5年4ヶ月後の被災地を訪れて 八木 久美

「語り部」となった男性の安寧を祈りながら、私たちはをその場を後にした。しばらく歩き名残惜しさに振り返ると、日和山神社の大鳥居が天空に両手を広げるかの様に建っていた。

現地支援協力者である斉藤さんご夫妻も合流して予てからの計画通り、追浜川河川団地仮設住宅 を訪れると “布ぞうり・なごみの会”武山たか子さん、幸子さん、三條照子さんと“おちゃっこ会”のみなさんが20畳ほどの集会所で待っていてくださった。全員の顔が見えるようにとロの字に配置されたテーブルの上には色とりどりの心づくしの料理や新鮮な果物が所狭しと並べられていた。何ともお目出度い席に招かれたかの賑わいに恐縮しながら、心からの歓迎の意がこちらに強く伝わってきた。

今まで電話やメールのみで交信していた互いの声と顔が合致して喜び合う中で一人の方が、震災から5年を経て初めて、ご自分のお孫さんを津波で亡くしたと吐露された(周囲の方も知らなかった)。楽しい語らいでふと口をついて出たかの様な、周りを気遣うその言葉に一同が心を寄せていると、引率役の野口勝彦牧師がおもむろに傍らにある包みを解き、中から四角い板状のものを取り出して話しをされた。それは空や海を想わせる青を基調とした一辺が45cmほどのステンドグラスで、中央には六角形の星に白い鳩が重なる美しいもので、松本教会員である作家の手になるものだった。今は仮設に住む姉妹方が、やがて復興住宅や他の地域へ転居された後も「“平和の鳩”の元に健やかで集えるように」との祈りが込められているそうだ。

太平洋に面したこの一帯に翼を広げる平和の鳩。その鳩と共に、希望を未来へと繋げていってほしい…もっと話していたい思いを抱えて駆け足のスケジュールに恨めしさを覚えながら、次なる訪問先の“吊し雛・華の会”みなさんが待つ多目的団地の集会所へと向かった。そこでは、色鮮やかな吊し雛や“苦が去る人形”(風船蔓の種を小猿の顔に見立て着物を着せた1cmほどの人形が南天・桜の枝に九つ並ぶ)など、多くの可愛らしい作品が作られていた。笑顔で会話しながらも休まず動く指先からは、次々と小物が生み出されている。そうだ、豊かだが厳しい自然の中の生活者は、何があろうとも皆はたらき者なのだ。

移動中、一瞬立ち寄った南三陸町防災庁舎は、巨大なピラミッドの如き防潮堤の盛り土に埋もれるかの様に心細げに建っていた。周囲には他に、何も無い。…

「あの日」から変わったこと、変わらないこと。

振り返ると、その場に身を置き直に触れて味わい識ることは、未来へと希望と祈りを絶やさずに共に繋がり伝え続けること。この大切さを気付かされ心に刻んだ時となった。

祈りをもって

 

むさしの便り10月号より