イスラエルで見たキリスト教  廣幸 朝子

数年前イスラエルに行ったとき印象的だったことを二つ。一つは、キリスト教徒の数である。三つの宗教の聖地であるから、3分の1くらいづつシェアしているのかと思っていたら、余りにも甘かった。1.7%だという。私達は伝聞によってイエス様を知った。しかしこの地はイエス様の生涯の目撃者ではないのか。その奇跡を見、その声を聞き、その壮絶な死を見守ったのではないのか。そしていまや、イエス様の足跡のありとあらゆるところにキリスト教の教会が建てられ、そこには世界中から巡礼者が引きもきらぬというのに、キリスト教に心を寄せる人はわずか1.7%。私には驚くべき数字であった。


 もう一つは、「ヤド・ヴァシェム(忘れない)」という名のホロコースト記念館である。こんなところにどうしてといぶかしく思ったが、考えてみれば当然である。住む家を追われ不安と恐怖の収容所でユダヤ人が願ったのは、「祖国さえあれば」「父祖の国に帰りたい」ということに尽きるであろう。だから犠牲者を追悼し記念するためにこれは建てられた。圧巻の展示物は犠牲になった人々の膨大な名簿と個人の記録と顔写真である。巨大なドームの壁いっぱいにぎっしりと貼り並べられている200万、300万という人間のその膨大な数を目の前にし改めてナチスの暴虐に慄然とする。

そして、「子供記念館」!。1本のろうそくをたくみに反射させて無窮の星空を模したドーム一杯に子供の写真がびっしりと並ぶ。幸福な時代に撮られたアルバムから拾い集めたのであろう、どれもがカメラ目線で、私達にあどけない笑顔を向ける。そして問いかける「どうして私達は生きてはいけなかったの?」ナチスだけの責めではあるまい。

ローマに滅ぼされひっそりと住みついたヨーロッパの国々(キリスト教国)で、何百年も陰に陽におこなわれたユダヤ人への差別、迫害、排除の歴史、その延長線にナチスの蛮行がある。キリスト教の偏狭さ、あるいは宗教のあやうさ、そして狂気に走る人間の脆さ、誰もが考えずにはいられないだろう。館の外には記念公園が広がる。その散歩道に植えられた樹は、あの動乱のなか、職を賭しあるいは命さえ賭してユダヤ人を助けた外国人(ほとんどがキリスト教徒)一人ひとりを顕彰して植えられている。リトアニア領事代理だった杉原千畝氏(本国の命令に背いてビザを発行し6000人のユダヤ人を救った)の樹もあった。どれもまだ若木であったが、年を経てこの地に根を張り、枝を伸ばして逞しく成長してほしい。これらの樹は、滑稽なほど沢山立てられた教会より、はるかに雄弁にキリスト教を語る。