーは、明治25年(1892年)二月、最初は東京に足を踏み入れている。翌年一月、宣教の働きを佐賀で開始するため、英語教師として赴任することとなった。英語教師の方が宣教師として伝道地に赴くより抵抗がなかったからだとピーリーは記している。

シェラーは、ほどなくだれも借り手のない一軒の借家を借りて、日曜日に礼拝を始めるが説教が始まるや怒号と投石に悩まされたらしい。九州でも佐賀はことに封建色の強い土地であったから、宣教はいたって困難を極めた。

ほどなく、最初の受洗者が誕生することになるが、その人の名を清水徳松といい、二十六歳になる大工さんであった。シェラーと彼を助ける山内量平牧師は、三年間の信仰訓練を清水徳松にほどこし、やがて洗礼式が行われることとなった。洗礼式は、シェラー宣教師の書斎、そして、その場に列席したものは合わせて五名にすぎなかった。けれども、このたった一人の受洗者のために、最大の努力を払って洗礼の式文が作成されたとピーリーは記録している。

ただ一人の受洗者のために、最大の努力を払って受洗のための式文を作成したことは、ことに特筆されてよい。式文とは礼拝を定める大切な言葉と順序を含んでおり、幾世紀にもわたって、教会が信仰を最も高められた形で表現するために、みがき抜かれてきたものである。とうてい簡単に作り上げることができるものではない。おそらくは何百人、何千人の会衆が繰り返し使用して、不備を正し、次第に完全な形に整えられてきたものにちがいない。そうした歴史と伝統と信仰の中身をもっとも濃密に抱え込んだ式文を、たった一人の受洗者のために作成した努力を高く評価したい。通常の感覚で考えれば、更に十人、二十人と受洗者が増えて、礼拝らしい雰囲気がでてきて考えれば良いようなものである。けれども、初代のルーテル教会の宣教師は、この点で手抜きをしていない。たとえ、たった一人の受洗者であっても、そして司式者も含め、たった五人の礼拝出席者であっても、信仰は珠玉のように輝くのである。そしてそれにふさわしい式文は是非ともなくてはならぬものであったに違いない。

今、最初のクリスマスの出来事に思いを馳せている。おそらくは、この幼な子イエスを中心とした最初の礼拝も五人であったと思われる。三人の博士とそしてヨセフとマリヤがそこにいたに違いないからだ。しかも教会というにはあまりにも懸け離れた馬小屋であったことを考えれば、佐賀のシェラー宣教師の書斎での五名と何となく符合するではないか。

博士たちは手にした最大の贈り物を幼な子に捧げた。おそらくは、それ以上高価なものは当時他にあるはずはなかった。考え得る最高のものを、博士たちは捧げている。しかも、それを捧げるには、ふさわしい環境をもっているとは思われない。貧しい場所には貧しいものがふさわしい、そう思うのが私たちの論理である。

クリスマスはその論理を破る。

(1986年)