たより巻頭言「暗い夜に」 大柴 譲治

「学者たちはその星を見て喜びにあふれた。」(マタイ2:10)

  ♪暗い夜にみ子が生まれた。
   部屋がなくて、うまやの中に。
   神さまはさびしさを家とされた。

   主は貧しい人々の友、
   悩む者の仲間にはいる。
   神さまはさびしさを家とされた。

   主はピラトの前に立たされ、
   闇の中で裁きを受けた。
   神さまはさびしさを家とされた。

   暗い昼に十字架の主は、
   とげの冠、頭にかぶる。
   神さまはさびしさを家とされた。

   夜明けの頃、声が聞こえた。
  「イエスは墓にもうおられない」。
   神さまはさびしさを家とされた。♪
             

 これは私の好きな教会讃美歌の315番である。原題は “A Cry in the Night”(その夜の泣き声)。それはいつ、だれの泣き声、だれの叫びなのか。私たちのそれとみ子の産声とが重なる。確かにみ子なる神は、その誕生から死に至るまで、徹底して人間のさびしさを住まいとされた。孤独な人の友となるために。私たちのさびしさはごまかせない。人は独りで生まれ、独りで死んでゆくのだから。しかし、そのような私たちのさびしさはみ子イエス・キリストによって担われている。そう聖書は記している。

 聖書には日付けへの言及はないが、クリスマスはやがて12月25日、北半球では闇のもっとも深い時に祝われるようになった。み子の誕生を告げる星は深い闇の中に輝いている。「光、あれ!」。すると光があったのだ。そして、この光はすべてを貫いて輝いている。この光の届かぬところはない。

 だから、孤独を感じている人たちに、そして、それをごまかさずに見つめている人たちに伝えたい。

 Merry Christmas!

 今日、ダビデの町に私たちの救い主がお生まれになった。あなたのさびしさを慰めの光で照らすために。あなたがその星を見て喜びにあふれるように。