説教 「祝福された人生」  大柴譲治牧師

ルカによる福音書 24:44ー53

はじめに

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。

昇天の主の祝福の姿

本日は主の昇天主日。復活後40日間にわたってご自身を現された主イエス・キリスト。聖霊降臨日の前にこの地上からは見えるかたちで姿を消されたことがルカ福音書の最後と使徒言行録の最初に記されています。本日は主の昇天が私たちにとってどのような意味を持っているのかに焦点を当ててみ言葉に思い巡らせてみたいのです。

ルカ福音書の報告によると、主は昇天される時に手を上げて弟子たちを祝福されながら見えなくなったとあります。「イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた」(24:50-51)。主は祝福の姿で天に昇られたのです。そこから今もなお主は、見えない姿ではあっても、手を上げて弟子たちを祝福しておられるのだということを思います。

このことは私たちの理解を越えた出来事です。現実に私たちを取り巻く悲惨さの中で、苦しみや悲しみ、不条理が跋扈する中で、どこに祝福があるというのでしょうか。祝福などどこにもないように見えるこの世の現実の中にあって、昇天の主の祝福は何を意味しているのでしょうか。

フィンランドを訪問して

5/16(金)-25(日)と17名でフィンランドを訪問しました。今回は本国に帰国中のヨハンナさんの母教会を訪問し、日本宣教のために祈り続けてきてくださった教会員と交流を深めたいという目的がありました。

フィンランド南部は暗くなるのが夜11時前頃で、朝3時過ぎには明るくなりましたので、一日が大変長く感じられました。到着したのは金曜日の夜でしたが、最初の四日間はヘルシンキから西に170キロほどバスで走ったところにあるヨハンナさんの教会の持つヴェーカリンネという研修施設に滞在しました。そこは森の中で湖のほとりにあって、サウナを浴びて湖に飛び込むという極めてフィンランド的な体験もいたしました。

翌土曜日には、特別な計らいで、日本伝道を支えてこられた方のご葬儀に参列する機会も与えられました。弔鐘が鳴る中、墓地に隣接するチャペルで葬儀は行われました。葬儀の前半部分は沈黙が支配しましたが、参列した人たちが順に白い舟をかたどった棺の横に進み出て、それぞれ聖句や葬送の言葉をひと言ずつ語りながら花束を捧げる場面は大変に印象的でした。後半は牧師による祈りと説教、祝福が捧げられた後に出棺です。墓地までは同行できませんでしたが、ご遺族と深い悲しみを共有し葬儀に参列していた人々の思いが言葉の壁を越えてダイレクトに伝わってきました。私たちも心の中で様々なことを思い起こしながら、天来の慰めをお祈りいたしました。司式者のクルカ牧師の遺族に対する牧会的な配慮が伝わってくるような葬儀でした。

その日はまた、ヨハンナさんのご両親の家や日本伝道を中心になって支えてこられたナッキ兄弟の家を訪問してご馳走をいただきながら交流をいたしました。ナッキ家の92歳になるおばあちゃまが、「自分はこのような織物を作って売ることでずっと日本伝道を支えてきました」と語りながら作った作品を見せてくださる姿に熱いものを感じたのは私一人ではなかったと思います。

18日の日曜日にはヨハンナさんの母教会であるハミナ市のヴェーカラーティ教会の聖餐礼拝に参加しました。その教会は1万1千人の信徒に5人の牧師を抱えています。礼拝出席は100人少しで、通常の出席率は1%というところでしょうか。クリスマスには教会が溢れるそうです。ちょうどその日は第二次大戦における戦没者追悼記念日でもあり、男性クワイアの讃美に始まり、讃美に終わる礼拝でした。その歌声は強く聞く者の魂に響くものでした。

礼拝で最も印象に残ったものの一つは、地球儀のようなロウソク立てにロウソクが灯されていたことです。牧師になって一年目というマチルダ先生にその意味を伺いますと、世界宣教のためとのことでした。毎週の礼拝の中で宣教師たちの働きを覚えてロウソクを立てて祈っているのです。そこで私たちも入口の近くに置かれていた世界宣教のためのロウソクを購入して17本のロウソクを立てました。その日は全部で23本の世界宣教を覚えるロウソクが灯されました。目に見えるかたちでこのように祈るということの大切さを今回初めて身にしみるようなかたちで思わされたように思います。このむさしの教会でもいずれ同様のことを実現したいと思っています。

祝福された人生~初代宣教師の場合

フィンランドから最初の宣教師が派遣されたのは今から103年前、1900年12月13日のことでした。25歳のウェルロースという牧師とその家族(夫人と4,3,1歳の三人の娘たち)、そして17歳のクルヴィネンという少女の5人が76日間の船旅の末、イギリス、スエズ運河、インド洋を渡って日本の長崎に到着したのです。当時フィンランドまだロシアの支配下にあり、ロシアからの独立は1917年12月まで待たねばなりませんでした。日露戦争(1904-1905)の時には宣教師たちはロシアのパスポートを持っていましたので、敵国人として扱われたということが大岡山教会の鈴木重義氏のまとめられたブックレット『フィンランドからの贈り物』に記されています。

長い船旅でひどい船酔いに悩まされ、幼い子供たちの面倒を見ることにすっかり疲れ果てたウェルロース夫人は、心身ともに弱っていました。そして日本の建て付けの悪い家では、冬のすきま風が容赦なく吹き込んで、三ヶ月目には一番下の赤ちゃん(クッリッキ)が風邪がもとで亡くなります。ウェルロース一家は深い心の痛手の中で健康を害し、1902年の初めには帰国することになります。日本伝道の最初の犠牲はこのような悲しいしかたで払われたのです。長く不明であったクッリッキちゃんのお墓が100年後の2000年に長崎で発見され墓前礼拝が守られたという劇的な出来事も先のブックレットには記されています。その後日露戦争の困難な時に、1903年に新しく派遣されたウーシタロ婦人宣教師と共にクルヴィネン宣教師は下諏訪での働きを始めます。しかし1906年、生涯を日本のために捧げたいと考えていたクルヴィネン宣教師も病いのため帰国。1905年に派遣されたミンキネン宣教師夫妻とウーシタロ宣教師は「苦しいときほど元気が出る」フィンランド魂を発揮します。鈴木重義さんはブックレットにこう書いています。

彼らは厳しい迫害の中にあって宣教の戦いをした初代教会の人々のことを思い浮かべたでしょう。「『福音を宣べ伝えなさい』というイエスさまのご命令がある以上、一歩も後へ引くわけにはいかない」という決意を、当時ミンキネンはフィンランドへ書き送っています。その時LEAF(フィンランド福音宣教協会)から、新しい教会や宣教師館を建てるためのお金が送られてきたのです。日露戦争で敗れたロシア国内の混乱の中で、フィンランドの人々はいっそう厳しい困難を味わっていましたが、そんな中で堅い信仰に立ったLEAFの人々は、日本でがんばっているミンキネンたちに立派に答えたのです。下諏訪の宣教師たちは、こうして試練や失望を乗り越えて、希望と喜びさえ抱きながら未来を信じていたのです。(p14-15)

隠された祝福のかたち

今回の旅は、ヨハンナ・ハリュラさんという一人の宣教師の背後にあってそれを支えている家族や教会員や教会の熱い思いを私たちに教えてくれました。そのような思いがずっと103年間礼拝において灯を保ち続けてきたのです。私たちの教会がフィンランドの宣教師と関わるようになったのは、五年前半にテレルボ・クーシランタさんが、四年半前にセッポ・パウラサーリ一家が、そして三年半前にヨハンナ・ハリュラさんが宣教師として与えられて以来のことです(もちろん、その前にも語学研修中の宣教師が日曜日に礼拝に参加されたこともあったでしょう)。それまでも神学校教会時代はもちろんのこと、ドイツからのヘンシェル先生、アメリカのキスラー先生やネービー先生、デール先生などと深い関わりを持ってきました。海外からの熱い祈りと献金とによってこの教会が建っている場所も会堂の大きな部分が与えられてきたのです。

私の中には、どうしてそのような幼い子どもたちを三人も抱えた宣教師家族が17歳の少女と一緒にフィンランドから派遣されたのか、あまりにも無謀ではないかという思いもあります。彼らが味わった苦しみや悲しみ、徒労や失望を思う時に、どこにも人間的な報いがなかったことに悲しい思いがいたします。しかし、問題はそのような人間的な次元にはないのです。それらを越えた主の祝福の次元があるのだということを聖書は語っている。昇天の主が手を上げた祝福の姿のまま弟子たちの間から見えなくなったということは、弟子たちが困難の中にも見えない復活の主が共にいてくださり、豊かな祝福を備えてくださっているということを信じたということなのです。復活の主イエス・キリストご自身から祝福された人生を彼らはいただいた。それがこの世的に見ればどのように悲しく苦しいものであったとしても、そのような悲しみや苦しみによっては、微動だにすることのない、全く揺るぐことのない祝福がそこには備えられている。それを信じたからこそ彼らは、あのアブラハムがすべてを捨てて故郷を出発したように、すべてを捨て、すべてを主に委ねて出発することができたのです。

宣教師たちの、特に初代宣教師たちの苦労を思う時、「受けるよりは与えることの方が幸いである」というイエスさまの言葉が使徒言行録の20:35には記されていますが、そのような幸いと祝福とが隠されているのです。

本日は聖餐式に与ります。「これはあなたに与えるわたしのからだ。わたしの血における新しい契約」。ここに祝福があります。ここから私たちの祝福された人生が始まり、ここに私たちの祝福された人生が終わるのです。そのことを思いつつ、聖餐式に与ることの中で、今も私たちの中で生きて働いておられる復活の主のご臨在をご一緒に味わいましょう。 アーメン。

おわりの祝福

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。

(2003年6月1日  昇天主日聖餐礼拝説教)