折口信夫著 『死者の書』 今村 芙美子

 彼の人は百年の眠りから覚めていった。起き上がろうとすると疼を覚えた。俺は殺された。処刑されたのだ。叔母に!寒い!素裸だ。彼の人の眠っていた二上山は大阪府と奈良県の境にあり、東に当麻寺(たいまでら)、更に東に横楓家がある。藤原の南家、豊成は鎌足から四代目、今は謹慎する身で、大宰府と難波を往復する勤めをしている。奈良の横楓(よこはき)家に留守する娘に阿弥陀経の本を贈る。父を想う娘は侍女達を寝静まらせ、げっそり痩せる程に九百部写経を終えた春分の日の夕方、二上山に荘厳な俤(おもかげ)が瞬間顕れ、消えるのを見る。半年後千部の写経を終えた秋分の日、二上山にあの俤を又見ることができた。南家の郎女の神隠しにあったのは其の夜であった。屋敷から一歩も出たことのない姫は、二上山を見ながら、西へ西へと走った。辿り着いたのは当麻寺の庵であった。僧達は横楓家へ知らせた。そして姫の身はこの庵室に暫く留めおかれることになった。姫は一人の姥がずーっと付いて来たことを知っていた。いつのまに室の隅の板敷に座っていた。「郎女様」と乾声で喋り出した。当麻の語部であった。 藤原鎌足と天智天皇の起こした大化改新、天智天皇死後弟、天武は天智の娘と壬申乱を起こし大友皇子を殺す。天智の娘持統は、天武天皇との間に草壁皇子、持統の姉も天武天皇との間に大津皇子を持つ。天武天皇死後持統は我が子草壁皇子を守るため、才能に恵まれた大津皇子を謀略を持って処刑し、二上山に葬る。草壁皇子病死後持統天皇となり、古事記、日本書紀の編纂にも関わる。大津皇子の姉は万葉集に「うつそみ(現世)の人にあるや明日より二上山を弟背と我見む」と歌う。当麻の語部は口をつぐむ。姫はあの俤の人が大津皇子であったのかと思う。若人や女達は横楓家と当麻寺を往来(いきき)しながら、蓮糸作りにも忙しかった。庵にも蓮糸が高く積まれていく様を姫も楽しんで見ていた。秋分の日「郎女様がいない」と皆で捜しまわると、姫は当麻寺の門の内に来て、二上山の空を見上げていた。尊者の姿が顕れ、笑みを含んだ顔が姫に向けられ、目は涼しく見開いていた。刀自乳母の驚きの中で、姫が機織を始めた。「こういう風に織るのです。ごらんなさい」尼の声が途中で当麻語部の声に変わり、はっと目を覚まし、直ぐに機織に向かい、みるみる美しい織物ができた。姫は織物に絵筆で尊者を描き「これであの方は寒い思いをしないですむ」と筆を置き、誰にも気づかれずに当麻寺の門から立ち去った。残された女達、若人は数千の菩薩の浮き上がった曼荼羅の織物を見ているのだった。

(むさしの教会だより 2012年 9月号)