カタカナ語について 川上 範夫

新聞やテレビでニュースを見る時、厄介なのがアルファベット略語である。だが、略語は昔から各業界では使われていた。銀行ならばLC(信用状)、FOB(本船渡し)等は日常の業務用語である。但し、これらの略語が一般社会のニュースに出ることはなかった。ところが最近はアルファベット略語が一般のニュースに頻繁に出るようになった。WHO(世界保健機関)、ASEAN(東南アジア諸国連合)等はいささか古いが、TPP等、新しいものが次々現れてくる。略語の意味が分らないとニュースそのものが分らぬことがある。更に、略語は政治、経済のみならず一般社会でも使われて、また私はある会合でMCを頼まれたが、何をするのか分からず恥をかいたことがある。いつ頃から司会者のことをMCというようになったのだろう(蛇足ながら、MCとはMaster of Ceremoniesの略語である)。とはいえ、アルファベット略語は世界の公用語であり、国際化の時代、日本でもこれが日常的に使われるのは当然のことであろう。
ところが、もう一つ厄介なのがカタカナ語である。これは、文章の中にも会話の中にも頻繁に出てくる。ある辞典では、現代生活において眞に必要と思われるカタカナ語として、人名、地名等の固有名詞を除き、2万語をあげている。言うまでもないが、カタカナ語はアルファベット略語と異なり、日本だけでしか通用しない用語である。併し、パソコン等技術に関する用語を英語等から直訳でカタカナ語にするのは已む得ないであろう。だが、「生き死に」にかかわる言葉にカタカナ語が多いのには困惑する。リビングウィル、グリーフワーク、スピリチュアルケア等々である。特に、今や一種の流行語となったスピリチュアルは、その意味がよく分らない。
ちなみに、本屋にゆくと、最近はスピリチュアルのコーナーがあり、そこには多種多様な本が並べられているが、何がスピリチュアルなのか見えてこないし、医学、心理学等、分野によってその意味が異なるようである。意味が不明確のまま、言葉だけが独り歩きしているように思われる。この言葉が社会に現われてから相当の年月が経過した。スピリチュアルはじめ「生き死に」に関するカタカナ語を専門家の方々によって、是非とも、普通の人達に届く日本語に変換してもらいたいものである。

(むさしの教会だより 2012年5月号)