〜読書会から〜 夏目漱石「吾輩は猫である」 廣幸 朝子

世の中にはイヌ派とネコ派がいるらしい。

そしておおむねネコ派の人はイヌも好きだが、イヌ派にはネコは嫌いという人が多い。ネコは人の云うことを聞かない、何を考えているか判らないからだという。要するに自分の支配の及ばないものはケシカランということだ、いかにも傲慢な人類の考えそうなことである。

イヌは賢いというが果たしてそうか。イヌは教えられなければ何もわからない。人間と同居するにあたってしつけ教室に通いさまざまな訓練を受けるがそれでも鎖に繋がれる。

一方ネコは、人間ををよく観察して、すべてをわきまえて上手に居場所を確保できる。だから自由を奪われることもない。その優美なフォルムと驚異的な身体能力と何者にも媚びない自由な精神を愛でて、ヒトは、霊長類などと威張っているヒトも、ネコにだけは膝を屈するのである。そんなネコだからヒトを観る目も上から目線になる。

その頃では数少ない大學出の教師として世間の尊敬を集め、職場でも家庭でも威張っている苦紗弥先生も、実は世間知らずの小心者と喝破する。先生宅に何かと集まってくる、これも錚々たるインテリの迷亭、寒月、東風たちの話を聞きながら、ヒトはつまらぬことにこだわり、人生をわざとややこしくしていると嗤うのである。主人だけをひたすら見上げ滅私奉公を生きがいとするイヌには到底持てない視点であろう。失礼ながら、田村ルナ嬢にはこんな本は書けない。

我が家の三代目の猫アトムは、その穏やかな性格で皆に愛された。ウラの元警視総監の未亡人宅で毎日のように開かれていたお婆さんたちの女子会のアイドルになり、庭先に姿をみせると喜んで招き入れられた。「アトムが人間の言葉をしゃべれたらエライことやね」と言いながらご近所の噂話は一層盛り上がった。侘しい一人暮らしの男性たちにも可愛がられしばし話し相手となり究極の傾聴ボランテイアも務めた。そのように他家を訪問するときはいつも、おなかをすかせたノラ猫を一匹連れてきたという。

そして自分に用意されたご飯をまずノラに食べさせ、残りを食べた。ノラも必ずアトムのために少し残したという。ヴァイオリンが好きで、幼い娘がキラキラ星などを弾いていると傍に来て一生懸命唄う。ベートーベンのシンフォニーとまでは云わないが、教会の聖歌隊くらい・・・かな。お向かいの奥さんは子供がヴァイオリンのお稽古をしぶると「アトムちゃん、ちょっと来て」と借りに来た。そんな風にアトムは町内随一の情報通であったが、知り得た情報を公にすることを潔しとせず、しずかに生涯を終えた。訃報をきいてご近所からたくさんの花が届けられた。

あるほどの 菊投げ入れよ 棺のなか
漱 石