メッセージ 「神様の約束の証人」 ヨハンナ・ハリュラ宣教師

ルカによる福音書 24:44-53

はじめに

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とがあなたがたにあるように。

『若者たち』

イースターはイエス様の復活をお祝いする日です。しかし、初めは死んだはずのイエス様がよみがえられたことは、弟子たちでさえも信じられないことでした。

イエス様が十字架にかけられるということは、弟子たちにとって大変ショックでした。イエス様が犯罪人扱いされているので、見るのも怖くて顔も隠していました。イエス様が十字架につけられて殺された時、弟子たちは愛するイエス様が死んでしまって、本当にがっかりしていました。そして、弟子たちも捕まる危険がありました。それが恐ろしくてエルサレムから逃げ出した弟子もいました。ところがペトロは見つかってしまって、「あなたもあの人の弟子でしょう?」と言われて「違います、違います、私はあんな人を知りません」と答えてしまいました。

イエス様が十字架にかけられるというので恐ろしくて、正直に自分はイエス様の弟子ですと答えることが出来なかったのです。他の弟子たちもきっと同じ思いを持っていたに違いありません。だから、イエス様が十字架にかけられてから弟子たちは皆家の中に閉じこもって、出来るだけ外には出ないようにしていました。

それから三日目のことです。弟子たちは家の中にいて、外から誰も入れないようにしっかり戸を閉じていました。ところが、弟子たちがその部屋の中で食事をしていると、突然イエス様が現れたのです。弟子たちは皆とてもびっくりしました。幽霊が現れたと思ったのです。

イエス様はそんな弟子たちの心をよく知っておられました。「あなた方はどうしてわたしのよみがえりを信じないのですか。なぜうろたえているのですか。まだ疑っているようだが、わたしは幽霊ではない。幽霊はさわることも出来ないが、わたしは骨も肉もあって、さわることが出来るんですよ」と言われて手も足もお見せになったのです。

しかし、それでも弟子たちは信じられないというような顔をしているので、イエス様は焼いた魚を一切れ取って、皆の見ている前で食べました。その時、弟子たちはやっと目の前に立っておられる方が幽霊ではなく、本当にイエス様だと分りました。誰一人疑う者もなく、「イエス様はよみがえられた」のです。そして、イエス様はよみがえって、そんな弟子たちの前に現れて言われました。「エルサレムを離れないで、前にわたしが話したように、神様が約束されたものを待ちなさい。あなた方は間もなく聖霊を受けます」と。弟子たちはイエス様が復活されたのがうれしくて、「イエス様、イスラエルの国を建て直して下さるのは今ですか?今なのでしょう?」と聞きました。イエス様は答えました。「神様が決められる時というのは、あなたたちには分りません。あなたたちの上に聖霊が降ると、あなたたちは力を受けます。そして、全世界で私のことを伝える人になるのです」とおっしゃいました。こう話された後、イエス様の姿は天に上げられて、すっかり見えなくなりました。弟子たちはイエス様のおっしゃったことがよく分かりませんでしたが、とにかく、いわれたとおり、エルサレムに戻って皆で心を合わせて祈りました。そして、祈りながら待っていた弟子たちにすごいことが起こったのです。

使徒言行録にはイエス様の弟子たちが「最初の教会」を造っていった時のことが書かれています。私たちが通っているこの教会も、もとはと言えば、最初の教会を造った人がイエス様のことを他の人に伝えて、それを聞いた人が又他の人に伝えて、そして、この街にも誰かがイエス様のことを伝えてくれたので、教会が出来ました。みなさんも誰かにイエス様のことを話したことがありますか? もし話したことがあったら、それを聞いた人は、誰か他の人に話しをして、いつか、この教会あるいは他の教会に、もう一人の教会員が誕生するかもしれません。

使徒言行録には、最初の教会を造っていくのはとても大変だったこと、でも、弟子たちが一生懸命イエス様のことを伝えていったことが書かれています。でも、これを書いたルカは「昔の人は自分たちの力だけでこんなすごいことをした」と自慢したかったのではありません。「人間の考えることや、人間の出来ることは小さいけれど、イエス様が復活して聖霊として傍にいて私達を助けて下さる時、どんな弱い人でも神様のために働くことが出来る!」とルカは言いたかったのです。

復活のイエス様を知って喜びに満たされている弟子たちに、イエス様はご自分のことを話されました。「救い主は十字架にかけられ、三日目によみがえり、すべての国の人々の罪の赦しと永遠の命を約束するのです。だからこの福音をあなた方の口によって全世界に宣べ伝えるのです。あなた方こそ、その証人です」。(つまり、ナザレのイエスのことです。神は、聖霊と力によってこの方を油注がれた者となさいました。イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、それは、神が御一緒だったからです。わたしたちは、イエスがユダヤ人の住む地方、特にエルサレムでなさったことすべての証人です。人々はイエスを木にかけて殺してしまいましたが、神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました。しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活した後、ご一緒に食事をしたわたしたちに対してです。そしてイエスは御自分が生きている者と死んだ者との審判者として神から定められた者であることを、民に宣べ伝え、力強く証しするようにと、わたしたちにお命じになりました。また預言者も皆、イエスについて、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる、と証ししています。」使徒言行録10:38-43)

よみがえられたイエス様は今も生きて働いておられます。私達もイエス様からの力を受けて、イエス様のことを伝えましょう。

祈り

祈りましょう。

愛する天のお父様。私たちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。あなたはわたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。天地創造の前に、あなたはわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。あなたがその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、あなたの豊かな恵みによるものです。あなたはこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えてくださいました。わたしたちを憐れんで、導いて、救ってください。主イエス・キリストのみ名によって。アーメン。

おわりの祝福

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。

(2005年 5月8日 昇天主日礼拝)