説教 「全世界は主のみ手のうちに」 L・D・キスラー

マタイによる福音書 5: 6

 ◇キスラー◇

むさしの教会創立75周年、心からおめでとうございます。何とすばらしい歴史でしょうか。

神学校が鷺宮に建てられた1925年にむさしの教会の宣教は開始されました。実際に私が初めてむさしの教会を訪れたのは1948年 、まだ兵隊で第一生命ビルで働いていた頃のことですから、今から52年前になります。

そして私たちは宣教師としてこの教会に1966年の8月にもう一度戻ってきました。それから1984年まで18年間、ここに住んだことになります。皆さんの暖かく愛に満ちたキリスト教精神に心から感謝します。私たちがここに住んだ18年間は私たちの人生においても最良の日々でした。

私たちの家族は石居先生と賀来先生と共に働くという特権を得ました。お二人とも、日本語と日本文化や生活について学んでいた新米宣教師に対してとても忍耐強くあられました。むさしの教会での年月は私たちにとって本当にすばらしいもので、一度も困ったことはありませんでした。私たちはこの教会を通してたくさんの生涯の友を得ることができましたし、そのお交わりは私たちの人生の主要部分を占めています。出会った人々や体験した出来事について話しだすと何週間あっても足りないくらいです。

私たちは1975年に50周年記念のお祝いの時にもここにいたわけですが、2000年の今、75周年のお祝いの時にもここにいることができました。お招きを本当にありがとうございます。

聖書を一箇所お読みします。マタイ福音書5章6節の「八つの至福の教え」の一つです。大柴先生に読んでいただきます。

 ◇大柴◇

「義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる」。キスラー先生がバイブルクラスで用いていたGood News Bibleだとこうなります。「神が望んでいることを自分の最大の望みとする人々は幸いである」。つまり、「私の最大の望みは神さまが私に望んでおられることを実行することです」と言える人は幸いだというのです。

「最大の望み」とは、私たちが今一番したいことを指します。よりよい社会的な地位や経済的な安定、やりがいのある仕事、平和な家庭、愛する家族とのリクレーションや健康、等々、私たちが求めるものは色々ありましょう。しかし「神が何を望んでおられるか」が最も大切なのです。私が何を欲しているかではない。国や会社が何を欲するかでもない。友人や仲間や、隣人が何を欲しているかということでもないのです。「私の最大の望みは、神さまが私に望んでおられることを行うことです。」

 ◇キスラー◇

みんなで一緒に言ってみましょう。「私の最大の望みは、神さまが私に望んでおられることを実行することです。」

ルーテル教会員は内気な人が多いと言われています。皆さんの中で内気な人は何人いますか?手をあげてみてください。手をあげなかった人は内気すぎて手をあげることができなかったのかな。

 ◇大柴◇

イエスさまのことを話すときに私たちは内気であろうとは望まないでしょう。私たちはイエスさまのためには最高のものを用いようとするはずです。イエスさまを命の主として信じるということは絶対に、誰にとっても、どこにおいても、人生の最善の道なのです。

もしすべての人が、どこにおいても、「私の最大の望みは、神さまが私に求めておられることを実行することです」と言うことができれば、この世は最初から神さまが望んでおられた姿、あるべき姿を取っていたことでしょう。

 ◇キスラー◇

ある時、妻のドットと私はペンシルバニアの二つの田舎町に住んでおりました。クーパースベルクとリッチランドタウンという町です。そして私たちはフロリダのオーランドに移り住みました。その後は日本の東京です。日本ではアメリカとすべてが異なっていました。言葉もお金も食べ物も生活も。でも日曜日の朝にむさしの教会に来た時、讃美歌の『いつくしみ深き友なるイエスは』を歌ったとき、私たちは自分にこう言ったのです。「同じ讃美歌をクーパースベルクでもリッチランドタウンでも、オーランドでも歌ったではないか!そして今私たちはそれを東京で歌っているんだ」と。

もし全世界がこの同じ讃美歌を歌っているとすれば、この世界は神さまが意図されたような世界であるはずです。この世界は主のみ手のうちに置かれているのです。皆さんはこの歌をご存じですか。『He’s got the whole world in his hand. . . (主は全世界を手に入れられた)』を。ご一緒に歌いましょう。

ここに地球があります(バルーンの地球を見せる)。この地球について二つのことを言いたいと思います。第一は、それが全くすごいということです。世界の頂上(トップ)には何があるでしょう?一番底(ボトム)には何?真ん中には?山、海、花、人、虫。色々なものがあります。全部、神さまが造ってくださった被造物です。

 ◇大柴◇

第二。残念なことにこの世界は神さまが最初に意図されたような世界ではなくなってしまいました。なぜ?なぜかというと、あまりに多くのことがコントロールを失っているからです。貧困の問題やエイズ問題、公害問題や人権の侵害という問題が存在している。薬物問題もあるし、アフリカでは四人に一人の割合で子供が死んでゆきます。この世界が必要としているものは「コントロールバルブ(制御弁)」です。

皆さんのうちでどれくらいの人がご家庭に熱湯ヒーターをお持ちでしょうか?熱湯ヒーターで一番大切な部分は何でしょうか?それはサーモスタット(温度調整器)であり、コントロールバルブ(制御弁)です。それがおかしくなると温度がどんどん高くなっていって、最後には破裂してしまいます。

私たちは自分自身に問わねばなりません。「どうして世界はコントロールできなくなっているのか?」と。創世記の1章と2章の物語を思い出してください。エデンの園の物語です。そこではアダムとエヴァは必要なものをすべて完全に手にしていました。しかし神は言われました。「ただ一つだけ、あなたたちがしてはいけないことがある。善悪の知識の木からは取って食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」と命じたのです。

もしそういわれたら皆さんは何をしたくなりますか?してはならないと言われれば言われるほどしたくなるのが人間ではありませんか。

 ◇キスラー◇

高校生の話です。ある町で四つの映画が上映されていました。三つは高校生が観るのにふさわしい映画でしたが、後の一つは高校生にはふさわしくないものでした。でも高校生たちは観てはいけないといわれる映画を観たくなるのではありませんか。それが私たちの現実です。

しかし神さまは別のご計画をお持ちでした。皆が「新しいコントロール」を学ぶために神さまはその独り子イエス・キリストをお送りくださったのです。主が私たちに平和、喜び、希望、愛を教えてくださる。イエスさまは言われました。愛だけが唯一、世界をコントロールすることができるのだと。

教会員の初谷さんのお話をしたいと思います。初谷さんは若い頃に仕事での爆発事故で全身にひどい火傷を負ってしまいました。死ぬことを考えて線路を歩いていたときに、ルーテル神学校の鐘の音が聞こえてきたのです。『主われを愛す』でした。その鐘の音によって教会に導かれ、イエスさまを信じる者とされたのです。本当に不思議な神さまの導きでした。

 ◇大柴◇

問題は「私たちは何をすればよいのか」ということです。皆さんはご存じですか?神さまが世界を正しいコントロールの中に保つためのご計画を何と呼ばれたかを。神さまはそれを「大宣教命令(グレートコミッション)」と呼ばれました。マタイ福音書28章のイエスさまの最後の言葉がそれです。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」。私たちはイエスさまが私たちに望まれたことを実行できるでしょうか?それは私たちへの大きなチャレンジです。

 ◇キスラー◇

エキサイトして心が熱く燃え上がることが大切です。この世が、そして教会が一番必要としていることは「み言葉によって心が熱く燃えている」人々です。

「心が燃える」ということで思い出すのは、私自身の体験した「われらの父よ」についてのエピソードです。それは1948年、小岩ルーテル教会でのことでした。浅地昇牧師がアメリカ牧師であった私の父と神学校で同級でした(大柴注:浅地昇牧師はフィラデルフィア神学校とペンシルバニア大学に留学して、帰国後九州学院神学部教授となっている)。私の父は浅地牧師に手紙を書いて私を日本のルーテル教会に連れていってくれるよう頼んだのです。そして浅地牧師は私を小岩教会に連れて行ってくれました。私は陸軍の軍服でしたから実際、少し変でした。我々は敵味方に分かれて戦争で闘ったばかりだったのです。私は進駐軍の一員である私が、日本のルーテル教会での礼拝に座っている。浅地牧師は私にこう言いました、「主の祈りを共に祈りましょう」と。出席者たちは「天にましますわれらの父よ」と日本語で祈り始めました。私も「Our Father in Heaven」と祈り始めました。祈りながら周りを見回して思ったことは、今私は「われらの父よ」と祈ったように彼らも「われらの父よ」と祈った。もし彼らが「われらの父よ」と祈り、私も「われらの父よ」と祈っているとすれば、私たちは皆、同じただ一人の天の父の子供に違いない。その時私は決意しました。もし私がこの世でできることがあるとすれば、できるだけ大勢の人たちが「われらの父よ」と言えるよう手助けすることだと。この祈りが世界を変えることができるだろうと。

1949年に私は米国に戻り、ペンシルバニアのアレンタウンという町にあるミューレンベルグ大学に入りました。そこではE・T・ホーン博士が大学のチャプレンをしていたのです。そして私は彼のアシスタントを務めました。ホーン先生はかつて日本ルーテル神学校の校長を務められた方です。ホーン先生はいつも私に言いました。「私はもう歳だから日本に戻ることはできない。でもあなたなら行ける」と。そして、それが現実となったのです。私たち家族はホーン先生が住んでいた同じ場所に来ることになり、先生がメンバーであった同じ教会に来ることになったのです。本当に不思議な神さまの導きです。

今私たちは「私たちの家」に、私たちの出発点に戻ってきました。1991年に賀来先生と25人のむさしの教会のメンバーが、私の牧するイマヌエルルーテル教会の新会堂献堂式に来てくださいました。それは教会員にとって本当に大きな祝福でした。

今私たちは「引退」しています。昨日は私たちは中山徹くんと邦子さんの結婚式を司式するという栄誉を与えられました。私たちはそのご両親・中山格三郎さんと康子さんの結婚式も29年前に賀来先生と一緒に司式をしました。その時、私の娘のデビーちゃんがフラワーガールでした。昨日は私の孫のディーン・ジュニアとダニエルがリングボーイとフラワーガールでした。

私はこの聖書の一節を皆さんのもとに残してゆきたいと思います。本当の人生の幸せというものは、マタイ5章6節に記されているイエスさまのみ言葉に従って私たちが生きるときに実現するのです。「私の最大の望みは神さまが私に求めておられることを実行することです」。ご一緒にもう一度歌いましょう。「主は全世界をみ手のうちにおさめてくださる」。それが私たちの祈りでもあります。

(2000年10月15日 聖霊降臨後第18主日礼拝)