【 説教・音声版 】2021年12月26日(日)10:30  降誕節第1主日礼拝  説教 「神と人に愛された方」 浅野 直樹牧師

降誕節第一主日礼拝説教
聖書箇所:ルカによる福音書2章41~52節


今年は何とか19日の降誕主日の礼拝と、一昨日24日のクリスマス・イヴ音楽礼拝と、皆さんと共々に主イエスの御降誕を祝うことができましたこと大変嬉しく思います。
今日の福音書の日課は、その後のことです。つまり、イエスさまが12歳の時の出来事です。何だか一気に12年もの歳月が流れたように感じます。

ところで、皆さんは12歳の頃…、現在の日本の感覚ですと小学6年生頃でしょうか、どんな少年少女だったでしょうか。私自身は、その頃何をしていたのか、どんなことに興味を持っていたのか、正直あまり思い出せません。ただ、ちょっと生意気で、見栄っ張りで、変なプライドだけは持っていたことを覚えています。その頃から40年以上経ちましたが、もちろん変わった、変えられたところも多くあると思いますが、その本質は案外変
わっていないのかもしれません。

もちろん、イエスさまにも12歳の頃がありました。当然といえば当然なのですが、案外気づかないものです。偉人の伝記などを読みますと、子どもの頃から頭角を表していたという記述が多くあります。例えば、モーツァルトは神童と言われ、5歳の時にはすでに作曲していたことが知られています。天才アインシュタインもちょっと変わった子どもだったようですが、幼い頃から数学には天才的な能力を発揮していたと言われます。そのように、私たちはその人がどんな幼少期を送り、成長していったのか、といったことに興味を覚えるものです。

しかし、聖書はそんな私たちが知りたいと思うことを存外記してはくれていません。クリスマスを祝うことができる誕生の物語はあります。もちろん、およそ30歳からはじめられた公生涯のこともしっかりと記されている。しかし、その間の30年間のことは、全く分からない。唯一、福音書に記されているその間の出来事が、今日
の日課ということです。

では、そこに描かれているイエスさまはどんな人物だったのか。どんな少年だったのか。ちょっと変わったところはありますが、存外普通です。生まれてすぐに歩き出したとか、話し出したというようなこともない。幼い頃から奇跡を行って、周りの大人たちを驚かせていた、といったこともない。つまり、私たちがよく知るあのクリスマスの物語から連想できるような、つまり、神の子として何か特殊能力を持つ超人のような描かれ方は一
切されていない、ということです。むしろ、私たちと同じ一人の人間、一人の少年といっても良い姿です。ここにも、私たちが教えられるべきイエスさまのお姿があるようにも思います。

イエスさま一家は、毎年エルサレムで過越祭を祝うことを慣わしとしていたようです。この12歳の年も家族皆で祭りに向かいました。その過越祭も無事に終わり、帰路に着いた時です。おそらく、この頃の巡礼の旅は個人・家族単位ではなく、同じ街の人たち、近隣の親戚たちとも一緒に一種の団体旅行のように行われていたと思われます。

毎年のことです。ほぼ同じメンバーで、よく知った仲だったでしょう。幼い頃は、それこそ迷子にならないようにと親に手を取られてついていったと思いますが、小学生になる頃には、親たちと一緒に歩くよりも友達とわいわいやりながら行きたがるものです。毎年そうだった。だから、今年もそうだろうと両親も安心していました。しかし、1日の道のりを終えた夕暮れ、イエスさまの姿はどこにも見当たりません。皆さんにもそういった経
験があるのではないでしょうか。子どもが迷子になって、ドキッとさせられたことが。慌てて友達のところを尋ねます。いません。親戚のところを尋ねます。いません。思い当たるところは全て尋ねました。

しかし、見つかりません。不安がよぎります。ヨセフとマリアは急いで引き返しました。エルサレムに着くまでにも、同様の巡礼団と遭遇したことでしょう。そこでも必死に探したと思います。エルサレムについてから三日が経ちました。

三日です。親としては居た堪れない思いです。三日後、ようやく見つけることができました。何とイエスさまは神殿の境内にいたのです。驚いた両親はこう詰め寄りました。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです」。どれほど心配したことか。頬の一つも引っ叩いてやりたいほどです。その気持ちは、親として良くわかる。しかし、イエスさまは不思議なことを言われました。「どう
してわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」。反省している様子もなく、謝りもしない。このイエスさまの受け答えに、両親も呆気に取られたのかもしれません。

確かにイエスさまは、同年代と比べれば抜きん出た実力を持っておられたようですが、少々変わり者のようにも思います。実は、ユダヤにおいて12歳というのは、特別な意味を持っていたようなのです。12歳になるとバーミツバ(「律法の子」)という儀式を受けることになっていました。つまり、12歳からは律法を守る責任がある者とされる、ということです。これは、必ずしも成人になったことを証しするものではありませんが、し
かし、神さまの戒めを守る民として、もはや「子ども」ではいられないことを示すものです。神さまの律法に対しては、大人にならなくてはならない。だからイエスさまは、神殿の境内で律法を学ばれました。

ある方は「イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられた」という記述から、神の子としての持ち前の優秀さで学者たちを論破されていたような印象を持っているようだが、それは間違いだ、と
言います。そうではなくて、「真ん中に座り」という座る姿勢というのは、教えを受ける者の姿勢なのだから、イエスさまはここで学者たちから教えを受けていると理解すべきだというのです。そうかもしれません。

博士たちの間のキリスト:パオロ・ヴェロネーゼ (1528–1588) プラド美術館


そして、ここにイエスさまの変わり者ぶりが発揮されているようにも思うのです。イエスさまだけではありません。誰もが12歳になったら、律法を守る責任を負うのです。しかし、ここまでされたのはイエスさまだけでしょう。家に帰ることも忘れて、両親に心配をかけていることも忘れて、家族のことも友人たちのことも忘れて、時の経つのも忘れて、ただひたすらに神さまの戒めを学ぶことに没頭された。確かに責任ある年齢にはなりましたが、それでもまだあどけなさが残る12歳の少年が、です。
私たちはどうしても、そんなイエスさまのことを変わり者だと思う。非常識だ、と思う。ヨセフとマリアの心境の方がよっぽど分かる。自分の子がそんなふうになってしまったらどうしよう、とさせ思うのかもしれない。信仰を持つことは尊いことだが、それほど熱中する必要があるのだろうか、親を心配させてまで没頭する必要があるのだろうか、もっと優先度の高いものがあるのではないか。私たちの常識はそう弾く。

「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」。一見冷たい受け答えのような気がします。どうして、そういう言い方をされたのかも分かりません。しかし、はっきりしていることは、神さまのことをご自分の父であるとはっきり認識しておられる、ということです。もっと言えば、心配をかけた父ヨセフよりも父なる神さまのことを優先させるべきだ、とお考えに
なられていた、ということです。ここに、私たちは何だか抵抗感を感じるのではないでしょうか。

しかし、だからといって、12歳になって、自分にとっては神さまだけで、もう金輪際両親のことは気にしない、ということなのだろうか。聖書ははっきりとこう語っているのです。「それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった」と。

イエスさまにとって神さまのことを何よりも大切にすることは、ただ神さまに従おうとすることは、両親を蔑ろにすることとは決してイコールではない、ということです。むしろ、神さまを父として大切にし、神さまの戒めに従っていったからこそ、イエスさまは両親に仕えてお暮らしになったのです。だからこそ、イエスさまの成長をこう表現できるのだと思う。「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された」と。

確かに、イエスさまは特別です。しかし、人となられた、ということは、私たちのモデル・模範にもなって下さった、ということも意味するのだと思うのです。だから、イエスさまは特別な育ち方はされませんでした。私たちと同じように、日一日と成長されました。

両親に甘え、友達と遊び、時には突拍子もないこともされたかもしれません。だからこそ、なのです。私たちの常識以上に、イエスさまの非常識にも目を止めていきたい。そう思うのです。