むさしの日記(10)  ヨハンナ・ハリュラ

もうすぐ、2004年が2005年になります。2004年は世界中でいろいろなことがありました。そして、日本でもいろいろ悲しいことがありました。皆さんそれぞれの人生の一年の歩みの中でも、いろいろあったかもしれません。年の終りと初めは、それぞれの人にとって自分の人生を考える時期です。人生の中にはいろいろな時があります。考える時、静かな時が必要だと思います。

ある小さな町に僅かの住民がいた。そこへ強大な王が攻めて来て包囲し、大きな攻城堡塁を築いた。その町に一人の貧しい賢人がいて、知恵によって町を救った。しかし、貧しいこの人のことは、だれの口にものぼらなかった。それで、わたしは言った。知恵は力にまさるというが、この貧しい人の知恵は侮られその言葉は聞かれない。(コヘレトの言葉 9:14-16)

初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。この命は現れました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。…わたしたちがイエスから既に聞いていて、あなたがたに伝える知らせとは、神は光であり、神には闇が全くないということです。(1ヨハネの手紙 1:1,2,5)

それは、目指す希望を持ち続けようとして世を逃れて来たわたしたちが、二つの不変の事柄によって力強く励まされるためです。この事柄に関して、神が偽ることはありえません。わたしたちが持っているこの希望は、魂にとって頼りになる、安定した錨のようなものであり、また、至聖所の垂れ幕の内側に入って行くものなのです。イエスは、わたしたちのために先駆者としてそこへ入って行き、永遠にメルキゼデクと同じような大祭司となられたのです。(ヘブライ人への手紙 6:18-20)

私たちのためにもエルサレムであかちゃんが生れました。そして、大きな光と力と愛になりました。

 (2004年12月号)