むさしの日記(5)  ヨハンナ・ハリュラ

又あっという間に一ヶ月が過ぎ、やっと暖かい日が続くようになりました。この一ヶ月の中にもいろいろ心を動かされることがありました。その中にキリスト教の一番大きなお祝いイースターを過ごしました。今回のイースターの時期も忘れることが出来ない時期になりました。

受難週の水曜日にあった証会では、五人(磯村直美姉、小山泉姉、野口玲子姉、永吉秀夫兄、山ノ内道子姉)の、心を動かされる証しがあり、木曜日には過越の食事があり、金曜日には大柴先生と神崎神学生、岡野神学生を通して十字架上の七つの言葉についての黙想の礼拝がありました。そして日曜日の復活祭には、すばらしいイースター礼拝とコンサートをお祝いしました。

イースターの前にも沢山のすばらしい出来事がありました。神様の不思議さを感じさせられました。イースターの一週間前には原貴恵子姉の堅信式があり、一週間後には益田啓作先生の転入式がありました。けれどもまたこれだけではなくて、もう一つの忘れられないお祝いがありました。それが大森暢之兄の洗礼式のことです。4月7日、受難週の水曜日に大森兄の家で、このすばらしいお祝いのことを一緒に感謝して喜び祝いました。私にとってこれが、私が初めて日本の家でお祝いした洗礼式でした。けれどもそれは私だけでなく、たぶん他の皆さんにも喜びと感動がいっぱいある洗礼式だったと思います。

ご存知のように、4月24日の夜8時位に大森暢之兄は天に召されました。そして25日の夜に大森家で前夜祭があり、また一つのお祝いをしました。それは大森暢之兄が神様のみ許に召されたお祝いでした。深い悲しみの中で私は深い神様の恵みと祝福を感じました。

わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。(ヨハネ福音書10:14-16)

わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことは出来ない。わたしの父がわたしに下さったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことは出来ない。わたしと父とは一つである。(ヨハネ福音書10:27-30)

《私は 5/8~5/30 までフィンランドに帰りますが、5/30 (日) のペンテコステの礼拝には出席する予定です。》

 (2004年 5月号)