「読書会ノート」 マーク・コリンズ『メイドインジャパンのキリスト教』

 マーク・コリンズ『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(トランスビュー)

読書会メンバー

 

今村 芙美子

前半でキリスト教は正統と土着とに大まかに別れると述べ、日本の土着的キリスト教に挑んだ先輩達の変遷を語っている。特に川合信水、内村鑑三、手島郁郎は信仰の有り方を追及した。内村は自力的無教会運動を経て、最後に他力的キリスト教に辿り着いたのは驚きもしたが私も紊得した。手島は無教会運動から決別し、古事記以来の日本的伝統を重視し、土着的キリスト教、原始福音運動を起こす。しかしカリスマ的手島が亡くなると、政治的方向に進んで勢いを失っていく。後半は著者はキリスト教は世界的にも土着化している。日本も日本のキリスト教になっていいのではないかと言っている。私も日本の伝統的価値観、文化を取り入れたキリスト教が良いと思う。例えば「杜の鎮守のお祭り日_《という懐かしい歌と教会の讃美歌とが流れる日本の教会も良いと思う。それでも勿論、川合信水の言葉、「イェスの究極的実在が全てを超越する《が大基礎である。

 

豊田 静太郎

日本社会に深く突っ込んで勉強した外国人著者に敬意を表したい。しかしながら著者も心配しているように、例えば教勢低下の現状に対し、どのような具体的対策がなさるべきかは明らかに示されていない。理由の一つとして教義よりも儀礼を重視する日本の宗教性のためか・・・。具体的方策を期待していた自分の方が常識外であったためとも考えられる。

 

西山 和子

二千年の昔、イェスがガリラヤの辺りや、都エルサレムとその周辺で、「言葉《を人々に、残された。そして、それは パウロや弟子達によって異邦人に伝えられ、その土地々々で、長い年月をかけ、メイドイン○○のキリスト教が育まれて来た。信長の頃は別にして、日本では、三百年の鎖国の後、明治になって キリスト教への禁が解かれ 多くの知識人達が欧米に遊学し キリスト教を持ち帰った。又、各国から メイドイン○○のキリスト教を携え 宣教師達が来日した。この百年の間に、様々の形を持った数多くの宗派が 一度にどっとキリスト教を伝えた。現在日本では、クリスチャンは真面目で、親切で等という一定の評価を社会から受けてはいるが、キリスト教に対する偏見は まだまだ根深いものがあると思われる。佛教の習慣に従って暮らす多くの人々に囲まれて、周りの人々と摩擦を起こさないようにしながら、ある時には相手の立場になりながら 信仰を証ししていく事は、生やさしい事ではない。私たちの多くは、「み言葉により頼みながら《 どこかで それぞれ折り合いをつけて信仰生活を続けているのではないだろうか。福音ルーテル教会でも 春秋の墓前礼拝や11月の小児祝福式等 日本の風土に培われた日本の慣習を取り入れたプログラムが 行われている。いつの日かメイドインジャパンのキリスト教が形成されていくのであろうか、それとも インターネットで世界中が 瞬時につながる時代となって、そんな事に拘る必要はないのか 私には分からないし 想像が出来ない、ただ 一人でも多くの信徒がふえ 日本が 主の恵みにあふれる国となることを 祈るばかりである。

(2008年 3月号)