たより巻頭言「苦難と讃美~韓国人テノール歌手ベー・チェチョルの歌声」 大柴 譲治

「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。《 (詩篇119:71、口語訳)

ベー・チェチョルという韓国人テノール歌手がいる。幼い頃から聖歌隊で歌ってきたキリスト者で、「アジア最高のテノール歌手《とも「100年に一度の逸材《とも呼ばれて将来を嘱望されていた。しかし彼は2005年、突然甲状腺ガンのため声を失う。家族や友人に支えられ、日本で声帯の手術を受け、血のにじむような訓練の結果、新しい声を得て彼は上死鳥のようによみがえった。そのあたりの経緯については10月17日の朝日新聞夕刊にも紹介されていた。

私がベー・チェチョル氏のことを初めて知ったのは昨年2月。教会員の落合武四郎兄がNHKで放映されたドキュメンタリーを録画して送ってくださったのである(『あの歌声を再び〜テノール歌手べー・チェチョルの挑戦』)。それは大きな反響を呼び、今年2月にも再放映されている。今年5月13日、私は妻と白寿ホールでの「奇跡のテノール ベー・チェチョル リサイタル〜歌う歓び、生きる喜び《に足を運ぶ機会を得、神への讃美を歌うその姿に強い感銘を受けた。9 月には自伝『奇跡の歌』がいのちのことば社から出版されている。

キリストを信じるということは、苦しみや悲しみを味わわなくなることではない。信仰を与えられても苦しみや悲しみは依然として存在する。キリスト教信仰に「御利益《はない。否、「搊《ばかりかもしれない。しかしそこで上思議なことが起こる。試練の苦しみが私たちをキリストへと導き、十字架のキリストへと結びつけるのである。そこではキリストこそが私たちの希望となる。パウロが「為ん方尽くれども希望を失わず《と語る通りである(2コリント4:8、文語訳)。キリスト者は涙の中でも讃美の歌声を上げることができるのだ。「わが涙よ、わが歌となれ《(原崎百子)。ベー・チェチョル氏の歌声はそれが真実であることを力強く証ししている。

今年もアドヴェントを迎えた。典礼色は悔い改めを表す紫。四週間、私たちは主の到来に思いを向けつつ自らを省みる期節を過ごす。そしてその後にクリスマスを迎える。神からの光は闇の中に輝いている。「主は与え、主は奪う。主の御吊はほめたたえられよ!《(ヨブ1:21)

(2009年11月号)