「ウィーンの思い出(6)恩師に感謝して」 野口玲子

ウィーンの思い出(5)~恩師に感謝して

音楽大学・エーリック・ヴェルバ先生(1)

野口玲子

 

ウィーンに着いて半年が経ち、1968年10月から音楽学校の生活が始まりました。

入学当時は、国立の音楽学校(美術も)はアカデミーという専門学校でしたが、在学中の1970年にオーストリアではHochschule=単科大学となり、その後Universitaet=総合大学となり現在に至っています。アカデミーの時には、音楽を学ぶための独自のシステムをとることができましたが、格上げされてUni.となってからは一般の総合大学に倣うこととなるため、休暇の期間が大幅に増えてしまいました。大学生にとって休暇は、図書館に通ったり外国で調べ物をしたりと、各自が自由に研究するために必要な期間ですが、音楽学生には、学校が休みとなってレッスンが抜けてしまうことは大きなダメージとなるのです。

私の留学期間中は幸いにもHochschuleになっても変わらず、休みはクリスマスから新年にかけての10日間と、2期制のため冬学期と夏学期の切り替えの2月に、5日間の他にはイースター、ペンテコステなどの月曜日、火曜日が連休になるくらいでした(現在はイースターが済んでからのんびりと夏学期が始まるようです)。このように、10月から6月まで全く気の抜けない、緊張の連続の勉強の日々が続いたのでした。

ヨーロッパの殆どの音楽大学と同様にウィーンでも、声楽科は、Gesangという発声に重点を置いた科、オペラ科、リート・オラトリオ科と分かれており、入学希望者は入学願書に各科別に希望する教授名を記入し、それぞれの試験に臨みますが、試験の前にまず希望する教授を訪ね、声を聴いていただき、入学の可能性があるかどうかの判断を仰ぐことが通例になっています。そしてもしその教授担当の学生数の枠が一杯であれば、優秀であっても不可能となり、どうしてもその教授につきたいときには空きができるまで待たなければなりません。また気に入ってもらえなければ、試験の前に断られ、他の教授を探さねばなりません。教授からOKをいただいた上で入学試験を受け、試験官の教授陣から合格点をつけられて、はじめて入学が許可されるのです。

私は、Gesang科としてはグロスマン先生の下でプライヴェート・レッスンを受けていますので、アカデミーではリート・オラトリオ科のDr. エーリック・ヴェルバ教授クラスに入りたいと願っていました。ヴェルバ先生は世界に名だたるリート解釈者、ピアノ伴奏者として優れた歌手達と共演され、指導者としても尊敬されるすばらしい芸術家です。

私は3月にウィーンへまいりましたので、7月にはヴェルバ先生が講師を務められる、ザルツブルクの「モーツァルテウム」という国立音楽アカデミーで行われる夏期講習へ向かいました。選別試験に合格した20数人の受講生のうち日本人は私一人。7月半ばから3週間、毎日公開レッスン形式で行われました。ヴェルバ先生のレッスンを受けるために、若い歌手やピアニストの卵達が世界中からやって来てひしめき合う中、ヴェルバ先生に何と言われるか、ドキドキしながら皆の前で歌ったり弾いたり・・・そして他の人のレッスンを聴いて学ぶのです(勿論言葉はドイツ語のみ、通訳なし)。ヴェルバ先生が説明される独特のユーモアに溢れたウィーン訛りのお話や、ピアノから醸し出される音を通して、詩の抑揚やニュアンスを音楽に溶け込ませることの見事な才能に圧倒され、リートを歌う際のドイツ語の表現の難しさ、奥の深さを痛感しつつも、これからの課題にワクワクする感動を覚えました。

ヴェルバ先生から「必ず採りますよ」といわれ、ウィーンに帰って入学試験に無事合格。正式な私費留学生として認められました。

このように順調に事が運んで行く幸せは、真に神さまのみ恵みに満ちたお導きの賜物と心から感謝いたします。(この項続く)

(むさしのだより2006年12月号より)