「1パーセントの希望」     廣幸 朝子    

 「あなたが私を選んだのではない。私があなたを選んだ。」
なんという力強い言葉だろう。そして誰も反論する余地がない。神様のセリフのなかでは、一番の傑作ではないかと思う。この言葉で、意を強くした信徒はたくさんいるだろうし、および腰だった人も覚悟を決められただろう。しかし、選ばれなかった人にとっては、これほどシビアな言われかたもあるまい。「むさしのだより」の「むさしのの輪ッ!」などを読んでいると、ほとんどの方が「いつの間にか、神様に捕らえられ」、いまは「神様の御手のなかでこころ安らかに過ごしている」と言われる。うらやましいというか、ねたましいというか、私は複雑な気分になる。
 ある神学者がこんなことを言っている。「信仰とは99%の失望と1%の希望である」と。専門家のクセに1%の確信もないのかと、神様の確証のなにか一片でも欲しいと常々思っている私は、がっかりしたり、おどろいたりしたが、しかしこれは、私を含めて、多くの信徒の実感ではないかと思った。それでなければどうして毎週教会に来るだろう。なにしろ神様の御心は「人智ではとうていはかり知れない」のだ。自分の身におこることもさることながら、世の中には神も仏もあるものかということが、山のようにある。神様はどこにいて、なにを見ているのか。人間は祈ったり、泣いたり、「はかり知れない」御心に振り回され、神様に救いを求める。けれど神様はイエス様の昇天以来沈黙を続けているようにしか思えない。失望の連続ではないか。しかし、けれど、失望に押し潰されずに、1%の希望だけは持って、教会に集い、牧師を通して神様の御心を確かめずにはいられないのだ。だから、牧師は、希望を繋げる説教を、聖書の教えのように、神様の御心に従って生きていく勇気と、覚悟と、喜びを、繰り返し語ってほしい。少なくとも1週間を生きていく力を。99%失望はしても、1%の希望を紡いでいけば、この世を去るとき、きっと神様に出会える。そのとき自分の人生が神様の恵みに満ちたものであったことを知るのだろう。終生、神様の「一片」を追い求めた作家遠藤周作氏は、その臨終の床で夫人にこう告げた。「順子、安心しろ、俺はとうとう神様に会った…。」
こんな歌がある・・・

With hope in your heart
And you’ll never walk alone
You’ll never walk alone
You’ll never walk alone
          by Richard Rodgers

(2014年3月 9日発行)