説教 「テモテとエパフロディトを送る」 大柴譲治

フィリピ 2:19-30

はじめに

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とがあなたがたにあるように。

人間パウロ

本日の箇所は、パウロがどれだけ自分の同労者、つまり自分を支えてくれる者の存在を大事に思っていたかがよく分かる箇所です。人間の絆というものの重さが伝わってきます。そしてテモテとエパフロディトという二人の若い同労者たちに対してのパウロの、いわば父親のような思いが溢れています。それはパウロ自身の、自分の弱さや破れといったものに直面した獄中での揺れ動く思いを表しているように思います。パウロは2コリント12章では「(キリストによって)弱い時にこそ強い」と言っていますが、私たちも弱い時にこそ自分に与えられている親しい者とのつながり、絆というものによって支えられことが多く、有り難さを噛みしめるからです。

ここはパウロの年齢というものを感じさせる部分でもあります。22節に、「テモテが確かな人物であることはあなたがたが認めるところであり、息子が父に仕えるように、彼はわたしと共に福音に仕えました」とありますが、パウロはおそらく当時55歳前後です。当時の平均寿命から見れば高齢者の範疇に入るような年齢でありました。

先日私たちは80歳以上の方を覚えて敬老主日を守りましたが、パウロの生きていた状況は現代とは全く違っていたことは私たちが容易に想像するところであります。例えば平均寿命です。ある注解書はこう説明しています。「古代都市においては、生まれたこどもの三分の一近くが6歳になる前に死亡していた。10代の半ばまでに60%が、20代の半ばまでに75%が、そして40代の半ばまでに90%が死亡したであろう。おそらく、3%が60代に達しただろう」(マリナー/ロアボー『共観福音書の社会科学的注解』、新教出版、2001、p51)。反対側の「生存率」という観点から見てゆきますと、6歳で70%、15歳40%、25歳25%、45歳は10%、60歳はたった3%ということになります。平均寿命にするとどうなりますでしょうか。10歳ぐらいで半数近くが亡くなっているということになります。

このような記録を見るだけで、もちろん命は長さだけではなくその質の高さが問われなければならないとしても、私たちがいかに寿命の長い社会に生きているかが分かります。現代では「QOL(Quality of Life生命の質)」ということが問われますが、昔はなかなかそれどころではなかったということが分かります。

イエスさまも30歳ぐらいで公の活動を始められたわけですが、現代とは違って、その年齢では既に「青年イエス」とは呼びにくい状況があります。マリナー/ロアボーは、「イエスの聴衆の多くは、彼よりも若かっただろうということに気付く。彼らは、病に悩まされ、10年か、またはそれ以下の余命しか望めないのだった。」と記しています(前掲書p51)。

パウロがダマスコ途上で復活の主と出会って劇的な回心を体験したのが33歳頃、そして最後はローマにおいて殉教したというのが60歳頃です。パウロはこの手紙を獄中から書いていますが、明らかに自分の命が長くないことを予感しています。逆に私などは、高齢にも関わらず、パウロが信仰において若さと熱意、そして夢と志を保ち続けたことの方に心打たれます。ローマ書の15章には、ローマ、そしてそれを超えて遥か地の果てにあるスペインまで伝道してゆきたいとパウロは考えていたのです。旧約聖書の預言の言葉を想起させられます。「その後/わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し/老人は夢を見、若者は幻を見る。」(ヨエル3:1)

若き同労者テモテ

困窮の中でパウロを常に支え続けたのが若き同労者のテモテでした。テモテとパウロは親子ほども年齢が離れていましたが、世代を超えた強い絆によって結ばれていました。

テモテについてはあまり多くのことは分かっていません。ギリシャ人の父とユダヤ人の母の間に生まれた子で、パウロの手紙の何通かの共著者となっています。おそらく目の悪いパウロが手紙を口述するのをそばで筆記したのがテモテであったと思われます。テモテに宛てた二通の手紙も新約聖書の中には残っています。パウロにとってテモテはかけがえのない協力者であり、心から信頼する忠実な友人であったに違いありません。そのことは20-22節の言葉からもよく分かります。

「テモテのようにわたしと同じ思いを抱いて、親身になってあなたがたのことを心にかけている者はほかにいないのです。他の人は皆、イエス・キリストのことではなく、自分のことを追い求めています。テモテが確かな人物であることはあなたがたが認めるところであり、息子が父に仕えるように、彼はわたしと共に福音に仕えました」。21節などを読むと、ここまで言ってよいのであろうか。これを聞いたパウロの他の同労者たちはどう思っただろうかと気になるくらいです。

この言葉の背後には次のような事情がありました。パウロは自分に対する判決が下り次第、自分のことを心配しているフィリピの人々の所にテモテを派遣してそのことを知らせ、またフィリピの人々についての便りを持ち帰ってもらうつもりでいました。しかし最初はパウロは、テモテを自分の傍から手放したくなかったので、別の者をフィリピに行かせたいと思っていたのでしょうがそれを断られたと思われます。テモテは喜んでこれに応じ、フィリピに派遣されることになるのです。このあたりのパウロの複雑な気持ちが行間に現れています。人間パウロを感じるところでもあります。

22節もパウロは「テモテが息子が父に仕えるように(わたしに仕えてくれた)」と書こうとして途中で「彼はわたしと共に福音に仕えました」と書き直したと読む注解者もいます(フランシスコ会)。獄中にあるパウロの心細さやテモテが傍にいてくれることの嬉しさが伝わってくる部分です。そしてテモテを派遣すればもう二度とあえなくなってしまうかもしれないという不安もそこにはありましょう。「わたしはあなたがたの様子を知って力づけられたいので、間もなくテモテをそちらに遣わすことを、主イエスによって希望しています。」という書き方も、もしかしたらパウロの思いとは違うことが主イエスによって示されたということなのかもしれません。

二つのテモテ書の中でパウロは繰り返し「わが子テモテ」と呼びかけています。「わたしは、昼も夜も祈りの中で絶えずあなたを思い起こし、先祖に倣い清い良心をもって仕えている神に、感謝しています。わたしは、あなたの涙を忘れることができず、ぜひあなたに会って、喜びで満たされたいと願っています。そして、あなたが抱いている純真な信仰を思い起こしています。その信仰は、まずあなたの祖母ロイスと母エウニケに宿りましたが、それがあなたにも宿っていると、わたしは確信しています。そういうわけで、わたしが手を置いたことによってあなたに与えられている神の賜物を、再び燃えたたせるように勧めます。神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。だから、わたしたちの主を証しすることも、わたしが主の囚人であることも恥じてはなりません。むしろ、神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください。」(2テモテ1:3-8)という言葉や、4章の最後の「冬になる前に来て下さい。」(21節)という言葉などは、強く私の心に響いてきます。パウロとテモテの間の強い絆が迫ってきます。

いずれにせよ、揺れ動く思いを持ちながらも、パウロはフィリピの人々との絆を大切に思い、それによって支えられているということがよく分かります。「親身になってあなたがたのことを心にかけている」ということを相互に伝え合うことが大切なのです。最後に私たちを支えるのはこのようなキリストによって結び合わされた「神の家族」としてのつながりであり絆です。私たちにも同じような絆が与えられているのです。

戦友エパフロディト

エパフロディトについても簡単に見ておきましょう。これはギリシャ神話の女神アフロディテから由来した「魅惑的な」という意味の名前です。彼はフィリピの教会から派遣されてパウロの元に見舞いの金品を届けました(4:18)。パウロが獄中にいる間、彼に仕えていましたがやがて何か重い病気にかかってしまいます。彼はそれで生死の境をさまようのです。フィリピの信徒たちはこのことを伝え聞いて非常に心配をしました。病いから回復したエパフロディトはフィリピに帰って自分が全快したことを示して安心させたいと思ったのですが、他方弱気になっているパウロを見捨てるような行動は取りたくなかったのでしょう。そのように思い悩んでいたエパフロディトの気持ちを察したパウロは、自分からエパフロディトをフィリピに帰すことを提案したのです。エパフロディトのフィリピへの思わぬ帰還を説明するこの手紙は、そのエパフロディト自身に託されたものなのでしょう。

25-30節を読むと、エパフロディトについてのすばらしい推薦状となっていることが分かります。パウロがいかに暖かい心を持った情に厚い人物であったかが分かります。私も仕事柄さまざまな場面で推薦状や紹介状を書くことが少なくないのですが、パウロのこの部分は何度読んでもすばらしい手本であると思います。

「ところでわたしは、エパフロディトをそちらに帰さねばならないと考えています。彼はわたしの兄弟、協力者、戦友であり、また、あなたがたの使者として、わたしの窮乏のとき奉仕者となってくれましたが、しきりにあなたがた一同と会いたがっており、自分の病気があなたがたに知られたことを心苦しく思っているからです。実際、彼はひん死の重病にかかりましたが、神は彼を憐れんでくださいました。彼だけでなく、わたしをも憐れんで、悲しみを重ねずに済むようにしてくださいました。そういうわけで、大急ぎで彼を送ります。あなたがたは再会を喜ぶでしょうし、わたしも悲しみが和らぐでしょう。だから、主に結ばれている者として大いに歓迎してください。そして、彼のような人々を敬いなさい。わたしに奉仕することであなたがたのできない分を果たそうと、彼はキリストの業に命をかけ、死ぬほどの目に遭ったのです。」

読む者の心に響く文章です。

キリストの絆

私たちはさまざまな人間関係の中に生きています。このような深い絆で結び合わされた「主に結ばれている者」としての信頼関係は、地縁でも血縁でもない、聖霊縁であり、キリスト縁であり、信仰縁なのです。神の家族としてのつながりの大切さを思わされます。そのような出会いと深い絆が、あの十字架に架かって下さったお方によって私たちには贈り与えられている。このことを感謝し、神さまを讃美したいと思います。このような絆こそが私たちがどのような状況にあっても私たちを具体的に支えてくれるのです。特に自分が病気になったり、仕事や人間関係で失敗したり、大きな壁にぶつかって自分の弱さを実感したりするとき、そのような絆が支えてくれるのです。

親であれ兄弟であれ、親友であれ恩師であれ、配偶者であれ子どもであれ、たった一人でもいいから自分のことを心から愛し大切に思ってくれる者と人生で出会うことができるならば、私たちは生きてゆけるのです。ダマスコ途上で復活のキリストと直接出会って目が見えなくなったパウロが、三日後にアナニアによって目からうろこのようなものが落ちて目が開かれていったことは私たちに信仰者の交わりの大切さを教えています。

ボンヘッファーという人は『共に生きる生活』の中でこう言っています。「自分の心の中のキリストは兄弟の言葉におけるキリストよりも弱い」と。だから私たちは信仰の友を必要とするのです。「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。」と詩編133:1は歌っていますが、私たちキリスト者が聖徒の交わりの中に置かれているということは自明なことではありません。それは計り知ることのできない神の恵みなのです。『友情は喜びを二倍にし、悲しみを半分にする』とドイツの詩人シラーが言っていますが、本当にその通りです。

テモテとエパフロディトはフィリピの人々とパウロの心と心とをつなぐメッセンジャーとなり、架け橋となりました。そのような人の心をつないでゆく役割がこの世に生きる私たちにもキリストから与えられているのです。そのことを覚えながら新しい一週間を過ごしてまいりましょう。

お一人おひとりの上に神さまの豐かな祝福がありますように。アーメン。

おわりの祝福

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。

(2006年10月8日 聖霊降臨後第18主日礼拝 説教)