たより巻頭言『たったひとつのたからもの』 大柴 譲治

「わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛し、あなたの身代わりとして人を与え、国々をあなたの魂の代わりとする。」(イザヤ43:4)

私たちは誰も自分で自分を選ぶことはできない。生まれる時代も場所も、国籍も親も子も、何一つ選ぶことはできない。すべては向こう側から与えられるようなかたちで定められている。気がつくと私はこの私という存在としてこの場に置かれていたのである。一人ひとりが唯一無比という意味でかけがえのない存在である。「かけがえのない」とは英語で irreplaceable と書く。別のものに置き換えることができないという意味である。そう思うと、今ここに私が私として生かされていることはまことに不思議に思えてくる。このいのちは置き換えがきかないたったひとつのいのちだから、失われたら二度と戻っては来ない。一期一会の出会いというものも同様である。そこからはすべては奇跡であるように思えてくるのだ。だから今この瞬間、この出会いを大切にしなくてはならない。

明治生命のCMで有名になった一枚の写真がある。海を見に行った秋雪くんと秋雪くんを後ろからヒシと抱きしめるお父さんの写真だ。秋雪くんはダウン症。6 年間の生涯をお父さんとお母さんと一緒に精いっぱい生きた。それはまた『たったひとつのたからもの』という本となって紹介されている(加藤浩美、文芸春秋、2003)。インターネットでCMを見る。小田和正の歌に乗って写真と言葉が紹介されてゆく。心に沁みるストレートな歌声であり、言葉である。「ララララララ、言葉にできない。あなたに会えて本当によかった。うれしくて、うれしくて、言葉にできない。ララララララ。」

いのちはかけがえがない。だから貴い。ちょうど教会の羊飼いのステンドグラスが向こう側からの光を受けて輝くように、私たちのいのちは神さまの光を受けて輝く。神さまは私たち一人ひとりにこう語りかけていてくださる。「わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛している」と。花が種の蒔かれたところに根を張って無心に咲くように、私たちもまた私たちの置かれたところで、このたったひとつのかけがえのないいのちを大切に輝かせてゆきたいと願う。そこに神さまのみ心があるのだから。

今は秋。教会の桜も落ち葉が少しずつ色づき始めている。 いのちに幸あれ!

「花はなぜ美しいか。ひとすじの気持ちで咲いているからだ」(八木重吉)。


(2004年10月号)