神の祝福の虹を仰ぎ見て    大柴 譲治

「憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみをうける。」(マタイによる福音書 5:7)

「すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。」(創世記9:13)

むさしの教会の礼拝堂はノアの箱舟をかたどって造られています。設計者は教会員の河野通祐(こうのみちすけ)兄。和風建築の専門家でした。当時神学校で礼拝学を教えていた青山四郎牧師と協議を重ね、周囲との「共生」を考えながらここを設計したと伺いました。「建築とは思想」なのです。

『教会とシンボル』という小冊子にはこの教会のシンボル一つひとつに込められた深い意味が記されていますのでぜひお読みいただきたいところです。外壁にはつがいの動物たちが天を見上げているレリーフ(山本常一作)が置かれています。彼らは天に架けられた虹を見上げているのです。創世記によれば「虹」は「神の契約のしるし」です。

「雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める」(9:16)。教会は虹を見上げる場所です。築後一年ほどしてむさしの教会には米国より羊飼いのステンドグラスが与えられました。それはいつも陽光の中で虹色に輝いています。神がいついかなる時にも私たちを見捨てることなく、私たちとの「契約」を思い起こしてくださることを私たちが想起する場所なのです。

「取って食べなさい。これはあなたがたのために与えるわたしのからだである。取って飮みなさい。これは罪のゆるしのため、あなたがたと多くの人々のために流すわたしの血における新しい契約である」(聖餐設定辞)。そのように告げて私たちにご自身のすべてを与えてくださったキリストの新しい契約、それこそ「虹」が指し示している「永遠の契約」です。礼拝を通して私たちは共に虹を見上げることができる。何という喜び、何という慰めでしょうか。そこには神の祝福が満ちています。

1997 年8 月24 日(日)の礼拝で「燃える柴、燃え尽きない柴」と題して説教を始めてから18 年7 ヶ月が経ちました。昨年10 月4日(日)には宣教90 年を記念。『むさしの教会宣教90 年記念誌』(編纂委員会編、八木髙光委員長)も完成しました。また新ビジョン委員会(市吉伸行委員長)の答申も定期総会で分かち合われました。これは10 年後25 年後を視野に入れた私たちの教会の羅針盤です。一つひとつがこの教会の人材の豊富さを表すと共に、歴史を貫いてキリストの現臨があったことを証ししています。

私は3 月末で当教会を離任し4 月より大阪教会の牧師となりますが、これまで皆さんと共に虹を見上げつつ歩むことができたのは大きな祝福であったと思っています。これまでの私たち家族へのお祈りとお交わりに心から感謝して、後任の浅野直樹Jr 牧師にバトンを託してゆきたいと思います。むさしの教会の上に神さまの祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。soli deo gloria.

「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」(イザヤ40:31)