たより巻頭言『きみは愛されるため生まれた』 大柴 譲治

「主は母の胎にあるわたしを呼び、母の腹にあるわたしの名を呼ばれた。」 (イザヤ49:1)


1998年以降、毎年自殺者が3万人を超す日本社会。2009年の統計によると自殺率の高さで日本は、ベラルーシ、リトアニア、ロシア、カザフスタン、ハンガリーに次いで世界第6位となっている。過酷な現実である。私には「死にたい!」という叫びは「生きたい!」という叫びに聞こえる。誰かが傍にいてその気持ちを受け止めることができたら・・・。ご遺族の辛さと無念さとを思う。私は学生時代に、当時京都大学の学生カウンセラーであった石井完一郎氏の『青年の生と死の間』(弘文堂、1979)という自死についてのケーススタディーを記した書物と出会って衝撃を受け、自らもいのちの電話に関わりたいと思って上京することになる。その後不思議な導きを得て私はカウンセラーではなく牧師となったが、その思いは今も変わらない。主なる神は言われた。「わたしはだれの死をも喜ばない。それゆえ、あなたがたは翻って生きよ」(エゼキエル18:32、一部口語訳)と。

私たちは母の胎内にある時から神によって召し出されていると聖書は告げている。神はその御声をもって私の名を呼んでくださったのだ(イザヤ49:1)。その太初の声の記憶をおそらく私たちは魂に保持しているのであろう。主イエスも受洗時に天からの声を聴いた。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(マルコ1:11)。それは究極的なアファーメイション(存在是認)の声であり、存在義認の声でもある。「もう息子失格です」と失意の中でボロボロになって帰ってきた放蕩息子も父の力強い抱擁と接吻の中で同じ声を聴き取ったに違いない(ルカ15:20)。彼は込み上げてくる熱いものを止め得なかったことであろう。主イエスも十字架への重たい歩みの中で繰り返し祈りにおいてこの声を確認し続けたはずである。私たちもまたそのような天からの声によって支えられている。それは今も響いている。この声に私たちの希望があり、生きる力の源がある。

韓国生まれの『きみは愛されるため生まれた』(作詞作曲イ・ミンソプ)という讃美歌がある。

 きみは愛されるため生まれた
 きみの生涯は愛で満ちている
 きみは愛されるため生まれた
 きみの生涯は愛で満ちている
 永遠の神の愛は
 われらの出会いの中で実を結ぶ
 きみの存在が
 私にはどれほど大きな喜びでしょう
 きみは愛されるため生まれた
 今もその愛受けている
 きみは愛されるため生まれた
 今もその愛受けている

神はその独り子を賜るほどにこの世を愛された。それは御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の生命を得るためであった(ヨハネ3:16)。私たちが母の胎にあった時から神は私たちに”I love you!”と呼びかけてくださった。その愛の事実を苦しむ者たちと共に分かち合いたい。私たちの教会もそのための一つの避難所でありたいと願っている。
(東京いのちの電話:03-3264-4343、24時間相談受付)

(2010年 5月号)