サンパウロだより ブラジル派遣宣教師サンパウロ教会牧師   徳弘 浩隆

1、悩みと行き詰り
 
ブラジル6年目になりました。
 
すべてにおいて綱渡りのような日々ですが、おかげさまで神様に守られ、不思議な教会成長と、4月から念願の経済自給を達成しました。先輩方や、日本から支援してくださる皆様、こちらの教会で支え奉仕してくれる皆さま、そして何より神さまに、本当に感謝しています。

しかしいくつもの、難しい課題に直面しながら、心は晴れません。一つは、今後の更なる教会成長と財政の安定、もう一つは青年伝道・ポルトガル語礼拝の成長です。ずっと、気にはしていました。何とかしなければと。しかし、ここまでそれなりに何とかなっていて、無茶をしていませんでした。「いつするか?」「いや、それは、今だろう!」と、密かに決心し、役員会に相談しました。すると皆さん快諾してくれました。

それは、「一か月間教会を離れて、一人で別の街のブラジル人の中で生活し、ポルトガル語修行をする」というアイデアでした。妻も驚きましたが、了解してくれました。二人で一緒に行ったら意味がないからです。一人で、不安と孤独の中で、ブラジル社会に溶け込んで、ポルトガル語をもう一段上達させながら、道を切り開いていく経験をしないと、と行き詰まりを感じていたのです。言葉は日常生活や簡単な会議は困らないくらいになりました。しかし、青年達に気の利いた言葉をかけてあげたり、難しい相談に乗ってあげるのは不自由です。教区の会議や交渉事でも、一昨年はぎりぎりの交渉でブラジル人牧師招聘も実現しました。しかし、「このままではいけない。もどかしい」といつも思っていました。

街では日本語だけでも生活が出来るし、多くの教会メンバーは日本語で会話ができます。まして自宅では夫婦で日本語だけの会話。「このままでストップしていてはいけない。もっと自由に話せるようにならないと、ポルトガル語礼拝が増えない。それでは教会の将来が無い」と。そう思っているうちに、教区長は任期が終わり交代。教区事務所の事務長も退職。日系教会の事をよく知ってくれていて、話し合いもこちらの気持ちを汲んでくれて、融通をきかせてくれる人はいなくなったのです。

「知らない街で、ルーテル教会とは関係ないところで、身分も隠して、一人の人間として街に潜り込む(?)。そして一から道を切り開いてみたい。きっと開拓伝道って、そんな感じなんだろうな。信仰を持って飛び込んでみるか?」そう思いました。「ポルトガル語のコースに通って、どっぷり浸かっていたい。そうしないと自分は変わらない」そうも思いました。

いろんな人のつてを頼って探しました。もらった時間は、総会終了からひと月。旅費や滞在費、研修費は自分持ちですが、役員会は喜んで時間をくれました。不在中も教会の予定外の経済的負担を増やしてもいけないので、代読してもらうように説教や原稿を数本書いて準備しました。しかしちょうど今年はカーニバルの時期と重なり、当てにしていた新学期前の大学の外国人向けポルトガル語コースもなかなかありません。

ブラジルを知るために、26州あるブラジルの州都を出張の帰りに自費で訪ねる「ブラジル州都制覇計画」を実行していましたが、訪ねた11カ所の訪問先やそこで知り合った人を思い出して、Vitória州の日本人とブラジル人の夫婦に、紹介してもらおうと相談しました。すると、「うちにホームステイしなさい。日本語禁止でひと月勉強できるプランを組んであげる」と受け入れてもらうことになったのです。EspíritoSanto(聖霊)州のVitória(勝利)という街の場所も気に入りました。

 
2、決心と挑戦
奥さんは私が昔行っていた大阪外大の後輩(私は途中でやめましたが、彼女はヒンディー語卒業)であることが判明。JICAで日本語教師でブラジルに来たあと、ブラジルの州立音楽大学に入り卒業、その後大学の関係で高校の音楽教師をし15年近くブラジル在住の方。ご主人はブラジル人で児童文学や俳句で本を出版するほどの物書きの方でした。

彼らが準備してくれたのは、1)文法の復習コース、2)発音矯正のための音楽教師、3)日本人が苦手な鼻濁音や腹式呼吸の訓練のための言語療法士、4)文章表現の添削を作家のご主人が、5)毎日の発声練習と緊急時の日本語でのサポートはその奥さんが、という具合のパッケージでした。
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毎日7時間ほど勉強し、入れ替わり来てくれる先生の授業、週に二度の作文とその添削指導、ポルトガル語書籍を読みこなす宿題、舌をかみそうなわざと難しい早口言葉の練習(これはブラジル人にも難しそうでした)などは、とても刺激的で楽しいものでした。サンパウロのように日本人に慣れてない彼らは、細かな発音の違いも判ってくれず話は通じません。しかしそれらの授業と、食事や生活もすべてその家でポルトガル語で、少しずつスムーズになってきました。

このご主人は昔神父になりたかったけれどキリスト教に失望しチベット仏教や日本の禅宗、真言宗に関心と造詣が深い人で、そんな面でもずいぶんと宗教談義が弾みました。週末は一緒にカトリック教会のミサに行ったり、博物館や教会巡り。楽しい缶詰コースで、ポルトガル語もずいぶんよくなったと、評価してもらいました。

 
 
 

3、広がり
サンパウロに帰ると、その経験をインターネットのFacebookで見ていた日本人や駐在社員たちから質問攻めに合いました。「どうでした?」「私にも紹介してください」「僕も適当に通じるんだけど、その先に壁があるんです」「僕も飛び込んでみたいと思ってたんです」と。同じ言葉の壁の悩みを抱える中級者の人が多いのですね。被験者?として参加
して一緒に作り上げた「ポルトガル語ホームステイ集中コース」、先生の彼らとお互いに評価し合って商品化し、希望者を送り込んで短期コースを開くことになりました。
 

4、もう一つの実りと可能性
ブラジルでは今は義務教育で音楽がありませんが、人の話や声を聞き調和させるという面で人間教育のために必要と意気投合しました。Melo牧師が去年からDiadema集会所の貧困地域の子どもたちの人間教育と伝道のために音楽教育を始めていましたが、サンパウロに、この女性を呼んで短期集中講座を開くことになりました。経験豊富なこの先生のやり方をMelo先生にも学んでもらい、もっと良い成果を出してほしいとも思ったからです。役員会も本人も、快諾。旅費と安い謝礼で11日間教会ゲストハウスに滞在し短期の合唱指導、子どもたちのリコーダー指導をしてくれ、イースターには達成感のある発表会も礼拝の中でしました。
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もう一つの狙いの通り、子どもたちの親や兄弟も礼拝に見に来てくれ、すそ野も広がりつつあります。神様は一つの決心に対して、三つの収穫を与えてくれました。願う以上のものを与えようとしてくださっているのですね。

次が楽しみです。

むさしの便り 5月号より