説教「神の審きに秘密なし」 ボブ・バーン

Matthew 25:31-46 “No Hidden Basis for Judgment”
pre/pached to Musashino Church November 23, 2008

マタイによる福音書 25:31-46

はじめに

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがわたしたちと共にありますように。

洗礼〜神のすばらしい恵みの日

Watashitachi no chichinaru kami to, shu iesu kirisuto kara, megumi to heian toga anatagatani aruyouni

THE WORLD LOOKS AT THE POOR AND NEEDY
AND SEES THEM AS A PROBLEM.
BELIEVERS LOOK AT THE POOR AND NEEDY
AND SEE JESUS.
この世は貧しい人々を見て、彼らが厄介な問題であると見なします。信仰のある人々は貧しい人々を見て、そこにイエス様を見ます。

I LOVE BAPTISMS. Baptisms are times to celebrate the Grace of God that claims a person as God’s child.
私は洗礼式が大好きです。洗礼式は神の恵みを祝う時であり、また洗礼志願者が神の子であるということを宣言する時でもあります。

AT THE END OF A BAPTISM a pastor says to the one baptized“LET YOUR LIGHT SO SHINE BEFORE OTHERS THAT THEY WILL SEE YOUR GOOD WORKS AND GLORIFY YOUR FATHER WHO IS IN HEAVEN.”
洗礼式の最後に牧師は受洗者に次のように言います。「あなたの光を他の人々の前で輝かせなさい。そうすれば、彼らはあなたのよい行いをみて、天におられるあなたの父なる神を賛美するでしょう。《

THESE WORDS QUIETLY remind the NEWLY BAPTIZED to RESPOND TO THE LOVE OF GOD. WE ENCOURAGE THIS IN THE CHURCH by serving those in need.
この言葉は、受洗者に神の愛に応える、ということを静かにしかし確かな声で伝えています。教会において私達は助けを必要とする人々に仕えることを通して神の愛に応えるように勧めています。

TOO OFTEN HOWEVER this teaching, RESPONDING TO GOD’S LOVE BY GIVING HIS LOVE OR SERVING THE POOR IS NEGLECTED.
IT IS TREATED AS SOMETHING DONE WHEN ALL THE OTHER IMPORTANT MATTERS ARE COMPLETED.
しかし、この神の愛に応えるという教え、つまり貧しい人々に神の愛を与え又仕えるということは、多くの場合軽視されています。

TOO OFTEN it seems to be VIEWED BY THE BELIEVER AS AN EXTRA SOMETHING WE DO ONLY TO BE SEEN BY OTHERS AS GOOD PEOPLE.
あまりに多くの場合、信仰者達はこの教えを、周りから善人に見られるためだけに行なうものであると、何か特別な行為と考えています。

TODAY MATTHEW gives us a very DIFFERENT MESSAGE.
THE WORLD may see the NEEDY AS A PROBLEM.
SOMETIMES CHRISTIANS may see THE NEEDY AS PEOPLE TO whom we SHARE GOD’S MERCY WHEN WE HAVE TIME.
TODAY MATTHEW SHOWS US THE NEEDY ARE JESUS CHRIST AMONG US.
本日のマタイ福音書は全く異なったメッセージを私たちに伝えています。この世は助けを必要としている人々を厄介な問題と見ていますが、キリスト者は困難にある人々を、時間がある場合にのみ、神の慈しみを分かち合う人々、と見ていることが時々あることでしょう。今日のマタイ福音書は私たちに助けを必要としている人々は私達の中におられるイエス・キリストであると語っています。

CARING FOR THE POOR AMONG US
is AT THE CENTER OF THE REVEALED WILL OF GOD.
CARING FOR THE POOR, THE NEEDY, THE HUNGRY, THE SICK AND NAKED IS THE SAME AS CARING FOR JESUS CHRIST.
私達と共にいる貧しい人々をケアすることは、神が啓示された御心の中核にあることだと言えます。貧しい人々や助けを必要としている人々、飢えている人々、病気の人々や裸である人々をケアすることはイエス・キリストをケアすることと同じことなのです。

THERE IS NOTHING SUBTLE in this Gospel lesson. THERE IS NOTHING TAUGHT here as a SECONDARY MATTER.
今日の福音箇所に曖昧な点はなく、また何ひとつとして第二義的なこととしての教えはありません。

TODAY JESUS TELLS US at the END OF TIME ALL WILL BE JUDGED.
今日の御言葉を通して、イエス様は私たちに終末の時にはすべてのものが裁きを受けることを語っています。

WHEN THE SON OF MAN RETURNS THE AMBIGUITY OF HISTORY TODAY WILL BE OVER.
人の子が来る時、今日の歴史における曖昧さは明確になるでしょう。

The Son of Man will return and JUDGMENT WILL TAKE PLACE.
人の子がやって来て、裁き(の時)が始まります。

THE CRITERION to live in eternity with Jesus IS VERY CLEAR. YOU LIVE AS A LOVED SHEEP with the shepherd forever BECAUSE YOU LOVED HIM TODAY,
永遠の命をキリストと共に生きることの基準はとてもはっきりしています。それは、羊飼いに愛された一匹の羊として永遠に生きるということです。なぜならあなた方は今日、羊飼いであるイエス様を愛したからです。

YOU WILL BE WITH HIM IN ETERNITY because you have ALREADY BEEN WITH HIM IN YOUR KINDNESS AND MERCY TO THOSE IN NEED.
あなた方はイエス様と永遠に共にいるでしょう。なぜなら、あなたが、あなたの親切や慈しみを必要としている人に分かつことを通して、既にイエス様と共にいるからです。

YOU WILL LIVE WITH JESUS IN GOD’S PRESENCE FOREVER BECAUSE YOU ARE WITH HIM EXTENDING HIS LOVE to the POOR, to the NAKED, to the HUNGRY, to the SICK, to the HOMELESS.
皆さんはイエス様と共に神の現臨の内に永遠に生きるでしょう。なぜならば、貧しい人々や裸の人々、飢えている人々、病気の人々、住む家のない人々へイエス様の愛をさしのべることを通して、イエス様と今、共にいるからです。

On the DAY OF JUDGMENT Jesus DOES NOT SAY THERE WILL BE REVIEW of your CONFESSION OF FAITH OR A TEST to see if you have A PERFECT UNDERSTANDING of GRACE, JUSTIFICATION or EVEN FORGIVENESS.
裁きの日に、イエス様はあなたの信仰告白を見直しましょうとはおっしゃいません。又は、恵み、義認、罪の赦しをあなたが完璧に理解しているかテストするともおっしゃられないでしょう。

HE DOES SAY that WHAT WILL MATTER is LOVING AND CARING FOR THE NEEDY. It is the only thing that will matter BECAUSE THE NEEDY TODAY ARE JESUS CHRIST AMONG US.
その代わりに、イエス様はこうおっしゃるでしょう。助けを必要としている人々を愛しケアをしてきたのかが問題である、と。このことだけが唯一の問題となります。なぜなら今日助けを必要としている人々は、私達のただ中にあっておられるイエス・キリストだからです。

JESUS CHRIST, GOD’S LOVE, THE SON OF MAN IS WITH HIS SHEEP IN THE PRESENT TIME. as you did it to one of the least of these My brethren, you did it to Me.
イエス・キリスト、愛なる神、人の子は彼の羊と今この現在も共におられるのです。「私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。《

’JESUS CHRIST, GOD’S LOVE, THE SON OF MAN WILL COME AND BE WITH HIS SHEEP AGAIN AT THE END OF TIME. as you did it to one of the least of these My brethren, you did it to Me.
イエス・キリスト、愛なる神、人の子は、終末のときに再び来て、彼の羊と共におられるのです。「私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。《

’JESUS CHRIST GOD’S LOVE, THE SON OF MAN WILL BE HIS SHEEP DRAWING THEM INTO THE PRESENCE OF GOD WITH HIM FOREVER BECAUSE, as you did it to one of the least of these My brethren, you did it to Me.’
イエス・キリスト、愛なる神、人の子は、彼の羊を神の現臨へと誘い、永遠にイエス様と共におらせてくださいます。なぜなら「私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。《

IN MY MINISTRY I have spent TIME WORKING WITH YOUTH. I have TAKEN THEM ON TRIPS to teach them the JOY OF SHARING THE MERCY OF CHRIST with the POOR AND NEEDY.
サウスキャロライナにおいて私は、若い人達と一緒に活動してきました。若者達を旅に連れて行き、貧しい人々や助けを必要としている人々と共にキリストの慈しみを分かち合う喜びを教えてきました。

We have worked in LOCAL NEIGHBORHOODS. We have worked in OTHER PARTS OF OUR STATE AND COUNTRY. Sometimes we even have WORKED IN OTHER COUNTRIES.
私達は近隣のために働いてきました。同時に、サウスキャロライナ州の別の町やアメリカ国内の別の地方でも働いてきました。時には外国でも活動しました。

PARENTS AND YOUTH HAVE ASKED ME WHY PARTICIPATING in such things is SO IMPORTANT for their Christian lives.
若い人達やその親達は私にこう尋ねました。なぜキリスト者として生きるうえでその様な活動が重要なのでしょうか。

I TELL THEM THIS. GOD LOVES YOU AND CALLS YOU TO LOVE HIM.
私は次のように答えました。神があなたを愛しておられ、またあなたが神を愛するように招いておられます。

NOW WE ALL CAN AGREE, IF YOU LOVE SOMEONE YOU WANT TO BE WITH THEM. SO…
そこで私達は次のことに同意できるでしょう。あなたが誰かを愛するとき、あなたはその人達と共にいたいと願うでしょう。ですから

IF YOU REALLY WANT TO BE WITH JESUS in the PRESENT TIME there is a WAY FOR THIS TO HAPPEN. There is a WAY FOR YOU TO BE WITH HIM. HE IS WAITING FOR YOU
もしあなた方が今、本当にイエス様と共にいたいと願うのであれば、その願いが叶う道がここにあります。イエス様と共にいる道があなたにはあります。イエス様はあなたを待っておられます。

YOU CAN LOOK INTO HIS EYES AND SEE HIS SMILE. I know this because JESUS SAID HE WOULD BE THERE IN THE GOSPEL OF MATTHEW.
あなたがイエス様の目を見つめると、イエス様の微笑をあなたは見ることができます。私は確信しています。なぜならマタイによる福音書で、イエス様はそこにおられると言っておられるからです。

COME AND FEED THE HUNGRY at a place where food is distributed. COME AND CLOTHE THE NAKED by donating some of your clothes or distributing clothes at a clothes closet.
来なさい。そして飢えている人々に食べ物を与えなさい。貧しい人達に無料で食事が配られているところで、そのことはできるはずです。来なさい。そして裸の人々に朊を着せなさい。あなたの朊を必要とする人々に分配するところに寄付することでそのことはできるはずです。

COME AND GIVE SHELTER TO THE HOMELESS by building or restoring houses. COME AND GIVE COMFORT TO THE SICK AND DYING by simply visiting them and praying
来なさい。そして住む家のない人々にシェルター(宿泊可能施設)を与えなさい。新しい家を建てたり、古い家を修理することでできるのです。来なさい。そして病気の人々や死に直面している人々に平安を与えなさい。それらの人々を訪問し、祈ることでそのことはできるのです。

COME AND I KNOW YOU WILL SEE JESUS IN THE EYES OF THOSE poor and needy WHO RECEIVE HIS LOVE FROM YOU IN THESE ACTS OF MERCY.
来なさい。そうすればあなた方がイエス様とお会いすることを私は知っています。あなたの慈悲深い行為を通してあなたからイエス様の愛を受け取っている貧しい人々や助けを必要としている人々の眼差しの中に、イエス様を見るでしょう。

COME JUST ONCE AND IN HIS LOVE YOUR LIFE WILL NEVER BE THE SAME.
とにかく来なさい。イエス様の愛にふれると、あなたの生き方は決して以前とは同じものはないはずです。

THIS IS THE TRUTH BECAUSE JESUS SAID, “as you did it to one of the least of these My brethren, you did it to Me.’
これは真実です。なぜなら、イエス様がこう言われたからです。「私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。《

THIS IS THE TRUTH OF GOD AND THE JUDGMENT OF GOD WHEN THE SON OF MAN RETURNS.
これが神の真実(真理)です。そして人の子が戻ってくる時、神の裁きがあるのです。

BE WITH JESUS TODAY AND WE WILL BE WITH JESUS FOR EVER AND EVER. This is the PROMISE AND THE JUDGMENT IN MATTHEWS TEXT
今日、イエス様と共にいなさない。そして私達はイエス様と永久に共にいるでしょう。これがマタイ福音書のテキストが語っている約束であり、裁きなのです。

THE WORLD MAY SEE THE POOR AS A PROBLEM; MAY WE SEE THEM AS THE VISION OF GOD’S LOVE CALLING US TO BE WITH HIM IN MERCY TODAY AND FOREVER.
この世は貧しい人々を厄介な問題と見るかも知れませんが、私達は貧しい人々を神の愛のご計画、ビジョンだと見ることが出来るでしょう。私達を慈しみの内に神と共にいるように招かれています。今日もそして永遠に。

Jinchidewa toutei hakarishirukotono dekinai kamino heianga, anatagatano kokoroto omoi towo, kirisuto iesuni atte mamorareruyouni Amen

おわりの祝福

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。

(2008年11月23日 聖霊降臨後最終主日礼拝説教、通訳:安川美歩)

ボブ・バーン(Bob Buyrne)先生は、現在、米国福音ルーテル教会の牧師でサウスカロライナシノッドからの交換牧師として来日し、日本各地の教会でご奉仕をされています。 (大柴記)