「読書会ノート」 三浦綾子 『母』 

三浦綾子 『母』

西山 和子

 

週報風に記すと、6月の読書会の出席者は男5名、女6名であった。開会一番、共産党は大嫌いだという声があがった。けれどもこの物語は、思想であれ信仰であれ、時の為政者が禁じたものをわが子が善きことと信じ、それにのめり込みやがて捕らえられ、拷問によって死に至らしめられる姿を、じっと見つめ耐えて生きた母親の慟哭の姿を描いたものであると私は受け止めた。読書会もまた、そのように話が進んだ。

小林多喜二の母セキは、秋田の小作農に生まれ、小学校にも通えなかったが、生来賢く小商いをしながら、六人の子供たちを明るく育ててゆく。多喜二が共産党に入党した時も「多喜二のすることに金輪際間違いはない」と信じぬく。多喜二三十歳で築地署で死去、「貧しい人を助けることがそんなにわるいことだべか」と自問しながら涙の日々。

そんな中で、そっと寄り添ってくれる一人の牧師を通し「主」の在すことを知る。「山路越えて」が愛唱歌となった。

多喜二が逝って70年、日本は基本的人権が守られようととし、社会が病む程に豊かにもなった。この日本の夜明けのために思想に殉じ、戦火に散った先人たちに心から謝すと共に、いま、最も望まれているものは、こんな母の心ではないだろうか。

(2001年 9月号)