説教「生きているのは、もはやわたしではありません。」 大柴譲治

ガラテヤの信徒への手紙 2:11-21

はじめに

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがわたしたちと共にありますように。

ガラテヤ書連続説教4回目

このところの主日礼拝では、使徒パウロのガラテヤ書から学んでいます。ガラテヤ書は「信仰と自由の手紙」とも呼ばれる手紙で、ルターはこの手紙を自分の妻と呼び、1516-17年、1519年、1523年、1535年と、何と四度も講解しています。言うなれば、宗教改革の原動力・起爆剤ともなった重要な手紙でもあります。この手紙を読むことで、私たちはキリスト教信仰の神髄といったものを学ぶことができると思うのです。

本日は四回目で2章の後半を読みます。本日の箇所、特にガラテヤ書2章は、パウロ自身が直接初代教会の出来事を報告しているという点でも重要な文書です。しかし、この部分よりもむしろ後半の15節以降の学びに力点を置いて学んでまいりたいと思います。

アンティオケ事件~ペトロを公然と非難するパウロ

11-14節では、パウロがペトロとぶつかり、ペトロを公然と非難したことが報告されています。「アンティオケ事件」と呼ばれる出来事です。言うまでもなく、ペトロは12弟子の筆頭であり、押しも押されぬエルサレム教会のリーダーの一人でした(その他のリーダーとしてはイエスの弟ヤコブと使徒ヨハネの名が挙げられています)。「使徒の中の使徒」とも呼ぶべきペトロ(「柱と目されるおもだった人々」2:9)と、パウロがぶつかったというのです。しかも、かつてはキリスト教の迫害者であったパウロがペトロを公然となじった、つまり一方的に非難したというのです。これは大事件であり、初代教会において衝撃が走ったことでもあったでしょう。これは2章の前半で報告されているエルサレム使徒会議の結論の解釈を巡っての事件でした。

口語訳聖書では11節はこう訳されていました。「ところが、ケパがアンテオケにきたとき、彼に非難すべきことがあったので、わたしは面とむかって彼をなじった」。「面と向かって」と訳されていますが、それは「顔」という言葉であり「公然とin public」という意味です。それはもちろん「公に、人々の前で」という意味で、「二人きりで、プライベートに」という意味ではありません。

アンティオケ教会で何が起こったかというと説明が必要です。主の兄弟ヤコブやペトロ、ヨハネが属するエルサレム教会はユダヤ人伝道に熱心でしたが、他方、パウロやバルナバが属するアンティオケ教会は異邦人伝道に熱心でした。2章の初めに報告されていたエルサレム使徒会議(おそらくそれは紀元48年の春頃行われていると推定されます)では、人はただ信じることによって救われるのであるから異邦人には割礼を求めない、律法遵守を求めないというパウロの主張が認められ、エルサレム教会はユダヤ人伝道に、そしてアンティオケ教会は異邦人伝道に邁進するということが確認されたばかりでした。言わば車の両輪のように両教会が連帯して回ってゆくべきことを確認したのです。

実はこのエルサレム会議の決定はある意味で玉虫色の決定でした。異邦人キリスト者には律法遵守を求めないが、ユダヤ人キリスト者に関してはそのことは棚上げされていたからです。ユダヤ人キリスト者たちは、律法を守るということがこれまで生活の一部のようになっていましたから、その延長線上でキリストを信じる信仰を位置づけていた節があります。パウロも、実際的な理由からでしょう、異邦人には律法遵守を求めないで「人はただ信仰によって義とされる」と説きながら、ユダヤ人キリスト者の在り方については口をつぐんでいます。そこから問題が生じてゆくのです。

エルサレム使徒会議の後、アンティオケ教会ではその決定を受けて異邦人キリスト者とユダヤ人キリスト者の相互の会食が始まったようです。ところが、エルサレム教会からアンティオケ教会に来たペトロが、最初は割礼を受けていない異邦人キリスト者と喜んで一緒に食事をしていたのに、ある時を境に、割礼を受けているユダヤ人キリスト者たちを「恐れてしりごみし、身を引こうとしだした」というのです(12節)。13節にはこうあります。「そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました」。ここには初代教会において、ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者の間にあった葛藤が見て取れます。エルサレム使徒会議の後に、アンティオケ教会ではユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者の使徒言行録6:1を見ますと、ユダヤ人キリスト者にもヘブル語を話すユダヤ人とギリシャ語を話す(ディアスポラの)ユダヤ人がいたと考えられますから、さらに話は複雑だったと思います。

アンティオケ教会では、おそらくエルサレム使徒会議の後に、その成果が実現するようなかたちで、ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者が共に食事をするということが始まりました。エルサレム使徒会議は、テトスのような異邦人キリスト者も参加していますが、ほとんどはユダヤ人キリスト者によって行われています。そこでの決定は、異邦人キリスト者には律法遵守は求めないが、ユダヤ人キリスト者にはそれを求めないとはしなかった、ある意味では不徹底で曖昧な玉虫色のものでした。アンティオケ教会では律法遵守はそれほど重視されていませんでしたが、エルサレム教会のユダヤ人キリスト者たちにとっては律法遵守は当たり前のことでもありました。当時のユダヤ人社会ではローマ帝国に対する批判が高まり、民族的なものを大切にしようとする機運も盛り上がっていましたので、なおさらそうでした。エルサレム教会はそのような中にあって、パウロの徹底した主張を強調して、いたずらにユダヤ教徒たちを刺激したくなかったのだと思われます。

しかし、しばらくしてから、アンティオケ教会では食物規定に関しての問題ました。ユダヤ人の律法では汚れた動物を食べること(豚肉のような蹄の割れた動物や偶像に捧げられたもの)は禁じられていました。異邦人キリスト者にとっては何でもないことが厳格なユダヤ人キリスト者にとっては躓きとなるようなことが起こったのです。エルサレム教会からやって来た律法遵守を大切に思っていたヘブル語を話すユダヤ人キリスト者たちが、もちろんただキリストを信じることによって義とされるが、それでも律法(割礼や食物規定)を軽んじてはいけない、それはユダヤ人の大切なアイデンティティーの一つであるから、そしてまたそのことはエルサレム使徒会議でも確認されたことではないか、というような言い方をしたのでありましょう。ルカが報告するエルサレム使徒会議は使徒言行録15章に記されていますが、そこには「聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました。すなわち、偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避けることです。以上を慎めばよいのです。健康を祈ります」という文書が記録されています(15:28-29)。これはパウロのガラテヤ書の2章の最初の部分には何も触れられていませんが、恐らく最初は曖昧であったがこのアンティオケ事件を通して再確認された事柄をルカが後からエルサレム使徒会議の決議として記録したのであろうと考えられています(佐竹明『使徒パウロ』NHKブックス)。

14節の言葉はそのような中で公然とパウロからペトロに向けて語られました。「しかし、わたしは、彼らが福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていないのを見たとき、皆の前でケファに向かってこう言いました。「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか」。パウロはここでペトロたち自身も律法をきちんと遵守していないではないかと指摘しています。若い頃から「律法の義に関しては非の打ち所のない者であった」(フィリピ3:6)という自覚を持っていたパウロですから、ユダヤ人キリスト者たちの中途半端な姿勢は理解できなかったのでありましょう。恐らくペトロは、12使徒の代表格とは言ってももともとは漁師ですから、ファリサイ派律法学者の訓練を受けたギリシャ語もヘブル語も流ちょうに話すパウロに対しては反論できなかったのではなかったでしょうか。ペトロは人々の前で完全にメンツを失います。それまではパウロの側に付いていたバルナバもペトロの側に付いたというのですから、これはアンティオケ教会を二つに分裂させた問題であったのでありましょう。否、この事件を通して、アンティオケ教会はパウロに対して一定の距離を取るようになっていったようです。以降、パウロはバルナバともたもとを分かち、アンティオケ教会のバックアップなしに、孤立無援で、独自に伝道旅行を始めてゆきました(第二、第三伝道旅行がそれです)。伝道者の孤独を感じます。

この「アンティオケ事件」は初代教会全体にとってショッキングなニュースでした。しかしそれは、大きく初代教会の歴史の中で見てゆくならば、ペトロからパウロへとリーダーシップのバトンタッチがなされてゆくということを預言したばかりでなく、ユダヤ人キリスト者から異邦人キリスト者へとバトンが移されてゆくことを預言した「歴史の転換点」を示した出来事であったと申し上げることができましょう。紀元70年にはローマ帝国はエルサレムを徹底的に破壊し、エルサレム教会は歴史の中から姿を消すことになってゆきます。以降は、パウロらの大きな働きを通して、圧倒的に異邦人キリスト者が増えてゆくのです。

「人が義とされるのに律法の行いは全く必要ない。ただキリストを信じる信仰によってのみ人は義とされるのだ」という15節以下に述べていることを、パウロはペトロへの非難という出来事を通して、もう一度ガラテヤの教会に思い起こさせる必要があったのだと思います。パウロ自身が若い頃、律法によって義とされると信じてキリスト教を迫害していたのです。律法による義ではなく、キリストの信仰による義という「福音の真理」に従ってまっすぐ歩くためにどうしても教会にとって必要なことだったのです。

思わず力が入ってしまいました。後半の方に力点を置きたかったのですが、短くなってしまいました。

「すべての人はキリストのピスティス(信実/まこと)によって義とされる」

15節から21節までは繰り返し味読すべき箇所です。そこに「福音の真理」が明らかにされているからです。私たちが自らの行いによってではなく、キリスト・イエスが私たちすべての者のためにあの十字架の上に成し遂げてくださった出来事によって救われているのだということ、私たちにできることはそれに気づき、ただそれを信じればよいのだということをパウロは繰り返しガラテヤの諸教会に語りかけています。

15節の「わたしたちは生まれながらのユダヤ人であって、異邦人のような罪人ではありません。」というユダヤ人であることを誇っているように響くパウロの言葉は少し気になるところでもありますが、むしろ単にユダヤ人と異邦人の違いについて言及していて、ユダヤ人にはモーセの律法が与えられていたが、異邦人には律法は与えられていないというようにサラッと理解すべきでありましょう。

問題は16節の訳です。新共同訳聖書はこうなっています。「けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです」。とても重要なことを言います。新共同訳聖書の訳語に関しての修正ですから、大胆に罪を犯すことになるかもしれません。

ここで「イエス・キリストへの信仰」「キリストへの信仰」と訳されている語ですが、これは「イエス・キリストのピスティス」「キリストのピスティス」という言葉です。確かにそれは「イエス・キリストを信じる信仰 faith in Jesus Christ」と訳すこともできるのですが、そうではなくて「イエス・キリストが私たちに対して持っているピスティス(信/信頼/真実/信実/真理/まこと)faith of Jesus Christ」という意味に理解したいと思います。その方が事柄がはっきりするからです。

これはとても重要なポイントです。パウロはダマスコ途上での劇的な回心によって、人間は律法の行いによって義とされる、救いに入れられるのではないということを知らされました。キリストがあの十字架と復活において私たちのために成し遂げてくださった事柄、キリストの出来事、キリストの義によって私たちは救われるのです。それを「キリストの愛」、「キリストの真理」、「キリストのピスティス」、さらには「キリストの律法/法則」とさえも、言い換えてもよいでしょう。「ピスティス」とは「私たち人間の業」ではなくて「キリストの御業」なのです。ですから16節はこうなります。

「(16)けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストの信実によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストの信実によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。」

律法の実行によっては、つまり自分の力や行いに頼っていては、誰一人として義とされない! そこから17節以降も明確になります。「(17)もしわたしたちが、キリストによって義とされるように努めながら、自分自身も罪人であるなら(自分自身に頼り続けるならば)、キリストは罪に仕える者ということになるのでしょうか。決してそうではない(メー・ゲノイト!)。(18)もし自分で打ち壊したもの(律法)を再び建てるとすれば、わたしは自分が違犯者であると証明することになります。(律法遵守によって義とされようと自分の力に頼んでいたらダメなのです!)」

キリスト教の迫害者であった頃のパウロが、「律法の義に関しては非の打ち所のない者であった」という自覚を持っていたことを思い起こしてください。「律法の行いによっては誰一人として義とされない」、それが復活のキリストと出会ったことでパウロが徹底的に変えられた点なのです。自分の義を求めるのではない。キリストの義によって生きるのです。

19節も注意して訳したいと思います。「(19)わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。わたしは、キリストと共に十字架につけられています」。ここには二つの「律法」という語が出てきます。「律法に対しては律法によって死んだ」とは意味不明です。「モーセ律法に対してはキリストの律法によって(通して)死んだ」と意味を補って訳したいと思います。するとこうなります。「わたしは神に対して生きるために、(モーセ)律法に対しては(キリストの)律法によって死んだのです。わたしは、キリストと共に十字架につけられています」。大変に明快になったと思います。

20節。「(20)生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。」この最後の「神の子に対する信仰」という部分も訳し直します。「わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子のピスティス(信実/まこと)によるものです。」

そして21節に続きます。「(21)わたしは、神の恵みを無にはしません。もし、人が律法のお陰で義とされるとすれば、それこそ、キリストの死は無意味になってしまいます。」

8・15に思う

20節は文語訳ではこうなっていました。「われキリストと共に十字架につけられたり。もはやわれ生くるにあらず、キリストわが内にありて生くるなり」。ここでパウロは恐らく洗礼のことを思い起こしています。洗礼において古い自分はキリストと共に死に、新しい自分がキリストと共によみがえるのです。もはや生きているのは私ではない。キリストが私のうちに生きておられるのだ。このパウロの自覚が私たち信仰者の共通の自覚なのです。信仰とは主体の転換です。「私」という自我が打ち砕かれ、生きる主体の転換が起こっていることが実に見事に表現されています。キリストが私という存在の唯一の根拠なのです。キリストの十字架と復活、これがすべてです。ここに信仰を与えられた者の本当の自由があるのです。

今日は8月15日。太平洋戦争の敗戦の記念日です。8月は戦争の傷跡を想起する月でもあります。ヒロシマ平和公園の碑文にはこう刻まれています。「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」。過去を想起するのは、それは二度とそのような過ちを繰り返さないためです。本当の平和、本当の自由、本当の義しさ。キリストが私たちを罪から解放し、生かすために十字架にかかり復活してくださった。ここに私たちの拠って立つべき原点があります。

「われキリストと共に十字架につけられたり。もはやわれ生くるにあらず、キリストわが内にありて生くるなり」。律法による義ではなく、キリストの義が私たちを生かし、私たちを愛と平和のために用いてゆく。このことを覚えながら新しい一週間を踏み出してまいりましょう。

お一人お一人の上に神さまの祝福が豊かにありますように。 アーメン。

おわりの祝福

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。

(2010年8月15日 聖霊降臨後第12主日説教 ガラテヤ書連続説教04)