説教 「人からの問い、神からの答え」 賀来周一

宣教75周年記念説教集『祝宴への招き』

むさしの教会は2000年10月8日に宣教75周年を祝いました。それを記念して出版された歴代牧師7人による教会暦に沿った説教集です。




待降節

マラキ書 3章 1~ 4節

 

アドベント(待降節)の季節を教会が迎えるようになると、毎日曜日、朗読されるペリコーペ(聖書日課)の旧約聖書も、キリスト来臨の預言を伝える個所が読まれるようになる。

今日は待降節第2主日、主の降誕を迎える日も近い。旧約聖書の個所は、マラキ書。旧約の最後にある預言書だ。旧約の諸文書の中では、年代的に一番新しい。学者達の調査によると紀元前500年頃ということだ。キリスト誕生よりもずっと前ということになる。預言者マラキは、旧約の一番しんがりに立って、アブラハム以来の自らの歴史をふりかえっている。静かに目をつむる。そうだ。いろいろのことがあったっけ。‥‥‥出エジプトのこと‥‥、シナイ山のこと‥‥、カナンの地‥‥、ダビデ‥‥、ソロモン‥‥、そしてバビロン捕囚‥‥、そして、解放‥‥、かぎりなく、旧約の歴史が絵巻物のように繰り広げられる。いま、その歴史の一番端に立ってマラキが見たもの、それは自分たちの歴史の歩みを素直に受け止めることが出来ない神の民イスラエルの姿だった。

当時の歴史的背景をちょっとばかり振り返ってみよう。538年、もちろん紀元前のことだが、イスラエルはバビロン捕囚から故国へ帰還する。やがて、エズラやネヘミヤによってエルサレムの神殿の再興がはかられる。けれども、ペルシャの支配は続き、信仰的にはさまざまの宗教的習俗が巷に流行し、この世的には良いことは少しもなく、悪いことばかりが続くようで、こころ定まる日はなかった。

マラキはこうした民たちの思いを、神に対する問いとして受け止めた。神から愛された民だというのに、神の愛は一体どうなったのか。そんな神に対して彼らは問う。「あなたはどんなふうに、われわれを愛されたか」と。せっかくの神への礼拝の捧げ物が喜んで受け入れられないのを嘆いて、「なぜ神は受け入れないのか」と言い、あるいはまた、悪いことをしているのに、あたかも主の前に善人のように見えるのを腹立たしく思い、「裁きを行う神はどこにあるか」と問う。

民たちは、問いつつも、その問いに対する答えを自分なりに作り上げてしまう。きっと神に問い掛けたところで何の役に立つかと思ったに違いない。問いだけあって、答えがないと思われるときには、問うた本人が、答えを出さねばならぬ。イスラエルもそうであった。

「神に仕えることはつまらない。われわれがその命令を守り、かつ万軍の主の前に、悲しんで歩いたからといって、なんの益があるか」(マラキ3:14)

神への問いが、むなしく帰ってくると思われるときには、「神に仕えることはつまらない」と答えるのが、一番手っ取り早くて、納得のいく答えにちがいなかった。

長い長い歴史の振り返りの最後に、希望に至る答えではなく、諦めの答え、しかも不信仰こそが、今納得のいく答えであることを発見するのは、マラキにとって、堪え難いことだった。

彼は、自らの名にふさわしく「わが使者」がやがて来るとの信仰を民たちの諦めにぶっつける(註 マラキという言葉はわが使者という意味である)。ある学者によると、マラキとは預言者名ではなくて、本の題名であるともいわれる。

そう‥‥、使者がやってくる。ずっと向こう側から、かなたから、使者がやってくるとマラキは言うのだ。それは、自分たちの側で用意した諦めの答えとは、ちがう。その使者がやってくるとすべてが一転する。

「見よ、あなたがたの喜ぶ契約の使者が来ると万軍の主が言われる。その来る日にはだれが耐え得よう。そのあらわれる時には、だれが立ち得よう。彼は金をふきわける者の火のようであり、布さらしの灰汁のようである」(マラキ3:1-2)

自らの歴史の振り返りが、神への問いで終わり、その答えが諦めの中で受け止められようとするとき、一切は逆転する。

真実が明らかにされ、諦めが希望に変る。「あなたがたの喜ぶ契約の使者が来る」からである。マラキは、この使者を指さす。ちょうど、バプテスマのヨハネが、キリストを指さしたと同じように、来るべきお方を指さす。

クリスマスの主は、こうして、民たちの「神に仕えることはつまらない」との答えに対して「喜び」の答えとして来たりたもうのである。しかも、あのつまらない飼い葉桶の中にである。

(1982年12月)