「ありえないことの目撃者」 大柴 譲治

マルコによる福音書6:45-52

<「嵐」と「聖霊」>
 人生には「嵐」と呼ぶべき「時」があります。自分ではどうすることもできない「突風」が思わぬかたちで吹く時がある。その「嵐」が過ぎ去るまで私たちはじっと耐えて待つか、その嵐を乗り越えてゆくために果敢に立ち向かってゆくしかない。
 本日の福音書マルコ6:45-52にも「嵐」が記されています。ガリラヤ湖ではしばしば「突風」が吹きました。マルコ4:35-41にも突風を静める主の姿が記録されています。ガリラヤ湖は南北が21kmで東西が12kmの、琵琶湖の1/4ほどの大きさの湖です。それは海面下211mの盆地にあり、ちょうどすり鉢のような形をした地形になっていました。北には海抜2800mのヘルモン山を含む広大な高原が広がっており、ここからの寒気がガリラヤ湖に向かって吹きおろすことがありました。所謂「ヘルモン颪(おろし)」ですね。この寒気によって凪いでいた湖面も突如として荒れ狂うことがあり、弟子たちもこれに遭遇したのです。
 私は先週、大阪教会での「るうてる法人会」研修会に行ってきました。帰りがけに市ヶ谷教会の中川浩之兄と琵琶湖の畔に小泉潤先生をお見舞いしてきました。定年教師の小泉先生は胃癌と闘病しながらも(既に胃を全摘)最近はカナダやドイツを訪問するなどお元気になさっておられました。小泉先生は車を運転して近くの蓬莱山中腹の琵琶湖バレーに連れてゆき、ウィリアム・メレル・ヴォーリズのお話をしてくださいました。ヴォーリズは熱心な米国人信徒宣教師で、最初は英語教師だったのですが、建築家として有名です。また、YMCAを通して活発に活動し、近江兄弟社を起こしてメンソレータムを販売したことでもよく知られています。そこから「青い目をした近江商人」とも呼ばれました。地域のニーズに応えて病院や幼稚園をも設立しています。日本人の女性と結婚し、日本を愛し、日本に帰化し、日本で亡くなられた人でもありますが、「近江ミッション」を設立して琵琶湖にガリラヤ丸という船を浮かべて伝道をした人であることを小泉先生は教えてくださいました。
 神は常に「聖霊」を送って人を起こされます。聖霊自体は私たちの眼には見えませんが、何かが動くことでそこに風が吹いていることが分かるように、聖霊によって動かされた人の働きを通してそこに神が生きて働いておられることを私たちは知るのです。その意味では、ヴォーリズの働きも、小泉先生の働きも、そして私たち自身の働きも神の聖霊によるものであると言うことができましょう。

<そばを通り過ぎようとされる主イエス> 
 聖書を見てゆきましょう。「それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸のベトサイダへ先に行かせ、その間に御自分は群衆を解散させられた」(45節)。この場面は五つのパンと二匹の魚で五千人に食事を与えた場面に続いています。主が弟子たちを「強いて舟に乗せ」たという表現が気になります。イエスさまご自身は「群衆と別れてから、祈るために山へ行かれた」(46節)とあるように、祈るために一人になりたかったのでしょう。強いて舟に乗せられた弟子たちは嫌な予感を持ちながらも出発しました。弟子たちの何人かは漁師でしたからガリラヤ湖のことは小さい頃からよく知っていました。47節もイエスがいなかったことを強調しています。「夕方になると、舟は湖の真ん中に出ていたが、イエスだけは陸地におられた」。通常であれば数時間で湖を渡ることができるのに、夕方から明け方まで、彼らは突風の中で木の葉のように揺れ動きながら生きた心地がしなかったに違いありません。漁をする者たちにとっては「板子一枚下は地獄」ですから「風を待つ」「時を待つ」ことは死活問題でした。
 そこに不思議なことが起こります。イエスが湖の上を歩いて近づいてくるのです。ありえない話です。「ところが、逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた」(48節)。そばを通り過ぎようとしたというのも不可思議です。主は弟子たちをまっすぐに助けに行ったのではなく、船を追い抜いてゆこうとされた。主は恐らく別の目的地(エルサレムおよびゴルゴダの十字架)を見ているのでしょう。祈るために一人になろうとされたのにもそのような意図があったと思われます。通り過ぎようとされたということにはかつて「あなたの栄光を見せてください」と願うモーセに神はその背中を見せられたという出来事が想起されているのかもしれません(出エジプト33:18-23)。あるいはそこには嵐の中で主に見捨てられたように思った初代教会の思いが表れていたのでしょうか。

<「クォヴァディス、ドミネ」> 
 「そばを通り過ぎようとされた」という言葉で私が想起させられるのはポーランドの作家ヘンリク・シェンキェヴィッチの『クオヴァディス』(1895)という作品です。時代は1世紀後半、場所はローマ。キリスト教徒への迫害は日を追うごとに激しくなり、虐殺を恐れて国外へ脱出する者も増えていました。ペトロは最後までローマに留まるつもりでしたが周囲の強い要請により渋々ローマを離れることに同意します。夜中に出発してアッピア街道を歩いていたペトロは夜明けの光の中で自分に近づいて来られる主イエスの姿を認めます。ペトロは跪いて尋ねます。”Quo vadis, Domine? “ラテン語で「主よ、あなたはどこに行かれるのですか」という意味です。ヨハネ13:36でペトロが「鶏が鳴くまでに三度わたしを知らないと言うであろう」と予告されている場面に出てくるのと同じ言葉です。主は言われます。「あなたがわたしの民を見捨てるのだから、わたしはローマに行って、もう一度あなたの代わりに十字架に架かるのだ」。しばらく気を失っていたペトロは起き上がると今度は迷うことなく来た道を引き返してゆきます。そしてローマで捕らえられ、十字架にかけられて殉教してゆきました。ペトロにとって「キリストへの服従」は文字通り「自分を捨て、自らの十字架を負ってキリストに従ってゆくこと」だったのです。

<神の介入に目を開かれて>
 主イエスが「逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた」(48節)のは、主がゴルゴダの十字架を見据えてそれに向かってひたすらまっすぐに歩み続けておられることを示しています。出口(終わり)の見えない厳しい迫害と殉教というヘルモン颪の中で迷いや恐れや不信仰の壁にぶつかって漕ぎ悩み、前にも後ろにも進むことができずにいた初代教会の現実が、この出来事には重ね合わされているのでしょう。50節以降はこう続きます。「しかし、イエスはすぐ彼らと話し始めて、『安心しなさい。わたしだ。恐れることはない』と言われた。イエスが舟に乗り込まれると、風は静まり、弟子たちは心の中で非常に驚いた。パンの出来事を理解せず、心が鈍くなっていたからである」(50-52節)。主の確かな声が彼らには必要でした。
 この主の水上歩行のエピソードは、出エジプトの出来事と同様、私たち人間の現実に対する「神の介入」が主題です。人にはできなくとも神にはできないことはない。私たちの日常生活の中でこの神の介入を目撃した人間は大きく変えられてゆきます。それが聖霊の働きです。人生の「嵐」の中にも神の「聖霊」が働くのです。
 「パンの出来事」とは、主が五つのパンと二匹の魚をもって五千人の飢えを満たされた出来事です。ここで弟子たちは「心が鈍くなっていた」と言われます。主の行われた神の介入を示した数々の御業(①12人の派遣と②五千人の給食、そして③水上歩行の出来事)を見ても弟子たちは心を開かず、かえって心を鈍く頑なにして、その事柄の向こう側に示されている大切な意味(神の真実)を見ようとしなかったということでしょう。否、私たちには神の真実を見ることはできないのかもしれません。人間の常識や思い込みや理性の限界があるからです。「そんなことはありえない」と私たちは頑なに思い込んでいるのです。神が介入してくださっているのにそのことの目撃者とされているのに、それでもそれを信じようとはしない私たちの鈍く頑なな姿がそこに浮かび上がっています。その出来事によって心が開かれるはずなのに、逆に心が固く閉ざされてしまう人間の現実がある。しかしそのような私たちの心を愛によって打ち砕き開くために神はその独り子をこの地上に派遣し、この礼拝共同体である教会を私たちに与えて下さいました。ペトロ同様、私たち自身も今日ここで、傍らを通り過ぎてゆこうとされる主のリアリティーを感じるよう招かれています。「クォヴァディス、ドミネ」

<神に向かって心を開くということ>
 逆に、神の介入に対して柔軟に心を開き、それを受容する者の姿も聖書には記されています。特に私はここで、イエスの母マリアが受胎告知を受けた場面を思い起こします。ルカ福音書1:38で受胎告知を受けたマリアはこう告白しました。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」。
 神の不思議な介入に対して、ありえないことの目撃者として、私たちもまた「アーメン(然り)。お言葉どおり、この身になりますように」と答えてゆく者となりたいと思います。心が頑なで神の恵みの御業を認めることができない私たちです。しかしその不信仰な私たちを信ずる者へと造り変えるために主イエス・キリストはこの地上に降り立ってくださいました。キリストの愛、キリストの御業こそが私たちを造り変えてゆく力を持っています。ただキリストに私たちの眼を向け、どのような時にもキリストを見上げることが、私たちに嵐を乗り越える力を与えてくれる。私たちを救うお方はキリストしかないのです。
 洗礼を受けてクリスチャンになれば苦しみや悲しみがなくなるというわけではありません。「嵐」がなくなるわけではない。しかし私たちはその嵐の海のただ中で、絶望のただ中で、それに耐え、それを乗り越えてゆく聖霊の力を、苦難を背負い、十字架にかかってくださったあのお方の「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」というみ声から得るのです。ここに私たちの信仰者としてのアイデンティティーがあります。教会としてのアイデンティティーがある。迫害の嵐の中でもキリストが必ず共にいましたもう。湖の上を歩き給うキリストは、紅海を歩いて渡ったモーセの姿がそこに重ね合わされているのでしょう。私たちは新しいモーセである主イエス・キリストのみ後に従って人生という荒野の旅を続けてゆくのです。あるいは、洗礼を通して私たちが古い自分に死に、新しいキリストにある自分としてよみがえるということが意味されているのでしょう。そのことを想起しつつ、心に刻みつつ、私たちは新しい一歩を踏み出してまいりましょう。お一人おひとりの上に神さまの豊かな祝福がありますようお祈りいたします。 
アーメン。
(2012年8月26日聖霊降臨後第13主日礼拝)