神の「救済工程表」は よどみなく  石田 順朗

『天災と人災 惨事を防ぐ効果的な予防策の経済学』(世界銀行/国際連合/共編)が読まれ出したのは3年前だが、際限なく激化する国際武力紛争への「安全保障のジレンマ」に陥った、天候、食糧、医療、金融、ソーシャルメディアを網羅する「兎にも角にも危機管理時代の到来」である。戦時を忌わしく思い出す「波状攻撃」さながら、「これまで経験したことのない」集中豪雨や大型台風の襲来、地震や噴火発生、疫病蔓延への警報が続出する。しかも避難勧告の前に「避難準備情報」まで発信される情勢だ。

度重なる「発生・襲来」と「待ち受ける」連鎖対応に疲れ切った一年だった。それでも、この11月30日には「待降節」が始まる。教会暦の新年を迎えるのである。教会暦が例年、ひと月も太陽暦に先んじて新年を迎えることに、重ね重ね感謝している。殊に今回は、かねて話題になっている降臨節か待降節かの教会暦上の用語選定に、心すべき示唆が与えられて有り難い。

以前は降臨節だった。記紀を出典に「天孫降臨」を連想させるが、今なお私は、聖公会と同様に、降臨節を選ぶ。どちらでも構わないとは言え、そもそも待降・降臨の語源「アドベント」がラテン語のAdventusから派生し「到来」を意味するからだ。辞書には「『キリストの到来』のこと。ギリシャ語の『エピファネイア(顕現)』と同義で、アドベントは人間世界へのキリストの到来、そして、キリストの再臨を表現する語として用いられる」とある。到来、来臨が一大事だ。キリスト教会史上、最古の公的固定祝日として顕現日(公現祭)が1月6日に制定され(4世紀)、当初はその日にイエスの誕生を神の栄光顕現として祝ったと伝えられる。降誕祭として12月25日に定着したのは5世紀後半に至っての史実からも立証できよう。「久しく待ちにし主よとく来たりて」と長く親しまれてきたラテンの古歌Veni,Veni, Emmanuel の英訳詞は O come, O come, Emmanuel で、『教会讃美歌』9番では「きたりませ み子よ」で始まり、各節とも「主は来りたもう」で終わる。

ただ、こうした用語の選定にこだわっているときではない。「待つ」ことを「またか!」と危機感を募らせて忌避の念さえ深める中、今度こそは、「降臨」どおり、救世主イエスのご来臨! それも、悠久不変、よどみなく展開する神の救いの「工程表」に確と基づいた出来事の発生、その到来である。

いざ、歓び勇んで 待ち受けよう!