「黄泉比良坂(よもつひらさか)入り口 高村敏浩

むさしの教会の皆さん、こんにちは。お元気ですか?早いもので、牧師(補)として働き始めてからすでに三ヶ月が経ち、季節はもう夏です。

振り返ってみれば、新天地で働き始めて二日目の4月2日は、松江教会での受苦日礼拝でした。夕方7時からはじまるため、午後に岡山を電車で出発し、車窓から外を眺めながら移動しました。松江到着寸前に目に入ってきた看板には、「黄泉比良坂(よもつひらさか)入り口」とあります。神話の世界です。一人苦笑しつつも、心の中で「大変なところに来たなぁ」と思いました。しかし今は、松江、岡山、高松に赴任し、三教会の人たちと知り合えたことをうれしく思います。受苦日に黄泉(陰府)にくだったものの、イースター、ペンテコステを通して新しい生命に与っていることを実感します。

三つの教会での働きについて少し話をします。主要な仕事は礼拝奉仕です。土曜日は松江、日曜日は午前中に岡山、午後に高松、そして第二、四月曜日は高松の老人ホームでの短い礼拝があります。普段は、土曜日朝6時20分のバスで松江に向かい、10時半からの礼拝を守り、午後 2時ごろのバスに乗って帰ってきます。片道3時間、計6時間、半日をバスの中で過ごします。日曜日は岡山で10時半に礼拝、交わりの後移動して午後4時から高松です。月一回の聖書研究会(午前は旧約、午後は新約の3時間通しです)や女性会、月二回の家庭集会などがあります。また、松江では月一回のペースで家庭訪問を行ないますので、金曜日からの泊まりがけがあります。

実際にはそれほど多くの仕事をしているわけではないのですが、移動が多いために忙しさを感じます。また一箇所に留まる時間が少ないために、何かに集中して力を注ぐことが困難です。最初のうちはペースが掴めませんでしたが、最近はようやく落ち着いてきました。岡山は暑く毎日の水遣りが大変ですが、梅雨のおかげで一時的にせよそれからも解放されています。もっと余裕が出てきたら、水遣りや庭木の手入れも息抜きになるかもしれません。

正直に告白すると、牧師として働きながら、特に忙しさに流されていく中で、自分は牧師として相応しい働きができていないと感じます。自分は牧師として相応しくないと感じます。しかし、三教会の人たちが私を必要とし、信仰の旅路を共に歩もうとしてくれていることに励まされ、そのような私を用いてくださる神さまに支え導かれ、感謝のうちにやっとの思いで前に進んでいます。この思いは薄れていくのでしょうか、いつまでも持ち続けるものなのでしょうか。

神学生としての私を温かく迎え入れ、見守り、指導し、祈り支えてくださったこと、あらためてお礼申し上げます。むさしの教会は、私にとって故郷の一つです。毎週の礼拝にあって、皆さんのことを覚えてお祈りしています。遠く離れていても、主にあって一つ。それぞれの場所にあって、主に宣教の器として用いられることを信じ、歩んで行きます。主の平安!

(3月に按手を授けられ岡山・高松・松江教会に赴任された高村牧師より便りを頂きました。2007年~2008年にむさしの教会で研修されました。)

高村敏浩 (日本福音ルーテル岡山、高松、松江教会牧師)

(むさしのだより2010年 7月号より)