説教 「湖上を歩く幽霊」 大柴 譲治

マルコによる福音書 6:45ー52

はじめに

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。

高価な恵み

本日は私たちに示された神さまの高価な犠牲、高価な恵みに思いを巡らせたいと思います。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16 )。

個人的な思い出から

私は牧師の息子として名古屋の恵教会に生まれました。小さな時から牧師館で育ってきたわけです。5歳の時に父は静岡教会に移りましたが、そこでは隣りの宣教師館に住んでいるハイランド宣教師の子供たちと毎日のように一緒に遊びました。9歳半で父が全国レベルの開拓伝道のために岡山に移ったときにも、そこにはアメリカからのエリクソン宣教師とその家族がいて、その子供と遊びながら育ってきたわけです。

しかし、いつの間にか宣教師の子供たちは私の周りからいなくなってゆき、子供心に寂しい思いがいたしました。彼らの多くは、小学校は日本人と共に地元の小学校に行っても、中学に入ると東京のアメリカンスクールや神戸のカナディアンアカデミーなど、学校の寄宿舎に入るために親元を離れていったのです。中には小学校から親元を離れた子供たちもいたように記憶しています。夏休みなどは親元に帰省していましたが、子供心にも大変だなあと思いました。三人の子の親となった今、そのことを振り返ってみますと、宣教師の家族がいかに高価な犠牲を払って日本伝道のために尽くしてくださったかということを思います。

小泉潤総会議長

先週、小泉潤総会議長のもと、二年に一度の全国総会が東京教会で開かれました。ご承知のように小泉先生はカリスマ的な伝道者です。先日、戦前にルーテル神学校で学ばれた教会員の平林司さんからも小泉潤先生のお父様・小泉昂(のぼる)先生について伺いました。(福山猛先生は『日本福音ルーテル教会史』に昂先生についてこう記しています。「資性きわめて直情径行で説の妥協をゆるさず、よく論談し個性の強い信念の人であったと共に、また綿密な実行家でもあった。児童教育に深い関心を持ち、また教会礼拝学にも一見識をもっていた」。)大阪教会の牧師であった昂先生は戦争中、ご病気のため41歳の若さで亡くなられました。闇米を食べることを潔しとしなかったためともお聞きしています。後に残された武子夫人のご苦労は並大抵のものではなかったと思います。夫人は熊本の慈愛園に身を寄せ5人の子供たちを立派に育てられました。そのようなご両親の信仰を目の当たりにする中で、人を生かすのはキリストの福音しかないと小泉潤先生は伝道者となられた。

皆さんの中にも、小泉一家が一家総出の伝道ファミリーであることをご存じの方も多いのではないかと思います。小泉先生は直感的に行動するために後から困難に直面するということもありますが、その行動力と暖かさと、人を用いてゆくカリスマはずば抜けていると感じます。その背後にはお母様の涙と熱い祈りとがあったのです。

SLEY(フィンランド・ルーテル福音協会)日本宣教百年

今回の総会では二日目の夜に新しく、宣教の夕べという時間がありました。その中では、今日ここにも出席されているフィンランドからの青年グループ Aktio が、先程のようにパントマイムで力強く福音のメッセージを披露してくださいました。

総会時に小さなリーフレットが手渡されました。1900年にフィンランド福音宣教協会は一組の宣教師家族と 歳の少女宣教師を日本に派遣しました。その宣教初期の頃の困難さが短くもよくまとめられていますので是非お読みください。フィンランドと関連が深い大岡山教会信徒の鈴木重義さんがまとめられたものです。私はそれに目を通して強く心を動かされました。

1900年といえば、フィンランドはまだロシア領だったそうです。「その頃フィンランドは、ロシアの支配下で、政治、経済、その他のあらゆる面で厳しい圧力を受けており、多くの国民は貧しい暮らしを強いられていました。そのような中で、フィンランド人であることの誇りは一層強まり、不屈の精神からその誇りの一つである福音を、どんな犠牲を払ってでも日本へ伝えようと決心したのです」(リーフレット5頁)。

フィンランド独立は1917年の2月。ですから、1904年2月より1905年9月までの日露戦争中は、ロシアのパスポートを持っていた宣教師たちは大変に苦労しました。

フィンランドからの最初の宣教師家族は25歳のウェルロース牧師一家と17歳のクルヴィネンさんでした。ウェルロース夫妻には4歳、3歳、1歳の三人の娘さんがおられたのですが、一行はフィンランドからイギリスに渡り、地中海から完成して 年のスエズ運河を通ってインド洋に入るというコースを通り、76日間にわたる困難な船旅の末にようやく長崎に到着しました。1900年の12月13日のことです。大変な長旅でした。ウェルロース夫人は厳しい長旅の中で船酔いに悩まされ続け、幼いこどもたちの世話にも疲れ果てて、すっかり身体が弱ってしまいます。日本の建て付けの悪い家では冬のすきま風が容赦なく吹き込み、三ヶ月目には一番下の赤ちゃんが風邪がもとで亡くなってしまいます。そして残された一家は深い心の痛手の中で健康を害し、1902年の初めには帰国することになったのです。たった一年余の滞在でした。しかしそれはご夫妻にとっては長く辛い一年であったことでしょう。

「日本宣教の最初の犠牲は、このような悲しいしかたで払われたのです」と鈴木さんは記します。「その後百年経った今年、長崎教会の浜田牧師の尽力で、これまでいくら探しても見つからないでいた亡くなったクッリッキちゃんのお墓が発見され、フィンランドから百年記念旅行に来ていた訪問団の方たちが、お墓の前で礼拝を守ることができたのです。百年ぶりに響いたフィンランド語の歌声は、神さまのふしぎな導きをたたえる感謝の歌になりました。その後、コルピネン牧師は来日二ヶ月で天に召され、カリコスキ宣教師の三女ピルヨちゃんも急病で亡くなり、お二人の遺骨は東京・多摩の教会墓地に葬られて、永く記念されています。百年という永い年月にわたる宣教活動は、このほかにも生涯のある時期を日本にささげられた宣教師やご家族の方々によって支えられてきたことを忘れることはできません」(8頁)。

皆さんの中にも子どもを亡くされた方もおられましょう。子どもが病気になったときの親の気持ちは何とも言えないものです。慣れない異国の地で子どもが病気になり、必死になって看病しても言葉のギャップから医者とのコミュニケーションもうまくいかない。ついに幼いわが子を亡くし、自らもボロボロになったご夫妻は、親として自らを責め続けたのではなかったか。ウェルロース宣教師夫妻に与えられた日本宣教の夢と希望とはそのような形で完全に打ち砕かれてゆくのです。 しかし、人間の無力と絶望と敗北の中に神の力は働く。十字架の勝利とはそのような勝利です。そのような中で、フィンランドからは宣教師が派遣され続けてゆきます。このリーフレットの中にはこの百年で派遣されてきた 人の宣教師のお名前が記されています。そこには現在私たちの教会で働いて下さっているヨハンナ・ハリュラさんのお名前もあります。

湖上を歩く幽霊

本日は福音書の日課には湖の上を歩く主イエス・キリストの姿が記されています。これは何を意味しているのでしょうか。船は教会を表しますから、荒波にもまれる船とは厳しい迫害の下にあって沈没しそうになっている初代教会の姿を指していましょう。聖書の中で「海」はしばしば「悪の世界」を意味します。逆風の中で船が苦労している(しかも夕方から明け方近くまで!)のを見た主は湖の上を歩いて船に近づいてゆきます。

「ところが、逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた」(48節)。「そばを通り過ぎようとされた」というのは不思議な表現です。そこでは主なる神に「あなたの栄光を見せてください」と願うモーセに神はその背中を見せられたということが想起されているのでしょうか(出エジプト33:18-23)。それとも主に見捨てられたように思った初代教会の思いが表れているのでしょうか。

湖上を歩くイエスを弟子たちは幽霊だと思い叫びます。自分たちを死の海へと引きずり込もうとする死神に見えたのかもしれない。いずれにしても弟子たちは恐怖の中でイエスの姿を認めることができないでいます。人間の味わう絶望の中でも主の姿を見出すことができない絶望ほど闇の深いものはありません。義人ヨブの苦しみも、愛するわが子を失ったウェルロース宣教師ご夫妻の苦しみも、その苦しみがさらに辛くなるのはそこに主の姿が見えてこないからです。そこには湖上を歩く幽霊しか見えない。

しかし聖書は告げています。そのような弟子たちに、そしてそのような私たちに、キリストご自身が呼びかけてくださることを。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」このキリストの声が嵐を静めるのです。これは主が私たちに与えてくださる平安が、人生の中で味わう苦しみや悲しみ、絶望の海の中にあっても、私たちを強く支えてくださるということを意味しています。私たちが頼るべきはあのお方、私たちの羊飼いなる主イエス・キリストしかないのです。

洗礼を受けてクリスチャンになれば苦しみや悲しみがなくなるというわけではありません。嵐がなくなるわけではない。しかし私たちはその嵐の海のただ中で、絶望のただ中で、それに耐え、それを乗り越えてゆく力を、苦難を背負い、十字架にかかってくださったあのお方の、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」というみ声から得るのです。

日本宣教のために高価な犠牲を払い続けてきてくれた宣教師や信仰の先輩たちの熱い思いを、私たちもまた受け止めてゆきたいと思います。キリストを信じる者はキリストのゆえに嵐を恐れなくてよい。たとえ恐怖の中で幽霊しか見えないようになったとしても、そのような私たちに主は呼びかけてくださる。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と。主は私たちの怖れを、嵐のただ中にあっても平安へと変えてくださるのです。ここに私たちの足場があり、礎がある。慰めがあり、喜びがあり、希望がある。

本日のフィンランドからの青年グループのパントマイムメッセージをも、主からの力強い呼びかけとして受け止めてゆきたいと思います。「神はその独り子をお与えになった程に、世を愛された。」

お一人おひとりの上に神さまの豊かな祝福がありますように。 アーメン。

おわりの祝福

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。

(2000年8月27日 聖霊降臨後第11主日礼拝)