「<なまけクリスチャンの悟り方>No.12. 保守派と革命派と改良派」 NOBU市吉

前回の終末論の比較の中で、現在的終末論を「保守派」、黙示論的終末論を「革命派」、現在的未来的終末論を「改良派」に喩えてみた。今回、保守派・革命派・改良派の3つの政治的スタンスを、やや大胆だが、下図のように救済史の時間軸に対応させてみたい。

  創  造(原秩序)・・・・・・・・◆
               保守派(:)第一時代
  楽園追放(覚醒、反抗/独立)・・・◆
               革命派(:)第二時代
  贖罪(挫折、絶望、新しい希望)・・◆
               改良派(:)第三時代
  終  末・・・・・・・・・・・・・◆

保守派は、楽園追放前の第一時代に対応する。彼らは、あるがままの自然秩序を肯定する。楽園は、ミクロ的には生物個体の生存競争の場であり、生き残った者ないし優勢な者が適者と呼ばれる。通常、優勢勢力は保守派であり、自分たちに有利な現秩序を支持する。現秩序は「我らのもの」であり、メYesモと言う。彼らは優勢的存在と劣勢的存在の差異を肯定し、後者に対して冷淡である。彼らは、力あるものの使命として自らの勢力拡大を推し進める。保守派は、神話や童話にあるような生命の生々しい力、時に残酷な力を代表する。(「秩序」と単純に呼んだが、それはルールと、結果としての勢力図から成り、ルールが一定であっても、勢力図は動的に変化する。また、現秩序は優勢一色ではなく、ニッチに多様性が存在し、環境条件の変化に伴って、何れかが次代の優勢となる可能性を秘めている。「現状維持」(静的な保守)で優勢が保てるほど簡単ではない。)

革命派は、楽園追放後の第二時代に対応する。彼らは楽園の中に悪を見る。革命派にとって、現秩序は「彼らのもの」であり、メNoモと言う。それは、人間理性と、弱者への共感・連帯と、社会的行動によって根本から変えられねばならない。彼らは、人間が自ら秩序を形成できること(神からの人間独立)に目覚め、興奮している。革命派は、悪の起源を社会構造に求め、罪を上部構造と見る傾向がある(逆に言えば、「理想社会から理想人間が生まれる」)。人間性礼賛(ヒューマニズム教)に陥る恐れもある。彼らの最大の関心は現秩序打破であり、来るべき社会の中に働く人間力学・組織力学を深く吟味しようとしない。革命派は、若者の破壊的な力、世界を劇的に変える力を代表する。

改良派は、回心後の第三時代に対応する。改良派にとって現秩序は「我らのもの」ではないが、「彼らのもの」でもなく、メYes, and Noモと言う。改良派も、理想世界の幻を仰ぐが、地上においてそれを直接に実現できると思うのは楽観的過ぎると見ている。彼らは人間の内在的な罪や弱さを前提とした社会秩序の設計を考える。改良派の現状改良を目指す行動は現秩序の維持に働き、結果として保守派を助けているように、革命派からは見える。しかし改良派は、社会秩序を維持しつつ、試行錯誤による小さな変革の積み重ねで、大きな改良ができる(それは、神から引き継がれた創造の業への参与)と信じている。改良派は、成熟した大人のバランスある実行力を代表する。

改良派がベストであると言うつもりはない。保守派と革命派は歴史を大きく動かしてきた(古代・近代の帝国、近代市民革命など)。時と場合も影響する。バリエーションもあろう。本稿は、3つの政治的スタンスを比較する一つの見方・試みである。

(むさしのだより2005年 6月号より)