説教「人々からでもなく、人を通してでもなく」 大柴譲治

ガラテヤの信徒への手紙1:1-10

はじめに

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがわたしたちと共にありますように。

「戦いの書」

時代の節目節目でパウロの手紙は大きな役割を果たしてきました。宗教改革の時代においてもそうでした。ルターもガラテヤ書のみ言葉から力を得て宗教改革を始めてゆきました。それはパウロのこの手紙が明確に「信仰の原点/核心」を示しているからです。このガラテヤ書は三つの主題を巡って書かれています。「パウロが本物の使徒であるということの根拠(パウロの使徒性)」と「信仰義認」、そして「キリスト者の自由」という三つです。私たちの教会も一つの節目を迎えようとしている今、11月までの四ヶ月、12回の主日礼拝を通してパウロのガラテヤ書を通して私たちの信仰の原点を再確認してゆきたいと思います。

このガラテヤ書はその論争的な性格から「戦いの書」と呼ばれてきました。特に1:6以降の言葉からはそう感じられると思います。パウロは早々に挨拶を切り上げて本題に入ってゆくのです。いや、実は冒頭の1:1の「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ」という言葉からもその特徴は明らかです。ガラテヤ教会にはパウロの使徒職の真実性を巡って議論がありました。そもそもパウロはユダヤ教ファリサイ派の若きエリート律法学者で、キリスト教の迫害者でした。生前のイエスさまに会ったことは一度もありませんでした。その意味では直接イエスさまによって集められたペトロやヤコブ、ヨハネなどの「12使徒」とパウロは全く異なる経歴を持っていたのです。

そこから彼の使徒性を疑う人々がいました。パウロは自分のことを「使徒」と呼んでいるが一体何を根拠としているのか。生前のイエスさまとお会いしていないばかりか、12使徒との関わりも持っていないではないか。本来パウロはキリスト教の迫害者であって、最初の殉教者ステパノが殺された場面にも関わっていたではないか(使徒言行録8章参照)。一体誰が彼を「使徒」としたのか。勝手にパウロは自らを「使徒」と名乗っているだけで、12使徒のはしくれにも及ばないではないか。などなど、彼の使徒性の真偽を巡って批判と非難が集中していたのです。

「人々からでもなく、人を通してでもなく」

そのような疑いと非難の中でパウロは明確に宣言します。自分は「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ」であると(1節)。自分が使徒とされたのは、出自や人間的なつながりに拠るのではないのだ。直接「イエス・キリスト」と、キリストを死者の中から復活させた「父である神」とによって使徒とされたのだ、と。これ以上に確かなことはないとしてパウロは自らの使徒としての根拠を、イエス・キリストと父なる神からの召し出し(コール/召命)によるのだと高らかに宣言するのです。

しかもそれは、15節を読みますと、自分が生まれる前から、まだ「母の胎内」にあるときから神が「選び分け、恵みによって召し出してくださった」のだと言うのです。キリストと出会うということはそこからすべてが開けて見えてくる次元があるということなのでしょう。既に母の胎内にある時に、否、その遙か以前から、あの二千年前のキリストの出来事(受肉と十字架、復活)が自分のためであったということが神の救いの歴史の中で瞬時につながって見えてくるのです。

確かに使徒言行録の9章を読みますと、パウロはダマスコ途上で復活のキリストによって「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかけられて、三日間目が見えなくなり、飲まず食わずとなったとき、ダマスコで神から遣わされたアナニアと出会うことによって劇的な回心を遂げたと記されています。復活のキリストと出会うことによって、パウロ(サウルはその別名です)はキリスト教の迫害者からキリスト教の伝道者へと180度転換させられるのです。「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ」という言葉はこのような彼自身の体験から来ています。私たちはしかしそこにアナニアという人間が遣わされていることを注意しておきたいと思います。先に信仰を与えられた者が神さまによって用いられているのです。

このことはパウロに限らず、私たち信仰者にとっても大切なことを意味していましょう。私たちの多くは信仰にまで導かれるプロセスにおいて何人もの信仰の先輩たちと出会ってきました。ある人にとってそれは両親であり、兄弟であり、配偶者であり、恩師であり、信仰の友、仲間でありました。あるいは苦難の時に自分と共に歩み、自分に真剣に向かい合ってくれた牧師や宣教師であったかもしれません。確かにそれらの二つとない出会いを通して私たちは聖書のみ言葉の深みへと導かれ、そしてそこでキリストと出会ってきたのだと思います。その意味ではパウロの言葉とは逆で、私たちは「人々から、人を通して」キリスト者とされているのです。しかし、それらの人間的な次元を越えて、神自らが働いておられる次元を見て行く信仰のまなざしがそこでは求められている。教会は人を見るのではなくキリストを見る場所であり、主イエス・キリストを通して父なる神を見上げる場所なのです。人間関係という水平次元を越えて、神との垂直次元の存在に気づく必要があります。ガラテヤの教会は人を見てばかりいて神を見失っていたのです。

コンパスが必ず真北を指してピタッと止まるように、私たちの魂は神を向いて生きるように定められているのです。パウロは2コリント4章の終わりで次のように語ります。「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」(18節)。私たちは最初から神に向かって、神との関係の中に生きるように定められています。それを聖書は様々な言い方をしていますが、創世記の1章では人間が「神のかたち/似姿」に造られていると記しているのです。

「人々からでもなく、人を通してでもなく」という言葉は、私たちにキリストとのつながり、神とのつながりの決定性、中心性、重要性をひと言で言い表している言葉なのです。十字架と復活の主イエス・キリストご自身、父なる神ご自身が、私たち一人ひとりに働きかけてくださり、そして私たちはここに集められているのです。

その意味で、キリストによって召し出され、キリストによって出会い、つながりを与えられた者たちの群れ、それが「教会」であります。地縁でも血縁でもない。それは「キリスト縁」「聖霊縁」とも呼ぶべき関係です。教会とは神によって集められた「神の家族」なのです。

「ほかの福音はない」

さて、問題の6節以降です。このガラテヤ書が「戦いの書」と呼ばれるほど論争的性格の強い手紙であることは先に申し上げました。パウロも強い口調で書いています。それは「何としてでもこれを曖昧にしてはならない、ここから離れてはならない」という信仰の原点がそこで語られているからです。昔「うるさい親ほどあったかい」というCMがありましたが、パウロは第二伝道旅行の途上で自分がその誕生に関わったガラテヤ教会の「産みの親」として必死なのです。率直で、そこには遠慮がありません。パウロとガラテヤ教会の本当に親しい関係、密接な関係がそこには逆に浮かび上がってくるように思います。ガラテヤの教会員たちも驚いたことでしょう。自分たちがそれほど大きな問題だとは思っていなかったことが、自分たちの「信仰の親」であるパウロによって厳しく叱責されているのですから。

「キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。ほかの福音といっても、もう一つ別の福音があるわけではなく、ある人々があなたがたを惑わし、キリストの福音を覆そうとしているにすぎないのです」(6-7節)。パウロはキリストの福音はただ一つであると言います。異なった福音、もう一つ別の福音があるわけではない。あなたがたは惑わされ、キリストの福音から離れようとしているのだ、とパウロは言うのです。

そこからパウロは「呪われよ」という厳しい非難の言葉を二度繰り返しています(8-9節)。「呪われよ」とは「神の裁きに委ねる」という意味です。キリストが生命を賭けて私たちに与えてくださった十字架の福音です。パウロはそのことの重さを知っている。それを失う、そこから離れるということは死へと定められるということでもある。ある人は言いました。「呪いを語ることができる者だけが祝福を語ることができる」と。「キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです」(4節)。これが福音なのです。

soli deo gloria

5節も実に味わい深い言葉です。「わたしたちの神であり父である方に世々限りなく栄光がありますように、アーメン」。ただ神にのみ栄光がありますように。ラテン語で言えば”soli deo gloria”です。(ヨハン・セバスチャン・バッハはその作品の最後にいつもs.d.g.と記したそうです。)

先日の宣教フォーラムの中で、賀来先生がドイツの修道院を訪ねたときのお話を分かち合ってくださいました。修道院には必ず修道士たちの墓地があります。その墓碑銘にはそのsoli deo gloriaという一言が刻まれていたというのです。自分の人生も最後にそのような墓碑銘で締めくくることができたらいかに幸いなことかと思いますと賀来先生は語られました。

私は「アーメン、真に然り」としみじみと深く感じ入りました。私たちもたとえささやかな人生であったとしても、そのような人生を送ることができたら、この世で与えられた使命を全うすることになるのではないかと思います。私たちの主イエス・キリストが私たち主を信じる者を皆、そのように告白する者へと造り変えてくださるのだと信じます。そのことを覚えながら、私たちは新しい一週間を踏み出してまいりましょう。ただ神にのみ栄光がありますように。 アーメン。

おわりの祝福

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。

(2010年7月11日 聖霊降臨後第六主日説教 ガラテヤ書連続説教開始日)