たより巻頭言「神の憐れみの響き~アルヴォ・ペルトの音楽」 大柴 譲治

心に響く音楽との出会いはすばらしい。エストニアの現代作曲家、アルヴォ・ペルト Arvo Part の『連祷 Litany 』というCDがある。東方教会の教父、聖ヨハネス・クリュソストムスの祈りをもとに1994年にオレゴンバッハフェスティバルからの委嘱を受けて作曲された。

 この曲の何が心に響くのだろう。その禁欲的で清冽で、敬虔な響きか。確かにそこには祈りの響きがある。ポスト・アウシュビッツーヒロシマーチェルノブイリという希望のない世界に生きる私たち。『連祷』は絶望の中から神のあわれみを求める人々の祈りの声だ。それは互いに孤立した私たち現代人に忘れていた沈黙の豊かさと涙の暖かさ、共に祈る交わりの有り難さといったものをもう一度教えてくれている。

 ペルトはこれを修道院で作曲している。修道院とは祈りの場。そこには昼も夜も交代で祈り続ける修道士たちがいる。いとすぎの聖研で「主の祈りは世界を包む祈りである」(ティーリケ)と学んだ。とすれば私たちが祈るのではない。私たちが祈られている。祈りが私たちの中にあるのではなく、祈りの中に私たちが包まれてあるのだ。ペルトの音楽は主イエスの祈りの中に祈る私たちが置かれていることを伝えている。

 ペルトの音楽が心に響くのは、それは私という一個の人間の弱さの上に豊かに注がれている神の憐れみの響きを伝えているからではないか。

  O Lord, forsake me not. おお主よ、われを見捨て給うなかれ。 (『連祷』の一節より). アーメン。