【 説教・音声版】2021年8月1日(日)10:30 平和主日礼拝  説教 「 私たちは何を学んだのか 」 浅野 直樹 牧師

平和主日礼拝説教

 

聖書箇所:ヨハネによる福音書15章9~12節

八月になりました。今日は「平和」について思いを巡らす、ある意味特別な礼拝です。
今年は、終戦後七六年になりますが、「平和の祭典」と言われるオリンピックが日本で開催されている特別な年となりました。
私は、昭和四二年生まれです。前回の東京オリンピックは昭和三九年でしたので、まだ生まれていません。戦争に敗れ、一面焼け野原となった東京でしたが、その後目覚ましい復興を成し遂げ、「再び国際社会の中心に復帰するシンボル的な意味を持つ」(Wikipedia)と言われたようです。誇りを取り戻すため、国家の威信をかけて、といった思いもあったのでしょう。

今日では当たり前のように利用されていますが、オリンピックに合わせて東海道新幹線も首都も造られました。そんな建設風景もテレビで流れていましたが、今とは違って人夫・作業員さんたちが手作業に近いような形で造っていく姿に、改めて驚きを覚えました。

先ほども言いましたように、私は昭和四二年生まれです。そんな前回の東京オリンピックから三年後です。そして、物心がつくまでには数年がかかる。つまり、戦争終結から三十年近く経っている、ということです。まさに、「戦争を知らない子どもたち」。戦争とは無縁だと思って歩んできました。少なくとも、ある年代までは…。しかし、戦後七十年以上経った今日からすれば、まさに「戦後の人間」だったということを強く思わされるのです。

少なくとも、私の子どもの頃、少年時代までは、まだ戦後の空気感が残っていたようにも感じるからです。周りの大人たちの多くは、戦争体験者でした。もちろん、詳しくそんな体験談を聞くことはありませんでしたが、ここ彼処で感じるようなところがあった。母は昭和二十年生まれですが、自分が少女時代に経験した戦後の食糧難の話をよく聞かせてくれました。もちろん、食べ物を粗末にしてはいけない、といった躾としてですが…。あるいは、小学校では毎年一回(そう記憶していますが)戦争に関する映画の上映会が行われていました。

当時は、あまり関心もなく、ただ単に「見ていただけ」といった感じだったと思いますが、それでも、その風景は私の中にしっかりと残っています。そんなふうに、決して意識していた訳ではなかったのかも知れませんが、知らず識らずのうちにも、戦争・戦後を体験した人々の「反省」の思いが心に刻まれていったのだと思うのです。あれから四十年以上。自分の子ども世代の人たちとの意識の差を、正直感じます。時の流れの中で、それも仕方がないことなのかも知れません。しかし、敗戦後七六年経った新たなコロナ・オリンピックの中で、あの戦争時代が思い起こされていることに、私は非常に興味を覚えるのです。

これは、『西日本新聞』に出ていたものですが、長崎市の被爆者が語ったインタビュー記事として掲載されていたものです。引用しますと、「いま、世界を覆う新型コロナウィルス。自粛要請や新しい生活様式など国が掲げる方針に、従わぬ者を排除する『自粛警察』のような行動も現れている。何が正しい情報か確信を持てぬまま、一丸になって突き進んだ75年前の光景が現在に重なる。あのとき、爆心地から約1.8キロの師範学校で壁にたたきつけられ、爆風で飛んだガラス片が全身に刺さったまま逃げ込んだ防空壕。目にしたのは体の一部をもがれた人々の姿だった。

『地獄』を招いた当時の空気感と今は『どこか似ている』と●●さんはつぶやいた」。これは今から約一年前の記事ですので、今とは多少空気感が違っているのかも知れませんが、しかし、「何が正しい情報か確信を持てぬまま、一丸になって突き進んだ」といった当時と今との重なりは、耳を傾けるところがあるように思います。

あるいは、『週刊ポスト』ではこんな記事が掲載されていました。「歴史家の島崎晋氏は、政府とメディアが“ここまで来たらやるしかない”と突き進む現状が、不利な戦況を隠して戦争を続け、国を敗戦へと追い込んだ太平洋戦争と重なって見えるという。『コロナ禍で五輪開催を強行する政府のやり方は、第2次大戦の最悪の作戦といわれるビルマ(ミャンマー)でのインパール作戦とそっくりです。

作戦立案段階から補給が無理だと参謀は反対したのに、司令官の牟田口廉也中将は決行、失敗が明らかになっても保身のために中止せずに日本兵は死屍累々となった』コロナ対策でも菅政権は過去の教訓に学ぶことなく被害を拡大させている。感染『第4波』にあたって最初は飲食店への時短を要請し、感染拡大が止まらないと、次に『まん延防止等重点措置』、それでもダメで『緊急事態宣言』に追い込まれ、感染者は増えていった。『ガダルカナル島の戦いの失敗とされる「戦力の逐次投入」と同じです。米軍に占領された飛行場を奪回するため、日本軍は900人の部隊で奪還作戦を行なったが、1万人以上の米軍が待ち構えていて部隊は全滅。次に6200人の部隊を投入したが敗退、3回目の作戦で日本軍はようやく1万5000人の軍を投入したが、米軍もその2倍に増員していて完敗した。正確な情報収集と分析を怠り、戦力を小出しにした結果でした』」。

それ以外にも、科学的根拠を軽視し、楽観論で突き進んだ当時の軍部と現政権とを重ねるなど、さまざまな意見が飛び交っています。私自身は、ここでこれらの意見を評価するつもりはありませんが、ただ、現在の問題と七十年以上も前の、あの特異とも言える時代の出来事とが重ねられて思い起こされていることに、興味深さを感じるのです。つまり、何を学んだか、ということです。ここでの「学び」とは、単なる知識・情報ではありません。自身の生き方、考え方の元になる、つまり、「教訓」となる強い「学び」です。それを、戦後日本は、あの戦争からどれほど学んできたのか。そんなことが改めて問われているようにも思えるからです。

私たち日本人は、特に政治を司る人々は、そういった「学び」に疎いのかも知れません。戦争だけではない、バブルの崩壊、リーマンショック、福島第一原発の事故等々、「教訓」とすべき大きな痛みを経験し、みな「学んだ」つもりになっていましたが、喉元過ぎれば…、となってしまっているように感じられるのは、私だけでしょうか。 私自身にも責任があることを感じています。「教訓」になるような学びは、受け継がれていくべきだからです。一代限りで終わって良いような学びではないからです。そういう意味では、私自身が受け継いだものを子どもたちに渡していけたのだろうか、と反省させられる。しかし、遅すぎることはないのだと思うのです。今からでもいい。ちゃんと学び、受け継いでいくことが大切なのではないか。そう思う。

先ほどは、ガダルカナル島での戦闘で九百人が全滅した、という記事を淡々と読んでしまいましたが、これは、大変なことです。人の命が奪われるのです。殺されるのです。殺し合うのです。しかも、もちろん九百人で収まらない。何十万、何百万という人々の命が奪われる。それだけでもない。戦場で戦っている人々だけでもない。周りの人々、普通の市民と言われる人々、それらの人々も殺されていくのです。それだけでなく、当然、命を奪われた側は恨みを抱く。その恨みは何代にも渡って、何十年にも渡って受け継がれていくことにもなる。だから、戦争など決して起こしてはならないのです。

私は、今日、もう一度旧約聖書の精神も取り戻す必要があるのではないか、と考えています。つまり、悔い改める、ということです。神さまは、さまざまな出来事を通して、特に不幸とも思えるような出来事を通して悔い改めを求められるからです。反省し、そこで学んだ教訓を心に刻ませるのです。二度と同じ過ちを繰り返さないように、と。そして、その教訓を代々受け継がせるのです。

本日の旧約の日課では、こうも言われていました。「もろもろの民は大河のようにそこに向かい 多くの国々が来て言う。『主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう』と。主の教えはシオンから 御言葉はエルサレムから出る。…もはや戦うことを学ばない」。もちろん、イエスさまがおっしゃるように、「互いに愛し合う」ことです。これが、一番です。しかし、一気にそこにいくのはなかなか難しい。しかし、反省し、学び合い、平和を、互いに愛することを追い求めていくことは、そのために祈っていくことはできるのではないか。そう思うのです。