スオミ

スオミの青年教育プログラム  ヨハンナ・ハリュラ

 前回は教会の子供の教育について書きましたが、今回は青年の教育のことで続けたいと思います。そこには子供の教育と同じ部分もあります。例えば教会と学校の親しい関係が同じようにあります。青年にも、特に大きな教会では、自分の音楽グループがあり、そして、若者たちの為の特別な礼拝と催しがいっぱいあります。それは例えば、大きな教会では毎週、小さな教会では毎月一回金曜日とか土曜日の夜にあります。日曜日の礼拝とか他のイベントの時には、もちろん、青年たちは協力しています。

 青年の教育の一番有名なプログラムは堅信式です。堅信式の前には十日間のキャンプがあります。キャンプの中で、たくさん楽しく勉強したり、一緒にゲームをしたり、話し合ったりすることが出来ます。十五才の青年の90%がこのプログラムを受けています。このプログラムの一番大切なことは、聖書と信仰と教会について色々教えたり、経験したりすることです。例えばこのプログラムを受けた後、一人で聖餐式を受けることが出来ますし、教保にもなれます。そして、いろいろな青年活動のボランティアの勉強と仕事をすることが出来ます。青年には、全国のいろいろなキャンプやイベントもあり、となりの教会や地区の青年たちとも一緒に集まりがあります。他にもフィンランドでは、青年教育の中に、結婚している青年用に、独身の青年用に、特別なプログラムがあります。

 2001年の日経新聞にこんな記事がありましたのでご紹介させていただきます。

 (青年指導者は)教会では、クリスチャンとしての信仰を確認する儀式「堅信礼」の執行、レクリエーションの指導などが仕事だ。レクリエーションは日本の放課後のクラブ活動に相当するものから、夏のキャンプ、冬のスキーなどまで多岐にわたる。指導の際はあまり口出しせず、彼らにグループの運営を任せて集団行動のルールを自主的につかんでもらう。私は何をするのか。リーダーになる子を選ぶのである。どんなところにも、学校で問題を抱えていたり、ちょっとすねたところのある子が一人や二人はいる。そういう子に「お前やってみろ」と声をかけるのだ。私の経験では、グループの統率にはこういう子が意外と向いていて、結構うれしそうに指揮をとる。本人も気づかない能力をうまく引き出してやる。それが私たちの大切な仕事だ。(佐藤久夫:フィンランド・ユースリーダー)

(2002年 5月号)

スオミの子供教育プログラム    ヨハンナ・ハリュラ

 今回は教会の子供教育のプログラムについて書きたいと思います。一番有名なプログラムは幼稚園のような子供教育のプログラムです。ここで子供達は、友達と先生達と一緒に聖書とクリスチャンの生活とキリスト教の歩みなども学ぶことができます。もちろん今もクリスチャンホームの育つ形と雰囲気と祈りはとてもとても大切です。教会はこのことを両親と一緒に歩んで行きたいと思っています。ほかの子供教育のプログラムはCSと小学生のいろいろなグループです。例えば絵、パソコン、スポーツなどをグループで学びます。またキャンプ、イベント、旅行などもあります。そのグループは小さい教会なら一つ、大きい教会ならいくつもあります。このような子供教育プログラムでは、いつも短い楽しい賛美と祈りがあります。

 もう一つとても有名で人気がある「わたしたちの礼拝」は、子供の特別な礼拝です。その式文、音楽は特に子供の目で考えたものです。ふつう教会で子供の聖歌隊もありますと、それは礼拝とか他のイベントの中で手伝います。教会のユースリーダー、牧師先生、オルガニスト、奉仕者の方々は学校の中でもいろいろ教え、また学校の行事にも参加します。このことは大変ありがたいことです。教会と学校が互いに連携しあって、このようなことで学校と家と教会の関係がもっと温かく、親しくなります。

 もう一つ大切なことは教保のことですが、それはフィンランドと日本ではちょっと違う意味があります。フィンランドで教保は、子供にイエス様と聖書の話を教えることで責任者となります。両親と教会と一緒に子供を育てます。そして例えば、両親が亡くなった場合とか、ほかに世話を出来る人がいなかったら、教保はこのことでも責任があります。教保には子供のすべての人生の歩みの中で親しい関係があります。

 私は教保として五人の子供をもっています。去年の夏私は、その内の一人の子供の堅信礼の教保をしました。そして今年は、二人の子供の堅信礼があります。その内の一人は、この6月、家族と一緒に日本に来る予定です。その両親と私は親しい友人です。

 (次号へ続く)

(2002年 4月号)

スオミのイースター    ヨハンナ・ハリュラ

 イースターと言えば、小さい、黄色いひよこのことでしょうか。フィンランドのテレビの宣伝でこれをよく見ます。しかし、イースターの本当のメッセージはどういう事でしょうか。

 フィンランドのイースターの習慣は日本と違います。フィンランドではその時、木曜日から月曜日まで祝日になります。イースターの時期には、いろいろ特別な行事があります。特にイースターの前には、いろいろな教会で、キリストの十字架の道という有名な劇をします。教会員も他の人達も熱心に劇に協力して演じます。その劇の中で語り手は、人々をいろいろな場所へ導いていきます。その劇を見ながら、聞きながら、参加者はイエス・キリストと一緒にその生涯を体験します。学校でもイースターの前日の朝礼でイースターの話と劇をする事が出来ます。それは学生たちにとって大切な事です。そうすることで学生たちは、もっとイエス様のことを知るようになるからです。イースターの時期にはたくさんのコンサートがあり、町にもイースターの音楽が流れています。最近このような催しはもっと多くなりました。しかし、いろいろなイースターの催しがあっても人々は、イースターの本当の意味をあまり理解しなくなりました。

 昔から受難週に入ると、月曜日から金曜日まで毎晩礼拝があります。この受難週の礼拝は、今でも本当に大切な習慣です。その週の木曜日はイエス様と弟子たちの最後の晩餐の思い出の日です。そして金曜日にイエス・キリストは、私達の罪を背負って十字架にかかりました。でも三日目の日曜日にみ子イエスは、死からよみがえり私達に永遠の命を下さいました。

 教会でも家でもいろいろ飾り付けをしたり、イースターの料理の用意をしたりします。けれどもそれは、イースターの本当の深い意味ではありません。イースターの一番大切なことは、イエス様が十字架にかかられたことで私達に下さったプレゼントです。イエス様は御自分の仕事として私達の代わりに罰を背負って、天国への道を作って下さいました。この十字架のみわざを通して私達は、自分の人生の目的と他の人達との関係が分かりやすくなるかも知れません。この十字架のみわざを通して私達は、神の愛と恵みが分かりやすくなるでしょう。

 わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます。イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです(ローマの信徒への手紙 4:24ー25)。

   世の罪を取り除く神の小羊よ。   哀れんで下さい。   平和をお与え下さい。

(2002年 3月号)

スオミのスポーツ    ヨハンナ・ハリュラ

スオミ人はウインタースポーツが大好き。日本に比べれば冬は長く夏が短いスオミですから、ウインタースポーツが盛んなのは当然といえば当然ですが、やはりスオミの冬は長い。北部なら10月から4月までスキーができます。

 スオミの国民的スポーツにアイスホッケーとスキージャンプがあります。アイスホッケーでは1955年にスゥエーデンを打ち破って世界選手権で優勝していますし、またアメリカのNHLでは数々の名選手が活躍中です。

 スキージャンプではジャンパー、マッティー・ニッカネンを生んだスオミのジャンプチームが有名になりました。たとえば1998年の長野冬季オリンピックでスオミチームのヤニ・ソイニネンが(日本にとっては残念でしたが)ノーマルヒルで金メダルをとりました。

 スオミ北部のラップランド各地には数々のウインターリゾートがあり、ほとんどの場所でスキー、スノーモービルの他にトナカイぞりや犬そりに乗ることができます。同じソリでもトナカイはゆっくりペースで少々気分屋。ハスキー犬はチームを組んで雪をけちらして走るので乗り手にも体力が必要。スポーツというよりはアドベンチャーと呼ぶのがぴったりのアクティビティーです。

 日本の最北端よりさらに北、真冬にはマイナス30度になることも珍しくない大自然の中にあるクロスカントリーのスキーコースは200kmを超え、夜間照明は40kmにも及びます。レンタルのスキー道具から防寒具まで充実していますから準備が不十分な旅行者でも手軽にコースに出られます。またクロスカントリースキーは板が軽く初心者でも簡単に滑ることが可能です。なだらかな斜面がどこまでも続く森の中をスオミの人たちと一緒にクロスカントリーを楽しめます。晴れた日はクロスカントリーには最高です。森の所々には熱いコーヒーが飲める小屋もあります。ダウンヒルスキーのゲレンデではパウダースノーの新雪、ほとんど待たずに乗れるリフトなどスオミだからこその楽しみも多いです。

 冬の楽しみの一つには家族や友達と一緒にスキーをしながら森の中の自然の美しさと静かさを経験することがあります。ここで大切なことはスピードではなくて、太陽が雪の下に沈んだ後、キャンプファイアで作ったコーヒーを飲みながら食事したりして、のんびりすることです。

 森の中の曲がりくねった道を抜け、地平線まで見える雪原の上を自由自在にスノーモービルで走る豪快な気持ちよさはラップランドの広大な自然だからこそ可能なのです。降りしきる雪の中を走ると、360度薄いグレーに包まれてなんとも不思議な世界を体験できます。そしてオーロラに出会う可能性もあります。スオミで是非体験したいのがオーロラ・ウォッチングです。オーロラの出現は時の運によりますが、遭遇できた時の感動は100%保証付き、言葉では言い表せない感動との出合いが待っています。一度オーロラを見た人は、必ずまた戻ってくるという不思議な魅力を持つオーロラを見に、あなたも是非スオミに出かけて下さい。皆さんの幸運をお祈りします。

(2002年2/3月号)

スオミのクリスマス    ヨハンナ・ハリュラ

 フィンランドでは待降節と降誕節の時期はとても大切です。町でも家でもこの時期の準備は飾り付けをする事から始まります。キャンドルを並べたり、窓には小さいライトを付けたりします。特にダビデの星はよく使われている飾りです。子どもたちの一番好きなものはクリスマス・カレンダーでしょう。ある人々は断食もします。しかし、クリスチャンにとって一番大切なことはクリスマスを前に心を静めることです。

 待降節の第一主日礼拝ではホサナという歌を歌ったり、イエスさまがエルサレムに行かれた話を聞いたり、劇を演じたりします。フィンランドの独立記念日は12月6日なので、その日もこの時期の中でお祝いする大切な日です。82年前のロシアからの独立は祖父や祖母の働きとして、神さまが下さったプレゼントだと思います。クリスマスの時期には他にもいろいろ楽しい行事があります。例えばクリスマス・ソングのコンサートがあるし、町にもクリスマスの音楽が流れます。学校でもクリスマスの前日の朝の短い礼拝でクリスマスの話と劇があります。

 また家ではふつう大掃除をしたり、特別な料理を用意したりします。とても時間がかかったことを覚えています。けれども、クリスマスは私にとって一番すばらしい時です。私の家では森で切ってきたクリスマス・ツリーは23日に家の中に運び込みます。そして子どもたちはそれをみんなでおしゃべりしながら飾り付けます。その日の夜はお父さんやお母さんが遅くまで準備をしている音が聞こえてきます。ベッドに入っても、楽しみでなかなか眠ることができませんでした。

 24日は朝早く起きて、テレビで色々なクリスマスの楽しい番組を見ました。テレビでは12時にクリスマス・ピースという特別なクリスマスのお祈りとお話の番組が見られます。その日の朝の食事にはクリスマス・プーロというお米の少しあまいおかゆのようなものを食べます。もちろんこの日にはサウナにも行かなくてはいけません。そして、夜は教会で礼拝があります。この礼拝は一年でたぶん人が一番たくさん来る日で、子供の時の楽しいクリスマス・イブの礼拝は今もよく覚えています。礼拝から帰ったら一緒にクリスマスの食事をします。その料理はハムや色々なグラタンです。その後で特に子どもたちが楽しみにしている時間があります。それはプレゼントをもらう時間です。しかし、その前にイエスさまの誕生について聖書を読んだり、讃美歌を歌ったりします。そして、残っている夜の時間は家族みんなで楽しみます。

 そして、25日の朝は一緒に7時に礼拝に行きます。クリスマスの時期はすばらしい自然の美しさに感動し、平安に満ちた心が持てる時です。一つのよく覚えていることは父のおばさんが私たちの家に遊びに来たことでした。私たちはおばさんを囲んで、おばさんのイエスさまについての話を聞きました。

 イエスさまは私たちのためにこの世に来られました。イザヤ書には「見るべき面影はなく輝かしい風格も、好ましい容姿もない。」と書いてあります。イエスさまは小さい子供のように何も持たないでこの世に来られたのです。しかし、もっとすばらしい神さまの愛といつくしみを通して永遠の命を約束して下さっているのです。

(2001年12月号)

スオミの葬儀    ヨハンナ・ハリュラ

 明るい夏のあと、秋と冬の暗い日が来るとお葬式の数も多くなります。スオミでは、洗礼式・結婚式・お葬式は一般の家庭における大切な行事です。今回は、お葬式についてお話します。

 スオミでは日本と違い、人が亡くなって2週間あとにお葬式を行います。それは、深い悲しみにある遺族の気持ちを汲み取り、またお葬式の準備のための時間です。その間、棺は病院に安置されています。そして、親族や関係者が集りやすい土曜あるいは日曜日のどちらかに教会の礼拝堂か霊安室で行います。ですから、大きな教会では毎週末お葬式が続きます。人が亡くなったことのお知らせとお葬式の予定は、新聞にも掲載されます。

 お年寄りの場合、病院か老人ホームで亡くなるケースが多く、昔のように自分の家で家族が最期までお世話をしてくれることが残念ながらなくなりました。ですから、今の子どもたちは身近で人が亡くなることの体験がなく、人の死に慣れていないし、死を理解することが難しくなってきています。

 お葬式の始まる前、家族は蓋を開けた棺のまわりに集まってお別れの言葉を述べます。そして、お葬式が終わると教会の墓地で一人一人が持ってきたお花のリースをお墓の上に捧げます。リースにはリボンが結んであって、そこには聖句やメッセージ、そして名前が記されています。続いて、家族だけではなくみんなが教会の食堂に集まって偲ぶ会が行われます。食事やお茶ををいただきながら音楽を聞いたり思い出を語り合い、また届いたお悔やみの電報が全て読み上げられるのを聞きます。

 お葬式から偲ぶ会までの準備は、葬儀屋さんの仕事です。また、日本のお香典・ご花料の習慣はなく、生花を捧げるのが一般です。しかし、親を失った子どもの場合には、お金が用意されることがあります。

 また、お葬式での服装は黒ですが、普通、女性は白いブラウスを着ます。そして、遺された家族は約半年のあいだ喪に服します。そして、家族に対して教会のカウンセリンググループが、いろいろとケアーをしてくれます。

 そして、スオミでは毎年11月の第一土曜日が召天者記念日です。特別な礼拝が守られ、その年に亡くなった人の名前が読み上げられるとたくさんのロウソクに火が灯されます。それ以外に、日本ように亡くなってから何年かごとに記念会を持つようなことはありませんが、普段の日の他にクリスマスのときに必ずお墓参りに行くのは有名です。亡くなったことは悲しいけれど、クリスチャンとしては天国に召されたという喜びがあふれています。

(2001年11月号)

教会の諸活動    ヨハンナ・ハリュラ

今回は、教会内のプログラムについてお話しましょう。

 その前に、一つの教会は大きな2つのプロジェクトチームに支えられていることの説明をしたいと思います。それは「伝道教育をするプロジェクトチーム」と「事務運営をするプロジェクトチーム」です。前者には牧師、オルガニスト、ディーコン(教会内の様々な奉仕をする為に3年間の専門教育を受けた人)、ユースリーダー(青年と子どもの教育をする為に3年間の専門教育を受けた人)がいます。後者には、書類上の仕事や経理をする人、教会の建物・墓地の管理や礼拝の準備をする人、そして食事を作る人がいます。

 さて、教会には大きく5つのプログラムがあります。

 まず最初はディアコニア教育プログラムですが、そこには色々なグループや働きがあって、お年寄りの方々の集まりを定期的に開いたり、教会員のお見舞いに行ったり、また障害者・アルコール中毒者・犯罪者・失業者・ホームレスの人たちと抱えている問題について話し合う特別な場や、牧師とディーコンによるカウンセリングもしています。そして各方面に献金を送ったり、いのちの電話などの働きもあります。以上のプログラムには牧師、ディーコン、信徒たちがディアコニア教育の勉強会をもって携わっています。

 2番目は、宣教プログラムです。スオミには、世界各地の問題を考えたり、海外伝道をする7つのミッションがあって、ここから海外へたくさんの宣教師が派遣されています。このプログラムの資金は、夏に国内で開催されるミッション大会での祈りと献金によって、またバザーや食事会、カードや手芸品などを扱う Misson Shopの収益に支えられています。そして、各教会には「海外伝道を支えるグループ」があって、7つのミッションの働きの為に祈ったり自分達のプログラムを通して協力しています。

 3番目は、伝道教育プログラムです。スオミの教会でも、男の人がとても少なくなっています。そのために、教会の建物の修理やペンキ塗り、またDIYのような手で何かを作る催しを開いたり工夫をこらしています。そして、これがいま男の人たちにとても人気で、教会に来る切っ掛けとなっています。また、ミッション大会などを開いて福音を伝えています。

 4番目は、礼拝と音楽の教育プログラムです。これは教会のオルガニストが担当していて、礼拝や他のイベントでもキリスト教の音楽がいつもいっぱい流れています。礼拝の準備には牧師、オルガニスト、ディーコン、ユースリーダーたちが話し合っています。そこには信徒達も参加していますが、もっと礼拝の部分も担って欲しいと願っています。

 このように、教会の中の一つ一つのことが、それぞれの役目を持った人たちの働きと祈りによって支えられています。最後になってしまいましたが、各教会は湖の畔に自分達専用のキャンプ場を持っていて、一年を通して特に夏にはキャンプやいろいろな楽しいイヴェントを行います!!

 次回は、5番目の青年と子どもの教育について触れます。

(2001年10月号)

スオミの教会    ヨハンナ・ハリュラ

 今回は、スオミの教会についてお話します。現在、国民の85%がルーテル派、そして約3%がその他の宗派に属しています。

 スオミの教会の歴史を見ると、12世紀に入ってからローマ・カトリック教会が布教を開始。また、東方正教会は今の東カレリア地方に布教をしました。それによって、スオミの人たちを宗教が居住地域で分離し、この分離線は今も残っています。16世紀の宗教改革で国は全面的にルーテル派になり、現在教区は 594、信者は430万人。世界で3番目に大きいルーテル教会となりました。

 ところが現代社会では、教会以外に楽しいことがあって教会離れがどんどん進んでいます。でも、国民の多くは生活の節目(幼児洗礼、結婚式、お葬式)になると教会の儀式に出席しています。また、児童の90%以上が幼児洗礼を受け、そして、同数が15歳になったら堅信礼を受けています。

 人々を教会へ繋ぐ為に、教会はテレビやラジオで教会行事を放送したり電話相談やファミリーカウンセラーセンターなどのサービスも行っています。

 ルーテル教会は8つの大教区に分かれ、更にそれは594の教区に分かれています。大教区は監督(≒日本で言う総会議長)のもとにあって、監督は、国の社会問題・教育問題など色々な分野で発言力があります。教会には、1/3が聖職者・2/3が信徒からなる最高運営組織があり、教会行政の決定をします。

 女性聖職者の按手式については教会内でずいぶんと論議されましたが、その結果1986年にやっと支持を得ました。以前から、女性神学者は教会の教育活動面で働き、聖餐式の補佐もしていましたが、按手式以後は女性聖職者は全ての面で教会の働きに携わることができるようになりました。

 この100年の間に教会は殆ど独立。国家も宗教から分立していますが、重要な関係は残っています。ルーテル教会と東方正教会には教会税の徴税が認められ、市の政務局が他の税金と一緒に徴収しています。しかし他の教派には納税義務がありません。集められた税金は、それぞれの教会の活動を支えています。

(東方正教会の信者は約6万人。教区の多くは現在ロシア領のカレリア地方  に集中していて、また、ペンテコステ派の信者は約5万人です。)

(2001年 9月号)

スオミの夏(2)   ヨハンナ・ハリュラ

 スオミの夏の白夜は、世界でもめずらしく、有名です。夜になっても外は明るく、みんなでゲームをしたり座っておしゃべりをしたり、太陽が夜遅くになって沈むのをながめたり・・・でも、そんなしずかな夜に一つだけ好きじゃないものがあります。それは、たくさんの蚊です。蚊を退治するのに薬はいろいろありますが、一番いいのは火を焚くことです。

 また、スオミの有名なことの一つにサウナに入ったり湖で遊んだりすることがありますが、これも夏の夜によく行われます。このように、フィンランド人にとって夏の白夜は本当にのんびりできて気持ちが良く、誰にとっても懐かしい情景です。そうして夜遅くまで起きているので、眠る時間がいつもより短くなってしまいます。そして、迎える夏の朝はすずしく、鳥の鳴き声が降り注ぎ川の流れの音が満ちあふれる、まるで夢のような景色です。

 また、特に夏になるとフィンランド人は好んでスポーツをしたり試合を見物したりします。野球に似たスオミ独特のベースボール、そしてサッカーやビーチボールを大勢の人たちが楽しみます。

 キリスト教と教会との関係では、スオミではミッション主催で信徒や未信者の為の大きな大会が数多く行われます。そこでは大勢の人たちに福音を伝えるプログラムがあって、街には福音のための音楽やクリスチャンによる音楽などが流されます。

 “結婚式”も夏のイメージの強いものの一つですが、それについてはまた今度くわしく書きましょう。

 夏も終わりに近づくと、庭や森でリンゴやベリーを採ったり、キノコ狩りや魚釣りに行きます。そして、収穫したものからは美味しいおやつや食糧や飲み物が手軽に作れます。秋の気配を感じるようになると、夕方暗くなってくる頃にロウソクと暖炉に火を灯します。その炎は美しく、これもまた懐かしい情景です。

 子どもの時から私の頭の中には、あったかい暑いくらいの夏のイメージがありましたが、実は梅雨のような夏の天気のこともありました。これら全ての私の夏のイメージを見てみると、私は長くて暑くて明るい夏が好きです。

(2001年7/8月号)

スオミの夏(1)   ヨハンナ・ハリュラ

 スオミの自然と四つの季節は、どれも美しく素晴らしいものです。いつもそのことを考えると、世界の造り主に感謝したくなります。今回は特にスオミの夏について、私の思い出と一緒にお話ししましょう。

 スオミの夏は、5月の終わり頃から急にはっきりと始まります。この時期は、森に咲く白いアネモネやリンゴの花、また道ばたに咲くたくさんの花でたいへんきれいです。同じ頃、学校の卒業式がありいろいろな人たちの夏休みが始まります。スオミはそれから約2ヶ月半の間‘夏の国’あるいは‘夏の家の国’へと変わります。都会では、夏になると通りにカフェがオープンしたり、市場や催事やお祝いがいっぱいあります。また、都会に住む人たちの多くは田舎の湖岸に夏の家を持っているので、夏になると田舎は冬と違ってたくさんの人で賑やかになります。

 そこではいろいろなお祝いやパーティーがありますが、一番のお祝いは、6月22日頃の金曜から日曜日に行われる“JUHANNUS”夏至祭です。その日、湖岸のあちらこちらで大きなファイアーがたかれ、そのまわりで家族や友達と一緒にゲームを楽しんだり歌を歌ったり、ソーセージを焼いたり、おしゃべりをしたり・・・のんびりと過ごします。

 子どもの頃、毎年夏休みに両親や兄弟と静かな湖の岸辺にある夏の家に行きました。私の生まれた年に建てられたこの夏の家は、私にとって懐かしい場所でもあります。まわりにはおもしろい建物があり、その中の古い建物の中で遊んだり歌ったりしました。また、何本もの森の道があって、道端にあるブルーベリーを採って食べたりして子どもにとっては楽しい場所で私は大好きでした。しかし、夜になるとその道は真っ暗になり少し恐くなります。頭の中にいろいろな恐い物の姿が出てくるので、急いで走って帰りました。他にも道はありましたが、いつもその同じ道を歩きました。このことは私の心の大切な経験になったし、それによって一人で何かをすることを怖がらないなど、いろいろな特別なことを学びました。今でもその場所は、昔と変わらずにすばらしい所です。その道を歩いたり建物を見ていると、いろいろな思い出がよみがってきてとても懐かしくなります。

 私の頭や心の中には、このような日常とは別の‘夏の世界’があります。私の夏の世界はいつまでも変わらないでいて欲しい、でも、スオミの夏は前とはだいぶ変わりました。私も年をとって変わりましたが、思い出は今もこれからもずっと私の中にあります。

(2001年 6月号)

叙情詩『カレワラ』    ヨハンナ・ハリュラ

 今回は、叙情詩『カレワラ』についてです。叙情詩『カレワラ』は、医師エリアス・リョンロートがカレリア地方で歌い継がれてきた叙情詩を集め一冊にまとめて1835年に発表したもので、スオミでは子どもたちが学校で覚えて暗唱するほど有名で、誰もが大切にしている昔の物語です。

 その根底には古代フィン人の精霊信仰が流れていて、海や山などの自然界にいるいろいろな神様の話が収められています。その中の一つに、当時すでにスオミの西から入ってきていたキリスト教の影響を強く受けたとみられる物語があって、それを男性の長老が語る形で描いています。彼は言います。「私の時代は、もう終わった。私の後には、もっと強い人が現れるだろう」。そして、物語はひとりの未婚の女性が木の実を食べて身ごもり、家畜小屋で男の子を産み、そこに3人の男の人たちがお祝いにやってくる・・・と続きます。これは、まるで聖書のイエスさまを象徴しているかのようです。

 また、この長老はカンテレ(弦楽器)を上手に弾いてスオミの地にこの楽器を広めていきました。ご存知の通り、カンテレは今日ではスオミで最も有名な楽器ですが、カンテレに伴ってスオミの国には“素晴らしい音楽”と“永遠の喜び”も残されました。

  最後にこの叙情詩『カレワラ』で大切なことは、「言葉」の力です。そして言葉をもって闘うことです。そこに『カレワラ』の力が存在しているということです。

『カレワラ』についてもっと知りたい方は、
「フィンランド叙事詩カレワラ」(1976岩波文庫)、
「カレワラ神話と日本神話」(1999日本放送出版協会)
をご参照ください。

(2001年 5月号)

スオミ独立   ヨハンナ・ハリュラ

 フィンランドが1917年に独立してからの歴史はまだ短く、それについて前回はたくさん書くことがありませんでした。しかし、たとえ短くてもその歴史はとても面白いのです。

 ロシアから独立したことは、今でもフィンランド人にとって大きな喜びと感謝です。1917年にロシアの中で問題が起こったこのとき、まさに・フィンランド人・の時代がやってきました。同じとき、ロシアに支配されていた他の国々も独立することを考えましたが、フィンランドだけがそれを実現させることが出来ました。理由は何かと考えてみるといろいろありますが、そのことについては後日また書きたいと思います。

 ・フィンランド人・には、「よく働く人」「寒い国の人」「恥ずかしがり屋」という意味があって、それを一言で表すのにSISU(忍耐強い)という言葉が古くからあります。1939~1944年の間に二つの戦争がありました。この戦争には、フィンランド人のその強い性格が表れています。戦争の前、ロシアはフィンランドを見下していて、それはフィンランド人にとってとても苦しいことでした。しかし、外の気温がマイナス30度であっても、フィンランド人は自分たちの国を守るために強く協力していました。戦争で闘っている人たち以上に、家を守っている女性たちの協力が強かったのです。

 そして、戦争で闘った人たちの中に、また若い世代の人たちの中には次のような考えがあります。「フィンランドの独立は、神様の本当の賜物です」。ですから、そのために12月6日の独立記念日と戦争で亡くなった人を記念する日を覚えて大切にしています。

(2001年 4月号)

フィンランド・ルーテル福音協会(LEAF/SLEY) ソベリ宣教師

 

ビリピ・ソベリ(新札幌ルーテル教会宣教師、SLEY宣教師会副会長)

  初めのささやかな日

来年2000年、主イエス・キリストの誕生を祝う記念すべき年は、LEAFミッションの日本伝道100周年記念の年でもあります。

1900年の12月、若いWellroos 牧師家族と17歳の若い女性、E. Kurvinen 氏が日本に渡り、長崎で語学の勉強に励みながら、日本伝道の困難な道に踏み切ったのです。奥さんの病気、子供の病死、さまざまな困難の挙げ句 Wellroos 家族が二年後帰国することに至り、Kurvinen 氏がアメリカ人と共に佐賀で伝道活動を続けました。

1903年もう一人女宣教師のS. Uusitalo 氏が来日し、“これから”と思ったばかりの時、日露戦争が始まりました。フィンランド人でありながら二人は、当時フィンランドを支配しているロシアのパスポートを持っていたので、監視されるようになり、アメリカ人の伝道に害を加わらないようにを佐賀を離れることに決めました。

彼女達はまず東京に上り、そしていろいろと相談した結果、まだほとんど誰も伝道したことのない諏訪地方で開拓伝道を始めることに至りました。

1905年7月彼女達と長井あやという日本人の婦人伝道師が汽車に乗り、馬車に乗って諏訪に向かいました。諏訪湖が見えて来る、道端に故郷を思わせる白樺が生えているところで彼女達は思わずひざまずき、これは神さまから与えられた伝道地であることを感謝したという話を読んだことがあります。ところが、保守的であった諏訪地方で家を探すのは困難であり、「幽霊が出る」と言われた空き家を購入することに成功したのはやっとのことでした。そして、キリスト教禁止令の影響がまだ強かったせいか、青い目の外国人が植えた草木がぬかれ、屋根が壊されたこともたびたびあったそうです。

諏訪の宣教師館で始まった集会や礼拝に地域の人が一人や二人顔を出し、そして同年の11月伝道の初穂として吉田という青年が洗礼を受けました。

宣教師の数が増え、日本人の伝道師や牧師が育てられ、LEAFの宣教活動は諏訪地方から、東京と札幌におよびました。1913年このように生まれた「福音ルーテル教会」の最初の総会が開かれました。1940年までこの教会に2240人の信徒が洗礼を受けました。「誰が初めのささやかな日をさげすむのか」と預言者ゼカリヤの書に書いてある通り、神様はささやかな伝道を祝福して下さいました。

 

  再建の時代

戦争の敗北の時代が終わり、灰の中に隠され、見えなくなった福音の種が、神様の偉大な力の証としてもう一度芽生え始めました。フィンランドに帰っていった宣教師が日本に戻り、各地に散らばった牧師や信徒がもう一度集められ、困難の中に追いつめられた教会は少しずつ活動を再開出来るようになりました。

再建と同時に、新しい時代が始まり、各ルーテル教会間の共同活動は課題となりました。LEAFの伝道活動から始まった「福音教会」は、1963年に自立した「日本福音ルーテル教会」と次第に合同するということが決定されました。最初は福音ルーテル教会の各教会は「東信北部」(=東京、信濃、北海道部会)をなし、そして次第に一つの教会に成長してきました。現代、フィンランドから派遣されるLEAFの宣教師は日本福音ルーテル教会から任命を受け、教会が示すところで働いています。

 

  21世紀に向けて

およそ170年前、フィンランドのそれぞれの地域では四つの霊的な運動が誕生し、教会の活動を潤していました。その中で「福音運動」と呼ばれる運動は、主イエスのあがないの死と救いの喜びを伝え、そのしるしとして洗礼を大切にしてきました。また信徒教育に励み、マルチン・ルターの著作を翻訳し、出版する活動に専念しました。この運動の本部として、1873年フィンランド・ルーテル福音協会(Lutheran Evangelical Association of Finland)が創立されました。

自分だけで喜ぶのではなく、まだキリストを知らない国でも伝道しようという思いでLEAFは、日本、そしてアフリカのケニヤ、カメルンとサンビアに宣教師を派遣し、その他の外国教会も支援しています。国内活動では、聖書教育、青年伝道、音楽活動に励み、アルコール中毒その他社会問題と関わっています。

2000年とは、主イエス・キリストの誕生を覚える記念すべき年であると同時に、LEAFにとって日本伝道の100周年記念を祝う喜ばしい一年でもあります。日本からLEAFの夏大会に出席する旅行団を送り、またフィンランドからの旅行団も日本に迎える予定です。詳しいことについては後ほど各ルーテル教会で案内をいたします。

私自身は今、フィンランドの宣教師が開拓伝道を始めた札幌で教会の仕事をさせていただいています。ある日私が疲れていた時、一人長い間教会生活を続けてきた信徒が言いました、「あなた方フィンランド人の宣教師を通して私たち日本人に与えられた祝福は大きい。」このような感謝の言葉に大いに励まされました。日本福音ルーテル教会はまだまだ小さいし、私たち宣教師たちの数も少ないけれども、前向きに一歩一歩と歩みながら伝道を続け、一人でも多くの日本人にイエス・キリストの愛を伝えたいものです。

(2001年 3月号)

フィンランド共和国紹介

 みなさん、こんにちは。ヨハンナ・ハリュラです。今月からシリーズで、私の国フィンランドについて皆さまにご紹介いたします。どうぞ、お楽しみください!

 まず第1回目は、フィンランドの国の全体像についてです。

 フィンランドは、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、アイスランドと同じスカンジナビアの国で、ヨーロッパの中でまたEUの中で一番東に位置し、ロシアと隣接しています。1917年12月6日に、ロシア帝国より独立。白地に青い十字のフィンランドの国旗は、1918年に制定された法律で公式の旗となったもので、「祖国の湖の青さと雪の白さ」とある詩人が1840年に詠んだ詩に象徴された色使いとなっています。公用語は、12世紀から16世紀にかけてスウェーデン領下にあった影響もあって、フィンランド語とスウェーデン語の2カ国語です。首都は、皆さんご存知のヘルシンキです。

 国土は北緯60度と70度の間、それは日本で言うと北海道の北、サハリンよりもっとずっと北あたりに位置していて、その内1/3は北極圏内にあります。面積は、日本の面積から四国を引いた位の大きさの約34万平方キロメートル。その中に、世界で一番多い約19万の湖を保有し、国土の69%を森林が占めています。そして、人口は東京都の半分より少ない約510万人で、国の南三分の一に住んでいます!

 国の宗教はルーテル教会で、国民の86%が信仰しています。

 政治体制は、議会制民主主義の一院制。大統領は6年毎に直接選挙で選ばれ、昨年2月に選ばれた史上初の女性大統領はタリア・ハロネンさんです。国会議員200人は4年毎に普通選挙で選ばれます。現在200議席の内、女性は74人。18人の閣僚の内、7人が女性です。

 また、通貨の単位はフィンランド・マルカ(FIM,MKなど)。2000年10月現在1マルカ=17円です。来年よりユーロ通貨に統一されます。 1999年現在、日本からフィンランドへの輸出総額は1531億円。フィンランドから日本への輸出総額は882億円。

 私たちの国の言葉でフィンランドを「スオミ」といいます。それは、私たちの国の名前と私たちの言葉を指します。これからこのシリーズの中でフィンランドのことをスオミと呼んでまいりたいと思います。

(2001年 3月号)

自己紹介    ヨハンナ・ハリュラ

 「フィンランドの首都ヘルシンキから西へ75・程離れた、ケラミックの生産が中心のNUMMI-PUSULAという街で生まれました。父、母、兄、姉、私の5人家族ですが、すでに兄と姉は結婚しています。子どもの頃から、日曜日には両親に連れられて教会へ行っていました。当時、日曜学校が無かったので両親と大人の礼拝に出て、まだ、本を読めなかった私ですが讃美歌を歌うことは早くから出来るようになりました。歌うことの楽しさは、このとき覚えました」

 「また、教会の婦人会の集まりの一つに、日本へ伝道することについて話し合う特別なグループがありました。聖書を学び、讃美歌を歌い、海外で働く宣教師たちの現地からの手紙を読んでその働きの為にみんなで献金をして祈りました。子どもながらにそのグループに参加していた私にとって意味のある集まりで、気がつくと私がいま日本で伝道していることは、とても不思議でなりません。

 もちろん子どもの時から神様を信じていましたが、私が16歳のとき兄が階段から落ち大きな怪我をしました。もう、歩けなくなるかもしれないとまで医者から言われていたのですが、怪我から1ヶ月半後のある日、兄は歩けるようになったのです。この間、ずっと神様に兄を助けてくださいと祈り続け、そして、また自分の将来をはっきりとイメージして色々と神様のことを考えるようになりました。

 大学ではデザインを専攻し、卒業後はファッションデザイナーの仕事をしていました。しかし『教会でもっと人々と一緒に働きたい』と考えるようになって仕事を辞め、神学の勉強なかでも青年達への伝道について専門に学んで信徒宣教師となりました。その時の校長先生が、クーシランタ先生でした」

 「1997年のクリスマスの前に来日し2年間の日本語の勉強を終えて、今年からむさしの教会で働くことになりました。2ヶ月が過ぎましたが、すでに大柴先生や皆様から色々と助けていただいていて感謝しています。教会では皆さんが熱心に働いていて、その様子から神様を本当に信じていることが分かり本当に嬉しく思っています。むさしの教会でのこれからの3年間に、青年たちと一緒に働たいです。青年たちとの家庭集会や聖書の学びをぜひ実現させたいと思っています」

 「エペソ2章8・9節の恵みについてと第2コリント12章8~10節のことばが大好きです。讃美歌は教会讃美歌255番と454番(=教団276番)が好きです。

(2000年 3月号)