「帰国メッセージ」 石居基夫 [Messageのページよりここに移動]

「ただいま、かえりました」  石居 基夫

 

例年になく早い春の訪れのためか、イースターにはすっかりその盛りを終えてはいましたが、教会の桜を見上げつつ、やっと故郷に帰り着いた思いが致しました。神学大学・神学校からの要請を受ける形で教会を離れ、アメリカでの学びを成し遂げることができましたのは、ひとえに皆さんのあついお祈りとお支えをいただいたからこそと思っております。実際、私が離任いたしましてから大柴先生がご着任くださるまで、神大・神学校から徳善先生を始め江藤先生、賀来先生の応援をいただきました。しかし、同時に何よりも役員を始めとして教会員の皆さまが本当に一つとなりこの教会をお支えくださいました。私がなにかしら学びの成果を持ち帰ることができたとするならば、皆さまのそうした具体的なお支えがまず始めにあってのことと思い、心から感謝申し上げたいと存じております。また、絶えずお祈りをいただきました。本当にありがとうございました。

 

アメリカでの学びは、いろいろな意味で自分にとっても大きなチャレンジでありましたが、実際にこうして終えてみると当初に考えていた以上に、恵をいただいたことを思います。ルター神学における終末論をテーマにしておりましたが、今回は特に死の問題に焦点を当てつつ取り組むことができました。論文の題は「さくらとゆり」。日本の伝統的死生観とキリスト教の死と復活の教えの出会いの意義を考えました。武蔵野教会で牧師として働き、教会の皆さまとともに多くのかたがたを神様のみもとにお送りいたしました経験がこの学びを一つの形にまとめていく力になりましたことも、合わせてご報告させていただきたいと思います。私の研究内容についてはいつかまた改めて違った形でご報告したいと思っています。

アメリカでの生活はあっという間でありましたが、子供の成長を見ると与えられた時間の長さに改めて気づかされます。ちょうど神学校の家族寮に住んでいましたので、たくさんの友人にも恵まれました。特にも、世界中の教会から来る留学生との交わりは、私たち家族にとってかけがえのない宝になりました。子どもどうしは直接に体ごと友達関係を作っていくので、そうしたかかわりの中から、いろいろな国の習慣の違いやまた考え方の違いと言ったことにも触れることができたように思います。そして、本当にさまざまな文化・宗教の中に生きているキリストの信仰の豊かさを感じています。

 

留学の最後の時期には、あのセプテンバー・イレブンといわれる同時多発テロが起こり国際社会の複雑な関係の要にありアメリカの問題をまざまざと感じさせられました。そして、本当にこの地上に神様の御国を待ち望む思いを強くしたのでした。

 

この4月からは三鷹の神学校での生活となります。いただいた恵をいろいろな形で分かち合うことがゆるされますならば、何よりの幸いと思っております。どうぞまた、よろしくお願いいたします。

(むさしのだより 2002年 4月号より)