「寅さん」映画の深みを観る  賀来 周一

寅さん映画の監督は、ご存知の山田洋次監督。その監督助手をしていた人が日本キリスト教団の牧師をしておいでである。その先生に言わせると寅さんのセリフには、人間が日常の中で、ぜひそうあって欲しい、それがあれば、ちゃんと生きることができると感じるような言葉が入っているそうだ。

そう言われて、寅さん映画をみているとなるほどと思うセリフを聞く。

たとえば、こんなセリフがある。

「日暮れ時、農家のあぜ道を一人で歩いていると考えてごらん。庭先にりんどうの花がこぼれるばかりに咲き乱れている農家の茶の間、灯りがあかあかとついて、父親と母親がいて、子供達がいて賑やかに夕飯を食べている。これが・・・・・・これが本当の人間の生活というものじゃないかね、君。」

(寅次郎恋歌)

寅さんが望むのは落ち着いた生活の姿だ。だから漂泊の旅の中で彼が何時も思い出すのは、「何時でも帰ってきていいよ」と言ってくれる葛飾柴又の団子屋「とらや」である。しかし、その折角の「とらや」の茶の間での団らんも,大抵の場合予想外の顛末でドタバタと終わりを告げる。

そこには、こんな光景が思い浮かぶ。時は夕暮れ。怒った寅さんは「とらや」の暖簾を肩で払って「それを言っちゃ、おしまいよ」となじみのセリフを後に、商店街の中を京成柴又の駅へ向かう。その後ろ姿を見送るように帝釈天の鐘がゴーンとなる。

寅さんは言う。

「失敗してもよ。故郷があるからいいやって思ってるからよ。おいら何時までたっても一人前になれねえもんな。俺は、帰らねえ。・・・どんなことがあっても帰らねえ。でもよお。俺帰ると、おいちゃんやおばちゃんが喜ぶしなあ。さくらなんか、お兄ちゃんバカね。どこ行ってたの。目に涙を一杯溜めてそう言うんだ。それ考えるとやっぱり帰りたくなっちゃったな。でも私は二度と帰りませんよ。でもやっぱり帰るなあ。」(寅次郎純情編)

寅さんの生活はいつも揺れている。後ろでその揺れを支えるのが、帝釈天である。御前さまが言う「おい、寅か、帰ったか。」そこで、彼はほっとするのである。

監督助手をしていた先生が言う。「あの映画から帝釈天をとると、とてもつまらない映画です。あれが、漂泊の旅人寅さんに究極の安心を与える。その意味では帝釈天でなくて教会でもいいんです。」

観客は、人生に絶対とか、究極というものがないことを寅さんの揺れの中に見るのではないか。なぜか。生身の人間がこの世で生きている間は、いつも不安定で揺れている漂泊の旅人のようなものだからだ。

寅さん映画にあって揺れないものは帝釈天に象徴される宗教的な存在である。帝釈天のご前様は、「帰ってきたか。寅」と言ってくれる存在である。そのご前様が、寅さんの安心を外から保証している。それが、「それは教会でもいいんです」と言ってくれた先生の言葉と奇妙に重なって心に残っている。

寅さんこと渥美清、渥美清こと本名は田所康雄である。あるバプテスト同盟の牧師にお目にかかったことがある。たまたま寅さん映画について話題が及んださい、その先生が「実は田所康雄は私の伯父です。彼は洗礼を受けました」と言われた。

映画の寅さんが求め続けた揺れのない安心感を、渥美清は実人物田所康雄として究極のかたちで獲得したのだと私は思った。