「読書会ノート」 森於菟『耄碌寸前』

森於菟 『耄碌(もうろく)寸前』

仲吉智子

 

森於菟(おと)は、森鴎外の長男として生まれ、 父親と同じく医学を学び、基礎医学の解剖 学を専門とし、戦前、台湾の台北帝国大学 で教授を勤めています。

「耄碌寸前」の字を見た時、随分古い字を 使っているなと思いながらも、私自身が、 その域に達しているため、新聞の書評に目 が止ってしまい、また、森鴎外の長男とい うことにも興味をそそられて、手にしてし まいました。於菟の妹である森茉莉の著書 は、みなさまよくご存知だと思いますが、 長男の著書があることを知りませんでし た。於菟は、父親を敬愛するあまり。迷惑 をかけてはなるまいと、文学からは遠ざか っていたようですが、持って生まれた文才 は、やはり、残されたものの中に輝きを放 っていたようです。

この本は、池内紀が、森鴎外以上に文章力 があると惚れ込み、『医学者の手帳』『新編 解剖刀執りて』等の於菟の随筆集から抜粋 でまとめてあります。

家族でなければわからない、偉大な森鴎外 の家庭人としての様子が、ユーモアを交え ながら語られ、鴎外全盛時代に建てられた“観潮桜”の最後の頃の一部始終が、抑制 のきいた文で、淡々と書かれているのは、 胸がつまる思いでした。森於菟が専門論文 以外で世間に登場した最初は、家族をつれ て台湾へ赴いたのと同じ昭和11年で、既 に47歳になっています。

「詩と真実」の中に、於菟が文章を世間に 書きはじめた頃の言葉がありますので、こ こに紹介します。 「・・・・父の名をはずかしめたくないの で、己の能力の限界を知った私は、文学よ りも、むしろ基礎医学の研究生活を選んだ。 だが、三つ子の魂百までというのであろう か、この年に至るまで、幼年時代養われた 文学への憧憬は、老いの胸に余燼のごとく、 くすぶるのである。それが時に燠が風にあ おらるるごとく燃え上がるのは、老狂とい うべきか」(『文学雑絶』)

池内紀は言う。「老狂」でも「耄碌」でも なかったことは、彼のその健やかなペンの 走りに証明されていると。 随筆なので、一編ずつを、短時間で読めま すので、是非どうぞ。

(2011年 7月号)