ドストエフスキー 『罪と罰』

武蔵野教会会員  佐藤 義夫 (和洋女子大学教授)

ドストエフスキーの『罪と罰』は私に教会の門を叩くように手助けしてくれた本である。大学生のラスコーリニコフが小さなナポレオンをめざして、金貸しの婆さんの頭を斧で叩き割り、貧乏人に金を分けてやろうとした、という例のお話しである。私が感動したのは、金貸しの婆さんを殺して良心の呵責に苦しむラスコーリニコフを悔い改めに導いたのが娼婦のソーニャであった、という点である。本来ならば、大学生のラスコーリニコフが教育のないソーニャの蒙を啓くべき立場であった。ソーニャは貧しい家庭に育って、娼婦の仕事をやらざるを得ない情況に追い込まれた。従って、彼女の方が彼から励ましを受けてしかるべきであった。しかし、彼の方が彼女から励ましを受け、信仰の導きを受けているのだ。これは美しい立場の逆転とでも言うべきものだろう。

ラスコーリニコフは「ラザロの復活」の箇所を何度かソーニャに読んでもらった。彼はソーニャから自首を勧められて刑務所に聖書を携えて行った。どうして「ラザロの復活」なのだろうか。神から彼の罪を許してもらい、再生の道を歩もうとする彼にとって、「ラザロの復活」の奇跡を信じることができるかどうかは、重要なことであった。

ドストエフスキーは1881年に59歳で死ぬ13時間ほど前に妻のアンナに「今日は死ぬだろうな」と力ない声でつぶやき、聖書占いをしたい、と希望した。その聖書は手擦れた革表紙のついた古びたもので、ソーニャの箪笥の上に置かれ、「ラザロの復活」について読まれた聖書のモデルともなったロシア語訳新約聖書であったそうだ(江川卓著『ドストエフスキー』岩波新書)。

冒頭にこの小説を通じて教会の門をくぐったと書いたが、ラスコーリニコフのような罪人に事の善悪を知らせる聖書にはどのようなことが書かれているのか、知りたいと思ったからである。

1960~1970年代に大学紛争を経験した私は、革命のために人の命を奪うことは犯罪にはあたらないというラスコーリニコフのような人物に何度も出会った。動機は何であれ、人殺しは他者のために生命を捧げるように求めるイエスの教えに背くものである。

 

(日本福音ルーテル教会機関誌『るうてる』1998年 3~8月号に掲載されたものです)