たより巻頭言「教会、この不思議な場所」 大柴 譲治

願わくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ  西行

教会という場所はつくづく不思議なところであると思う。毎週日曜日には主日礼拝が行われるが、そこでは結婚式も葬儀も行われる。コンサートやバザー、講演会、ワークショップ等が行われることもある。結婚と葬儀が同じ場所で行われる中に人の思議を超えた教会の性格が最も明らかであろう。日本の社会にはそのような場所は多くはない。私たちは喜びごとも悲しみごともすべては神さまのみ手のうちに置かれていると信じる。だからこそあの羊飼キリストの前ですべてを執り行うのである。このところご葬儀が続く。愛する者を失くして悲しむ方々に慰めを祈りたい。

教会とはつくづく不思議な場所だと思う。3/25聖金曜日に私たちは十字架上の七つの言葉による悲しみの礼拝を守った。3/27には同じ礼拝堂で復活祭の喜びの礼拝を守っている。そこでは三名の方の洗礼・堅信・転入式が行われ、聖餐式が守られた。目に見えない神さまの恵みのみ業を私たちは目に見えるかたちで目の当たりにした。午後2時半からは36回目を数えるイースターコンサート。東京バッハアンサンブルと声楽家・中澤桂さんによる音楽の捧げ物が魂に深く響く。一昨年まで34年間に渡り指揮をされた池宮英才先生もさぞかし天国で喜んでおられることであろう。その日、教会の桜がほころび始めたのを初ちゃんが見つけてくれた。コンサートによく足を運んでくださった芥川賞作家・阪田寛夫氏も今年3/22に79歳で天の召しを受けられた。西行を思い起こす。

市ケ谷教会の渡辺純幸先生は4/1から蒲田教会の牧師としての働きを始められる。3/27に先生より病床受洗された方が翌日93歳で召天。3/30、31 とむさしの教会で先生による市ケ谷教会のご葬儀が執り行われた。渡辺先生にとっては市ケ谷教会最後の仕事である。3/30熊本出張中の先生は前夜式ギリギリに帰京。飛行機が遅れた場合に備え私もカバーの態勢に入っていたが、皆がホッと胸をなで下ろした。いざとなると牧師の存在は本当に大きく、頼りになる。そのことを実感した瞬間である。私も牧師であるがどうも自分のことはよく見えないため、人の振り見て我が振り直そうと心がけている。

人生には様々なドラマがある。事実は小説よりも奇也。しかしそれらを越えて、いや、それら全ドラマを支える根底に、私たちに最後を委ねられる教会という不思議な場所があるということの幸いをしみじみ思う。

教会の5本の桜は今年も健在である。いよいよ今、会堂改修のため建築委員会、募金委員会が動き始めた。様々な形で支援の輪が拡がっている。4/10より賀来先生ご夫妻が三鷹からむさしのに戻ってきてくださることもタイムリーで心強い。私たちの大切なむさしの教会である。共に心を合わせてゆきたい。


(2005年4月号)