【説教・音声版】2023年3月26日(日)10:30 四旬節第5主日 説 教「 イエスこそ信ずべきお方 」浅野 直樹 牧師



聖書箇所:ヨハネによる福音書11章1~45節

本日は、このむさしの教会に在任中としては最後の説教となります。いわゆる、「告別説教」です。そこで与えられました日課は、これもよく知られた「ラザロの復活物語」でした。

牧師というものは、自分の信仰、信念、理解、感覚、そういったものに囚われずに、ある意味客観的にみ言葉の真理を語るように訓練されてきているものです。しかし、牧師といえども人間ですので、これまでの体験や経験などの影響が少なからず出るのも事実でしょう。いわゆる「原体験」です。私にとっての原体験、少なくとも信仰的な原体験は、「なかなか思うようにはならない」といったところだと思います。

奇しくも、今日のこの「ラザロの復活物語」にもそんな節がある。イエスさまとも親交の深かったラザロが死の病にかかっていた。これまた聖書にも何度か登場してきますラザロの姉妹たちが、イエスさまに使いを送ってそのことを知らせる訳です。聖書にははっきりとは記されていませんが、早く戻ってきてラザロを癒して欲しいと願ったのでしょう。そういった信仰が、少なくともこの家族・兄弟たちにはあった訳です。

しかし、その知らせを受けて、イエスさまはその場になおも2日間留まっていたと聖書は記します。確かに、二日後その場を後にしてラザロたちのところに戻ってきた時には、ラザロの死から4日経っていた、と言いますので、果たしてすぐに戻ってきても間に合ったかどうかは微妙なところだったと思います。しかし、イエスさまの帰りを心待ちにしていたマルタとマリアはどうだっただろうか。

少なくとも、たとえ間に合わなくても、イエスさまが急いで帰ってきてくれたことに、大いに慰められたのではなかったか。なのに、予定よりも2日も遅れてやってこられた。そのことに、二人はやるせない思いをもっていたのかも知れません。マルタもマリアもイエスさまに向かって同じ言葉を発していることからも、その気持ち・想いが伝わってきます。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。」。確かに、この物語の頂点はラザロの復活です。

ルカ・ジョルダーノ『ラザロのよみがえり』(1675年)


そういう意味では、このイエスさまの言葉も正しい。「そこでイエスは、はっきりと言われた。『ラザロは死んだのだ。わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。』」。そうです。確かに、神さまの、イエスさまのご計画はもっと大きなもので、より多くの人々の利益に叶うものであったのかもしれません。

しかし、では、当の当事者は? 病の苦しみの中でひたすらにイエスさまの帰りを待っていたラザロは? その兄弟を看取るだけで何もできない苦しみ・痛みの中で、ただひたすらにイエスさまが間に合うことを心から願い祈っていたマルタやマリアは? その気持ちは? 失意は? 失望は? 私には、その気持ちがよく分かるような気がするのです。なぜならば、先ほども言いました私自身の原体験がそこにあるからです。

度々、断片的にしろ説教の中でも私自身の体験・経験をお話ししてきましたが、今日は告別説教ということで、少しばかりお許しいただければと思っています。

何度かお話ししてきましたように、私がはじめて教会を訪れたのは、中学3年生の頃、14、5歳の時でした。当時、家庭環境に恵まれず、自暴自棄になっていた頃に、社会科の授業でキリスト教についての話を聞き、なんだか憧れを持ったといいますか、いわゆるキリスト教的な理解とは違っていたと思いますが、何らかの「救われたい」という気持ちがあったのだと思います。

今年の「るうてる」1月号にも書かせていただきましたが、当時私が住んでいたところは、村内に信号機が1箇所しかないような、いわゆるど田舎でしたので、当然近くに教会などありませんでした。何とか探して(実際に探してきたのは母でしたが)、片道自転車で小一時間ほどかかるようなところでしたが、ドイツ人の女性宣教師が開拓を始めたばかりの小さなプレハブの教会に行ったのが、私と教会との出会いとなりました。そこから、洗礼を受けるまでに5年ほどかかりました。

その間、その宣教師も非常に良くしてくださいましたが、自分の心の汚さにいたたまれないような思いに駆られて、教会を離れていた時期もありました。母が義父と離婚し、母との二人暮らしがはじまり、環境の変化、落ち着かない心境、変なプライド等もあり、高校も中退してしまい、定時制高校を経て念願の大学に進学したにも関わらず、ここでも、同級生たちとの年齢的な差や生い立ちなどのギャップ感、またここでも変なプライドも手伝って、大学生活にもなかなか馴染めず、とうとう大学も中退するような状態でした。

教会には、17、8くらいに戻ることができましたが、鳴かず飛ばず、行ったり行かなかったりの不忠実極まりない生活に明け暮れ、そのくせ、自分を越して洗礼を受けていく人々を羨ましくも、また妬ましく思っていたものです。本当に何をやってもパッとしなかった。それでいて、キリスト教と縁を切れない、不思議と後ろ髪を引かれるような状態が続いていきました。とにかく、自分に自信がなかった。特に、信仰的なことに何一つ自信を持つことができなかった。なのに、捨てることもできなかった。何とももどかしい日々でした。

そんな私を見かねたのでしょう。20歳の時に、当時の主任牧師が声をかけてくれました。そろそろ、洗礼を受けてみては、と。嬉しかった。何だか認められた気にもなりました。しかし、不安もあった。こんな心持ちの自分などが果たして洗礼を受けて良いものか、と。すると、その牧師はこう答えてくれました。「洗礼はゴールではなくスタートなのだ」。この言葉に押されるようにして、私は20歳で洗礼を受けました。

しかし、私の苦悶の日々、信仰の葛藤の日々はなくなりませんでした。正直に言いまして、24歳で最初の神学校に入りましたが、その後もしばらく続いたのです。何が言いたいのか。「なかなか思うようにはならなかった」ということです。

自分が思い描いていたようには、こうでありたいと思っていた方向性には、何一つ行かなかった、ということです。少なくとも、外面的には、例えば、大学進学や神学校へ進むなど、ある程度希望は叶った部分は確かにありましたが、心…、内面的、心理的、信仰的、霊的には、思うようには何一ついかなかったというのが、正直な実感です。誤解を恐れずに言うならば、そのようにある時期までは、私にとっての信仰的な歩みは、教会生活は、苦痛でしかなかった。


むしろ、そこから逃げたい、何とか縁を切りたい、そんな思いを抱き続けてきたのも本音です。しかし、不思議と…、そう、本当に不思議としか思えない、それこそ、振り返ってみれば、そこに神さまの働き、み業があったとしか思えないのですが、別の思いも私の心を捕らえて離さなかったのです。

ここから離れては、絶対にダメだ、と。ですから、逆説的ではありますが、私は自分が信じていることに、自信があるのです。すんなりと信じることができなかったが故に、激しく抵抗してきたが故に、実際に何度も逃げ出してきたが故に、それでも、ここに立たされている、ここに自分がいる、それでも、信じている、そこに、不思議な自信を覚えるのです。

これは、今でこそ言えることですが(前述のように、その只中にあった時には、単なる苦痛でしかなかった訳ですが)、この経験、この体験、つまり、この「なかなか思うようにはならなかった」という原体験が、私には良かったと思っています。それがなければ、私自身は、信仰について学ぶ機会を逃してしまったかもしれないと思うからです。自分が信じられることを信じる。自分が信じたいことを信じる。そういった、ある意味自分中心の信仰のあり方ではなく、自分を超えて信じる。この私自身の信心ではなくて、あくまでもイエス・キリストという方を、その存在を、その人格を信じる、信頼する、そのことを痛切に学ばせられたと思うからです。それが、私にとっての益になりましたし、また、今の私自身を作り上げてきたものだ、とも思っています。

私は、このことも大事にしているつもりです。つまり、私たちは常に「途上にある」ということを、です。パウロもこう言っています。

「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕えようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕えられているからです。兄弟たち、わたし自身は既に捕えたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。だから、わたしたちの中で完全な者はだれでも、このように考えるべきです。しかし、あなたがたに何か別の考えがあるなら、神はそのことをも明らかにしてくださいます。いずれにせよ、わたしたちは到着したところに基づいて進むべきです。」。

今朝の箇所でも、マルタがイエスさまに「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」と問われた時、「はい、信じます」と答えたにも関わらず、イエスさまがラザロの墓の石をどけるように言われると、「もう四日も経って、匂います」と答えるなど、私たちと同じ途上の姿も見受けられるのだと思うのです。信じていないわけではない。むしろ、イエスさまが神の子であり癒し主であることをちゃんと信じている。しかし、その信仰はまだまだ不十分、途上である。これが、私自身の姿でもあるのではないか。

今日の説教題は、「イエスこそ信ずべきお方」と付けさせていただきました。私が、この7年間、拙い中でも皆さんに伝えたかったことは、これに尽きると思っているからです。また私自身、先ほども多少なりとも触れましたように、紆余曲折ある中で、やはりこのイエス・キリストによって救われたと確信しているからです。イエスさまと出会わなかったら、果たしてどうなっていたことか…。だから、どうしても、皆さんにもそのことを届けたいと思った。

来週から、4月2日から、いよいよ李明生先生が説教を取り次いでくださることになります。もちろん、李先生の賜物が十二分に生かされることを願っていますが、やはり李先生の元でも、このイエスさまを信じていって頂きたい。たとえ、今は途上で、さまざまな誘惑、思い煩い、信仰の弱さから、イエスさまから思いが、気持ちが離れてしまうようなことがあったとしても、何度も立ち戻っていただき、この恵みを、幸いを、味わっていって頂きたい。

私自身の告別説教の最後にあたって、切にそう願っています。アーメン