「読書会ノート」 大貫 隆『イエスという経験』

 大貫 隆 『イエスという経験』

迎 恒夫(保谷教会)

 

初めて読書会に加えて頂いた。バイブルクラスの席上で、私がこの本を紹介したのが読書会参加のきっかけでした。

読書会で最初に話題になったのは「こんな理屈っぽい本を読んで信仰のプラスになるだろうか、いやかえってマイナスになるのでは《という議論だった。これは佛教の自力他力の問答に似ているが、この本は一歩を進めて、神の招きを自覚して後それに如何に応えるかの主体性を問うている。

2003年アメリカ軍がイラクに侵攻し、ブッシュ大統領が「悪を滅ぼす十字軍《「神の御加護のあらんことを《と唱えた時、著者(大貫氏)は「それは違う《と痛感した。イエス自身がこの戦争をどう見ているか、どう経験しているかである。それではイエスはどういう神の国のイメージを抱いて宣教に乗り出されたのだろうか? 著者は福音書を詳細に検討し文献学上の知見を駆使して、福音書の中のイエスの生前の発言を選び出し、それらを総合して神の国のイメージを提示した。この神の国は古代的宇宙観を基にしているから、勿論現代に於いてその儘適用は出来ない。しかし私達に対して尚多くの真実性を持っている。著者は四つの事例を挙げてその真実性を示し、この本の結びとしている。

筆者(迎)はこの本に多くの感銘を受けたがその中の二つを紹介したい。

(1)イエスの「神の国のイメージ《によって福音書の中の譬え話、治癒物語、奇跡物語が意味付けられ動機付けられた。それは恰も個々の星が集まって一つの星座を形作っているような感じで、福音書理解の大きな助けとなった。

(2)聖書の「神の国《(神の支配)についての私の考えが変った。神の国は週末というより「今《「身近に《という思いである。家族や友人の愛を感じた時、あっ今が神の国だったのではと思う。「愛する者は皆、神を知っている。神は愛だからです《(ヨハネ第一の手紙)にも通じる。日常の些事の中に神の国がちらりと姿を見せる思いである。そして私に「今《を生きることの大切さを改めて教えてくれた。

ともあれ、老年になって入信した私にとって…それまで合理主義的な考えにどっぷり浸かっていたので…このような聖書理解の仕方は必要上可欠であった。それは聖書を理解するのみでなく、信仰の支えとして必要な過程だったと思う。

(2009年 3月号)