夏目漱石著「草 枕」      川上 範夫

 漱石は34歳で、3年間のロンドン留学を経て東京帝大英文科で教鞭をとるが、常々神経衰弱に悩まされ、これを和らげるために執筆したのが「吾輩は猫である」といわれる。彼は引き続き「坊ちゃん」を発表、人気作家となる。この二作ともユーモアのある作品だが、「草枕」はこれらと異なりシリアスなものである。本書は発刊と同時に異常な人気を博し、明治文壇の最大傑作といわれた。これを機に漱石は創作に生涯を賭ける決意を固めたという。その後も次々と話題作を発表するが胃潰瘍の悪化により50歳で逝去した。彼の作家活動はわずかに12年であった。

 さて、「草枕」の書き出しは有名である。「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」。

 ところで、この作品は一口で言えば、東京に住む画家が、都会の喧噪を離れ奥山の温泉宿に逗留するという旅の物語である。彼の言葉を借りるなら「いやな奴で埋まっている俗界を脱し、非人情の世界で遊ぼう」というのである。文中に登場する人物はいずれも平凡な連中である。峠の茶屋の婆さん、床屋のおやじ、お寺の和尚、宿の下女など。だが漱石の筆にかかると一人一人が味のある人間に見えてくる。又、この連中との会話は実に軽妙である。ところが画家は温泉宿の持主の出戻り娘、那美という女性に特別な関心をもつ。そして、この女性についての描写が長々と続く。然もその文章は漢文調で、読むのに一苦労である。

 それにしても、明治の知識人の漢学についての素養の高さには感服する次第である。だが、本書はただの旅日記ではない。随所に文明批判が見られる。文中で画家はこう言っている。「汽車ほど二十世紀を代表するものはあるまい。何百という人間を同じ箱に詰めてゴウと通る。個人の個性に寸毫も注意を払わない」と。
二十一世紀の我々にとって汽車は近代化の象徴ではないが、文明が進むほどに人間が救いがたく孤立してゆくことに対する漱石の不安について、あらためて考えさせられるものである。