説教 「和解と平和のためにできること」 大柴 譲治牧師

ヨハネ 15:9-12

はじめに

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とがあなたがたにあるように。

「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」

私たちは毎年8月の第一日曜日に平和主日の礼拝を守っています。本日は8月6日。ヒロシマを覚える特別な日でもあります。和解と平和のために私たちに何ができるのか、そのことを覚えながら聖書が私たちに示すキリストの平和について思いを巡らせてゆきたいと思います。

私は牧師になって21年目の夏を迎えています。最初の9年間は広島県の福山教会で牧師として働きました。西教区には当時、私の前任者の松木傑先生(現聖パウロ教会牧師)が作った「平和と核兵器廃絶を求める委員会(通称PND委員会)」があって様々な活動をしていました。毎年5月の連休にはヒロシマ平和セミナーを開催していましたし、毎年平和主日のための礼拝式文を作って全国の諸教会に配布しました。原爆の図で有名な丸木位里・俊画伯の絵を下関と東松山の丸木美術館を往復してワゴン車で運んで、平和祈念巡回展なども開催いたしました。そこで得た収益を用いて、隔年で高校生のためのヒロシマ平和セミナーを開催したり、15年前(1991年)には30名ほどを連れて韓国・巡礼の旅を行ったこともあります。

私にとってヒロシマから牧師としての働きを始めることができたことは大変意義深いものであったと思っています。そこで体験したことが今も私の原点をなしているからです。暑い暑いヒロシマで、毎年8月6日の朝8時15分に、「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」と刻まれた平和記念公園での原爆慰霊祭に参加したことも忘れることはできない記憶です。ヒバクシャの方たちの証言やさまざまな出会いを通してそこで学ぶことのできた一番の大切なことは、「過去を心に刻みつけて思い起こす(想起する)ことの大切さ」です。

ヨハネ・パウロ二世『ヒロシマ平和アピール』

そのことに関して私は、ヒロシマを通して出会った二人の人の言葉を思い起こします。

一人は、1981年に来日されたローマ・カトリック教会の前教皇ヨハネ・パウロ2世です。ポーランド出身のヨハネ・パウロ2世(在位 : 1978年10月16日 – 2005年4月2日)は、「空飛ぶ平和の巡礼者(空飛ぶ聖座)」と呼ばれるほど精力的に世界中を平和のために飛び回った教皇としても知られています。

(註:ヨハネ・パウロ2世は「旅する教皇」といわれたパウロ6世をはるかにしのぐスケールで全世界を旅行し、「空飛ぶ教皇(空飛ぶ聖座)」といわれるほどであった。最初の訪問国メキシコを皮切りに、1981年2月23日から26日までの日本訪問を含め、2003年9月に最後の公式訪問国となったスロバキアにいたるまでに実に世界100ヶ国以上を訪問している。他宗教や他文化との交流にも非常に積極的で、プロテスタント諸派との会合や東方正教会との和解への努力を行い、大きな成果をあげた。1986年には教皇として初めてローマのシナゴーグを訪れるなどユダヤ人への親近感を示しつづけたことなどでも知られる。さらに1980年代後半以降の共産圏諸国の民主化運動において、精神的支柱の役割を果たしたともいわれている。特に母国ポーランドの民主化運動には大きな影響を与えている。)

日本に飛行機から降り立った時に教皇が最初にしたことは、大地にひざまずいて、大地に口づけをされたことでした。このように謙遜な低い姿に私は大きなショックを受けました。自分でやろうとしても、これはなかなかできにくいことです。

その教皇のヒロシマ平和アピールを、当時神学生であった私は、仲間たちと一緒にルター寮のテレビで観ました。

「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です。この広島の町、この平和記念堂ほど強烈に、この真理を世界に訴えている場所はほかにありません。もはや切っても切れない対をなしている2つの町、日本の2つの町、広島と長崎は、『人間は信じられないほどの破壊ができる』ということの証として、存在する悲運を担った、世界に類のない町です。

この2つの町は、『戦争こそ、平和な世界をつくろうとする人間の努力を、いっさい無にする』と、将来の世代に向かって警告しつづける、現代にまたとない町として、永久にその名をとどめることでしょう。

本日、わたしは深い気持ちに駆られ、『平和の巡礼者』として、この地にまいり、非常な感動を覚えています。わたしがこの広島平和記念公園への訪問を希望したのは、過去をふり返ることは将来に対する責任を担うことだ、という強い確信を持っているからです」 (1981年2月25日)。

そして教皇は、その平和アピールの中で、「過去を振り返ることは将来に対する責任を担うことである」という言葉を何度も繰り返されたのが印象的でした。「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」という原爆慰霊碑の言葉を体現していたように思います。

ヴァイツゼッカー『荒野の40年』

この平和主日にあたって私が思い起こすもう一人の人物は、西ドイツのリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領です。ルーテル教会の信徒代表でもあったと聞いていますが、1945年5月8日のドイツ敗戦の日を覚えつつ、『荒野の40年』という戦後40年という節目の記念講演の中で過去を心に刻むことの大切さを繰り返し強調しながら、「過去に目を閉ざす者は現在に対しても目を閉ざすことになる」と語りました。

ヴァイツゼッカー大統領の演説を少し引用します。

「罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。

心に刻みつづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。

問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。

ユダヤ民族は今も心に刻み、これからも常に心に刻みつづけるでありましょう。われわれは人間として心からの和解を求めております。

まさしくこのためにこそ、心に刻むことなしに和解はありえない、という一事を理解せねばならぬのです。 」 (1985年5月8日)

これは心に響く真実の言葉であると思います。

「わたしの記念のためこれを行いなさい」(聖餐式設定辞)

「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」という慰霊碑の言葉を噛みしめてまいりました。過去の過ちを繰り返さないためには過ちをきちんと心に刻む必要がある。そしてそれを覚え続けていること、思い起こすこと、想起することが必要です。すべてを「水に流す」ということでは足りない。すべてを水に流してゼロから再出発すると、同じ過ちを何度も繰り返してしまうことになります。同じことを繰り返さないためには過去から学ぶ必要があるのです。

その意味で私たち日本人は、過去から学ぶことがヘタかもしれません。和解と平和を築いてゆくためには過去を忘れず、それを思い起こし続ける必要があります。それも犠牲になった者の視点から思い起こす必要があるのです。それが思い起こすのが辛いこと、忘れたいことであったとしても、その過ちを繰り返さないためにはそれを心に刻み、それを想起することを止めてはなりません。

私たちは今日も聖餐式に与ります。その設定辞の中で毎回語られる主の言葉があります。「これはあなたのために与えるわたしのからだ。」「これは罪の赦しのため、あなたと多くの人のために流すわたしの血における新しい契約。」「わたしの記念のためこれを行いなさい。」この「記念のため(アナムネーシス)」と訳されている言葉は「想起する、思い出す」とも訳せる言葉なのです。主が最後の晩餐で分かち合ってくださったパンとぶどう酒は、聖餐式という形を通して二千年の間教会は忠実に行い続けてきたのですが、それは主の救いの出来事、受肉と十字架と復活の出来事を思い起こすために私たちに与えられているのです。

和解と平和のために私たちができることの第一は、キリストの出来事を思い起こすことなのです。それは今日の使徒書の日課であるエフェソ書2章が的確に語っていました。「しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。」

「敵意」を滅ぼした十字架の愛による平和

主の十字架がゴルゴダの上に立って既に二千年近くが経ちますが、力でもって平和を実現しようとするキリスト者もいます。主の語る言葉に照らし合わせてみると、それは明らかに間違っています。十字架とは力づくによる平和を意味しません。力づくでは終わることのない敵意と憎悪の連鎖反応をエスカレートさせるだけなのです。十字架において主が明らかにされた真実は、愛による平和なのです。それは自分を殺そうとする者のために赦しを祈るほどの愛です。主は十字架の上から祈られました。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは自分が何をしているのか知らない(分かっていない)のです」(ルカ23:34)。

本日の福音書の日課であるヨハネ福音書は明確に語っています。「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。」

愛は暴力よりも、死の力よりも強いのです。たとえそれがどれほど無力に見えても、ただ神のアガペーの愛がすべてを造り変えてゆくのです。私たちはそれを信じるようにされているのです。和解と平和のために私たちのできることは、十字架の上にすべてを捧げてくださったキリストの無限の愛を信じ、それを宣べ伝えることなのです。迷いつつ自分の無力さをかみしめながらジタバタしつつも、キリストの十字架の出来事を思い起こし、その愛の力に信頼すること。これだけが私たちにできることではないか、そう思います。

和解と平和のためにできること~平和の巡礼者として生きる

最後にもう一度「平和の巡礼者」と呼ばれたヨハネ・パウロ二世の言葉を引用してこの説教を終わりたいと思います。

「だれにも神はその人固有の使命を与えておられる。その使命は、いのちを神のもとに返すまで続くのである。年老いたから、病弱だからということで、その使命が生きられないということはない。それは理由にはならない。いのちの最後まで、人間として自分を昇華させなければならない。神はお望みの時まで、お望みのように、人をお使いになるということを確信している」

神がその和解と平和の使者として私たち一人ひとりを用いてくださいますように。今に目を閉ざさないためにも、将来に対する責任を担うためにも、過去を振り返り、自らの心に刻みつけることができますように。

フランシスコの平和を祈りを祈ります。

お一人おひとりの上に神さまのみ業が現れますように。

アッシジの聖フランシスコの平和の祈り

わたしをあなたの平和の道具としてお使いください
憎しみのあるところに愛を
いさかいのあるところにゆるしを
分裂のあるところに一致を
疑いのあるところに信仰を
誤りのあるところに真理を
絶望のあるところに希望を
闇に光を
悲しみのあるところに喜びを もたらすものとしてください
慰められるよりは慰めることを
理解されるよりは理解することを
愛されるよりは愛することをわたしが求めることができますように
わたしたちは与えるからこそ受け、ゆるすからこそゆるされ
自分を捨てて死んでこそ 永遠の命をいただくのですから アーメン。

おわりの祝福

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。

(2006年8月6日 平和主日聖餐礼拝 説教)