むさしの教会宣教90年記念日「お祝いの言葉」 和田 みどり

宣教90年の歩みを常に支え、祝福をお支え下さった主を讃美します。歴代の牧師、宣教師の先生方のご努力とお導きを心より厚く感謝申し上げます。この佳き日に教会を覚え、久しぶりに集ったお一人お一人の胸にある想いと共に記念礼拝を持てたことは大きな喜びでございます。

キリストを証として生きた信仰の先輩方を覚え、教会の家族となり、一足一足信仰の道を歩み、お互いに絆を強められるむさしの教会は私の誇りです。

教会の礼拝は式文に従って懺悔より始まり、4曲の讃美歌を歌い、神を讃美いたし、牧師の福音のお言葉は私たちの心に深く響き、讃美を通し、教会に奉仕する心、自分を見つめる心を高め、教会生活を楽しみながら明るい心になっていきます。

ノアの方舟をかたどった教会堂、数々の彫刻、イエスの温かい眼差しのステンドグラスは一番みんなが休まる場所であり、私たちが病んでいるときは勇気を頂き、力を頂き、清めて下さり、喜んで心が明るくなり、重い心を軽くして下さる場所です。

私事ですが、クリスチャン三代目の私はミッションスクールに入学、初めての聖書の時間に詩編23編を教えて頂きました。この美しい聖句を来週までに暗記してくるように宿題が出ました。戦争前の事です。聖書は全部文語体でした。苦労して覚えました。

その聖句であるステンドグラスが教会のシンボルとして置かれたことは驚きであり、嬉しかったのを覚えています。

神様に今も生かしていただいております。

 

昭和5年に都心より鷺宮に引っ越してまいりました。自然一杯で田園、川、白鷺の飛び交う中、朝に夕に神学校より流れてくる讃美歌の鐘で育ち、昭和8年には二人の従姉妹は神学校の一室で始まった日曜学校へお手伝いに向かいました。5歳の私はいつも喜んで付いていきました。ルーテルとの出会いでした。青山四郎牧師が神学生の時です。

戦争も終わり、神学校教会として昭和21年より日曜学校が始まり幼稚園に勤めていた私は今度は教師として招かれました。ベビーブーム時代です。

当時一緒に遊んだ子供たちは、今教会の立派な柱となり、力となり、自分の教会のご奉仕に励んでおり、本当に嬉しく感謝の限りです。

賀来先生、キスラー先生時代はしばらく教会をお休みしておりました。クリスマスキャロルが我が家にいらした時はお休みどころとして35年間「お汁粉や白菜漬」で沢山の方に楽しんで頂きました。その頃の集会は自宅周りでしたので「いとすぎ例会」が我が家である時は母が必ず「ちらし寿司を作ってね」と所望されいつも30人位の方がいらして下さいました。母は「いとすぎ」の先輩です。

21年前嬉しい教会へ戻ることが出来ました。成長した教会は立派になっておりすっかり基礎が組織化され皆様のお顔がお元気にイキイキなさっておりました。

役員の皆様のご奉仕に感謝しております。

 

私の21年間は山あり谷ありでしたが、その経験を生かしご奉仕が出来る事、楽しんで励めることは嬉しいことです。気が付いてみると神様がチャンと見ていて下さり、守ってくださり、見放されることなくいつも共にいて下さったことを深く深く感じ感謝一杯です。私の生涯は一つの教会で育てて頂き皆様と共に歩める幸いを喜びとしています。

時代がどんどん変化し、すべて電子化され急速に変わったことは驚きです。

90年史が編纂され、先達された方々の証を通し、宣教ビジョンを教会員一同一貫となって100年を迎えるため討論会を重ね、話し合いが出来ることは何より嬉しいことです。

神様の見守りのなか、一つになって教会が発展されることをせつに祈って今日のお慶びの言葉にさせて頂きます。

 

もう一言申し上げます。10月7日に100歳を迎える矢島英子姉は冒頭に話した神学校の日曜学校に(昭和8年)奉仕なさった方。また柴崎芳子姉は99歳の方。お二方は「今日参上出来ませんが本当に嬉しい記念日でお慶び申し上げます。」と伝言がございました。

              2015年10月4日